Q.31 すべての人は救われると聞いたことがありますが、本当ですか?

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今回は「すべての人は死んだら自動的に天国に行けるという考え方」についての質問ですね。神が愛であるなら、本当に地獄はあるのでしょうか。聖書のなかで、イエス・キリストご自身がはっきりと明言されています。

Q.31 すべての人は救われると聞いたことがありますが、本当ですか?

 

Q. 質問

すべての人は救われるという話を聞いたことがあります。たしかに、愛情深い神様ならば、すべての人間を救ってくれるのではないかとわたしは納得してしまいましたが、これは本当の教えなのですか。

 

A. 回答

このような教えを、専門的には「ユニバーサリズム」(普遍主義)と言います。あるいは、「ユニバーサル・サルベーション」とも言います。「普遍的救い」という意味ですね。「誰でも救われている。クリスチャンにならなくても救われているんだ。神様は心の広い方だから」という考え方ですね。

 

では、いつものように3つ申し上げます。

 

1番目は、「原因」についてです。こういう教えが出てくる原因はなんでしょうか。

こういう教えを語りたいという動機は、よく理解できます。私たちは、「永遠の滅びがある」とか、「地獄で苦しむ人がいる」とかいうようなことを想像するのが嫌なのです。そのような悲惨な出来事を直視することに耐えられないのです。考えれば考えるほど、悲惨な運命に陥る人たちが可哀想になり、「こんなことがあるのだろうか。神様は愛なのに」と思えてくるわけですね。

 

ですから、原因の第一は、人間的な「同情心」です。同情心を働かせると、永遠の滅びや地獄が存在するという教えに、心情的に反発するようになります。

 

もうひとつの「原因」についても考えてみましょう。「すべての人が救われてほしい」という願望でがそれです。その願いが強くなると、「神の愛と恵み」だけを強調するような結果になります。つまり、「神様は愛と恵みに溢れた方なのだ。だからみんなが救われるようにしてくださる」ということです。

 

以上のことは、人間が持つ「同情心」という観点から出た考え方です。しかし、人間の目に正しいと見えることが、必ずしも正しいとは限りません。

 

2番目に、普遍主義の問題点がどこにあるのかを考えてみましょう。

最大の問題点は、「バランスを欠いている」ということです。確かに、神は愛であり、恵み深いお方です。と同時に、神は義であり聖です。普遍主義がバランスを欠いているというのは、「神は義であり、罪を無視することができない」という神の性質をほとんど考慮に入れていないからです。

 

ちなみに、福音書の中で「地獄」の存在について語り、最も多く警告を発しているのは、キリスト自身です。ですから、もし地獄の存在を否定したり、地獄で苦しむ人などいないと主張したりするなら、それは、キリストのことばに反したことを言っているわけです。

 

普遍主義の立場に立つ人は、聖書全体を見ないで、自分に好都合な箇所だけを取り出し、耳触りのよい教えを語っているだけです。実際に、普遍主義者のメッセージを調べてみると、びっくりするくらい聖句の引用がありません。つまり、聖書の内容ではなく、自分の考えを披露しているということです。

 

普遍主義の教えは、「裸の王様の上着」のようなものです。見た目は素晴らしい、みんなが褒める、しかし着てみたら実体がない。それが普遍主義の教えです。この教えは、特に日本人好みの教えだと思います。けれども、聖書的観点から見ると実体がないので、死んで神の前に立ったときに、なんの役にも立ちません。

 

普遍主義の教えを広めている方や、こういう教えを信じた方のことを思うと、本当に悲しみに満たされます。心に痛みを覚えます。

 

3番目に、では「聖書的教え」とはなんであるか、考えてみましょう。

有名な聖句ヨハネの福音書3章16節に、こうあります。

 

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネの福音書3:16)

 

神は、確かに愛であり恵みが深い方です。その証拠に、神はそのひとり子を与えたほどに私たちを愛してくださったのです。しかし、「だからすべての人は救われる」とは書いてありません。「御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく」です。つまり、「信じる」ということが、今度は「私たち側の責任」として位置づけられているのです。神の愛に応答し、それを受け取ることが大事です。

 

さらに、ヨハネの福音書14章6節に、こうあります。

 

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」(ヨハネの福音書14:6)

「わたしを通してでなければ」と、イエス・キリストは言われました。ですから、クリスチャンにならなくても救われていると教えることは、キリストのこのことばを否定していることになります。

 

では、結論です。

 

「普遍主義=すべての人は救われている」という教えは、人間的な願望から生まれたものです。その教えは、人間が自分の希望を表現しただけで、何の役にも立たない、「裸の王様の上着」のようなものです。

 

ぜひ、キリストを信じて、神の愛を受け取ってください。

 

参考になる聖句

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」(ヨハネの福音書14:6)

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