私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.129 誓いについて
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このメッセージでは...
「神に誓って〜する」「神様が〜してくださったら私は絶対に〜します」というような言葉は気軽に用いられがちですが、新約聖書でキリストは、「決して誓ってはいけません」と教えておられます(マタイ5:33〜37)。
今回のご質問者様の状況は切実であり、さらに、軽はずみに誓願をしてはいけないとご存知だったために、このご質問をお送り下さったのかもしれません。さて、真剣な場合でも神に何かを誓ってはダメなのでしょうか。
また、人の行う誓いに意味はあるのでしょうか。さっそく見ていきましょう。
Q. 質問
Q:私と夫は、ともに病の癒しを祈っています。もしその祈りが聞かれたら、弱っている母親と病気の妹の世話を必ずすると誓願したいのですが、どう思われますか。軽はずみに誓願する前に、新約聖書はどう教えているかを知りたいです。
A. 回答
A:この方にとっては、切実な問題ですね。旧約聖書には、誓願に関する箇所が30箇所ほどあります。イスラエル人にとっては、神に向かって誓願し、それを実行しないことは、重大な結果を招く罪でした。新約聖書では、イエス・キリストは、「決して誓ってはいけません」という新しい教えを与えておられます(マタ5:33~37)。
誓いについて、いつものように3つのことを申し上げます。
1番目に、すべての誓いが禁じられているわけではありません。
たとえば、約束を交わすこと、契約を結ぶこと、結婚の誓いをすることなどは、社会生活を営む上で必要不可欠なことです。
契約が存在しない社会があるとしたら、それは、平和と安全を約束することのできない無政府主義の社会です。
主イエスが禁止されたのは、性急な誓い、浅はかな誓い、神を指して誓う傲慢な誓いなどです。
2番目に、人間には誓ったことが守れるかどうか分からないのですから、誓ってはなりません。
罪人である私たちは、誤った判断を下すことがよくあります。また、為すべきだと分かっていても、それを実行する力がないことが多いのです。
誓うときには、相当な決心をしたとしても、必ずしもそれを実行できるとは限りません。
さらに、私たちには明日のことが分かりません。それを知っておられるのは、神だけです。
それゆえ、神の前で謙遜になる必要があります。
3番目に、神は最善を行われますので、そもそも誓願を立てる必要がないのです。
ロマ8:28はこう教えています。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」
私たちが為すべきことは、誓願を立てることではなく、神を愛し、神に信頼することです。
主イエスは、「だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです」(マタ5:37)と言われました。
それ以上のことを口にすると、サタンの罠にかかる恐れがあります。
過去になんらかの誓いを立て、それを実行していない人がいるなら、そのことを神に告白し、悔い改めようではありませんか。
その人は赦され、神との関係を回復するようになります。
参考になる聖句
「だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです」(マタ5:37)
神の愛に信頼を置いているなら、誓願を立てる必要はありません。
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