私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
主の祈り 〜人生に変革をもたらす祈り〜
- このメッセージに感謝を贈る
-
この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。
あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?
このメッセージでは...
「 主 の 祈 り 」
~人生に変革をもたらす祈り~
マタイ6:5~15
イントロ:
1.ハーベストフォーラム東京
(1)山上の垂訓を3回に分けて語り終わった。
(2)主の祈りについて詳細に語りたい。
2.礼拝と祈りは、人間にだけできる崇高な行為。
(例話)漫画『サザエさん』。カツオが友人宅に行き、祈りなしに食べようとして赤面。
(1)祈りすべてが崇高なのではなく、祈りの対象が誰かによって崇高なものとなる。
(2)崇高なゆえに、不順なものが混入しやすい。
(3)祈りの秘訣を知るなら、人生が変わる。
3.主の祈りの前に、避けるべき祈りが指摘される。
(1)パリサイ人の祈り、つまり、偽善的祈りを避けよ。
*パリサイ人の中には、「会堂や大通りの四つ角に立って祈る」者がいた。
*すでに、人からの賞賛を受け取っており、神からの報いは与えられない。
*奥まった部屋に入って祈る。
(例話)ユダヤ人の祈りの姿。
(2)異邦人のように祈るな。
*同じ言葉を何度もくり返している。
*長い祈りや、ことば巧みな祈りが聞かれるのではない。
*父なる神は、私たちの願いを知っておられる。
*キリスト教以外の宗教には、自発的な祈りがない。
*仏教、イスラム教。
*パリサイ主義が発展した形の現在のユダヤ教にも、自発的な祈りがない。
4.主の祈りとは何か。
(1)「主の祈り」は、より厳密には「主が教えてくださった弟子たちの祈り」。
(2)この祈りは、模範(モデル)としての祈りです。明確な組み立てが必要。
(3)この通りに祈る場合は、頻度に注意(文脈からそう言える)。
主の祈りの6つの要素
Ⅰ.前半の3つの要素(神の御心)
1.「天にいます私たちの父よ」
(1)祈りは呼びかけの言葉から始まる。呼びかける相手は「天にいます私たちの父」。
(2)神への完全な信頼の中から生まれる。
(3)「私たち」とありますから、この祈りは共同体のそれである。
(4)聖書の祈りのパターンは、常に父なる神への呼びかけで始まっている。
(例話)歴史上、キリスト教反対者となった人たちは、父親との関係に問題があった。
(例話)母親を引取り、感じること。自分は、幸いなことに親の愛を受けて育った。
(5)親子関係に問題があった人は、飛躍するチャンスである。
2.「御名があがめられますように」
(1)神の偉大さや性質を思い起こし、神をたたえる段階。
(2)神の永遠性、遍在性、愛の性質などについて黙想する。
(3)過去の祝福を思い起こす。
(4)神が大きくなると、問題は小さくなる。
3.「御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように」
(1)神の支配と神の御心が地上に実現するように。
(2)「神の国の計画」が進展することを願う祈り。
(3)教会のため、牧師や役員のため、宣教師のために祈る。
(4)まだ救われていない人が救われるように祈る。
(5)自分がどのような方法で神の国拡大のために奉仕ができるかについても、祈る。
Ⅱ.後半の3つの要素(自分の必要)
1.「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」
(1)主の祈りの特徴は、神の御心、そして、自分の必要という順番。
(2)肉体的な必要のために祈る。
(3)食物以外のさまざまな必要についても
①経済的試練
②人間関係の試練
③肉体的試練
(4)私たちが経験するのは、「日々の戦い」。その日に必要な力が与えられるように。
(5)思い煩いは、罪である。
2.「私たちの負い目をお赦しください」
(1)これは、罪の赦しを求める祈り。
(2)罪の処理ができていないと、神は私たちの祈りを聞いてくださらないのか?
(3)神は罪人である私たちが、そのままの姿で神の前に出ることを待っておられる。
(4)「主の祈り」の組み立てに従うなら、罪の告白は祈りの冒頭に来なくてもよい。(5)他の人の罪を赦すことが、罪が赦される条件となる、という意味ではない。
(6)赦しの奇跡:自分を解放し、相手を解放する。
3.「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」
(1)霊的な戦いの中で、守りが与えられるように。
(2)クリスチャンは、この世から隔離された「無風状態」の中に置かれるのではない。
(3)ヨハネ16:33。イエスの御名による祈り。
(4)クリスチャンは、この世で患難を経験するが、この世にあって勝利する。
結論
1. 主の祈りは、信仰の兄弟たちと祈る共同体の祈りである。
2. 主の祈りは、このように祈れというガイドラインである。
(1)イエスは、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけないと言われた。
(2)私たちは、「主の祈り」を意味のないことばのくり返しにしていないだろうか。3. 主の祈りによって、真の祈りの回復が可能となる。
週間アクセスランキング
コリント人への手紙第二(13)批判する者たちへの反論10:1~18
Q421 天国でも性別は存在しますか。
イスラエル旅2023#088中川牧師とめぐる旅:【エルサレム旧市街】4つの地区とエルサレムの再統一
コリント人への手紙第二(14)パウロと偽使徒の違い(1)11:1~15
コリント人への手紙第二(12)エルサレム教会への献金(3)-喜んで与える祝福―9:1~15
Q420 頭に燃える炭火を積むとはどういう意味ですか。