私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.136 保険に加入することは罪ですか。
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編集Mは最初、この質問を拝見して驚きました。信仰と保険が関係あるなんて考えたこともなかったからです。しかし真摯に信仰のあり方を問ううちに「信仰があれば将来のことを心配するべきではない」「貪欲の表れだ」と考える方もおられるそうです。
任意の保険に入って将来に備えること、そして国が決めた公的な保険制度はどうなのか、聖書的根拠をもとに考えてみます。
Q. 質問
Q:生命保険などの保険に加入することや、将来に備えて貯金するということは、神の教えに反することでしょうか。
A. 回答
A:これは、自らの信仰の在り方を問う真剣な質問だと思います。この問いにどのように答えるにしても、そこには聖書的根拠がなければなりません。いつものように3つ申し上げます。
1番目に、解釈学の原則について確認しましょう。
聖書には、保険に加入すべきか否かに関する具体的な教えはありません。そういう場合は、聖書全体の教えから判断する必要があります。ある人は、保険に入るのは信仰が足りないからだとか、貪欲の表れだとか、言います。それは、その人の判断です。別の人は、保険は将来への備えだとか、家族への愛だとか主張します。両者の判断は異なりますが、お互いに自分の確信に立つべきであって、相手を裁いてはなりません。
2番目に、将来の備えという視点から考えてみましょう。
聖書は、将来に備えることを禁止していません。創世記に登場するヨセフは、将来の計画を立案し、それによって、エジプト人と自分の家族を救いました。イエス・キリストも、主人の財産を賢く運用して利益を出すしもべのたとえ話を語っておられます。保険に加入することが、将来の危機への備えであり、賢い資産の運用であるなら、それは罪ではありません。しかし、それが貪欲から出たことであるなら、問題です。
3番目に、権威への服従という視点から考えてみましょう。
信者は、この世の権威に従うように命じられています(盲従ではない)。多くの国には、国が決めた公的保険制度があります。自動車保険、健康保険、介護保険などがそれです。信者は、権威への服従という視点から、公的保険に加入しなければなりません。神の命令に従うという視点から見ると、家族を愛し、家族を守ることは、信者として当然のことです。動機が間違っていないなら、保険への加入は大いに勧められるべきことです。
最終的には、「これは神の御心に叶っているか」と自問自答する必要があります。信仰によらない行為は、すべて罪です。
参考になる聖句
「・・・信仰から出ていないことは、みな罪です」(ロマ14:23b)
保険加入に関しては、各人が信仰によって判断すべきです。
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