私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
使徒の働き(2)―前書き(2)―
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使徒の働きの前書きについて学ぶ。
「前書き(2)」
使徒1:1~5
1.はじめに
(1)新約聖書の約25パーセントがルカの著作である。
①ルカの福音書と使徒の働きは、前編と後編の関係にある。
(2)この書が書かれた目的は何か。
①歴史的目的
②神学的目的
③弁証論的目的
2.アウトライン
(1)献呈の辞(1~2節)
(2)復活後のイエスの奉仕(3節)
(3)使徒たちへの命令(4~5節)
結論: 弟子たちが変化した理由
(1)イエスが復活したという確信
(2)神の国のプログラムの理解
(3)力の源の発見
使徒の働きの前書きについて学ぶ。
Ⅰ.献呈の辞(1~2節)
1.1節
Act 1:1 テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、
(1)テオピロとは誰か。
①ルカの福音書と使徒の働きは、ともにテオピロに献呈した形になっている。
*もちろん、多くの読者を想定して書いていることは言うまでもない。
②ルカでは、「尊敬するテオピロ殿」となっている。
*「尊敬する(クラティストス)」は、ローマ高官のタイトルである。
*使23:26、24:2、26:25では「閣下」と訳されている。
③テオピロには、「神を愛する人」と「神に愛されている人」の両方の意味がある。
④このような書き出しは、紀元1世紀のローマ世界では一般的なものであった。
*ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている。
⑤テオピロは、ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い。
⑥もしそうなら、テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる。
(2)1~2節は、ルカの福音書の要約である。
①「前の書」というのは「ルカの福音書」のことである。
②ルカの福音書の目的は、イエスの生涯の出来事を時間順に並べて紹介すること。
*ルカ以外の3つの福音書は、時間の順にはこだわっていない。
③ルカの福音書は、イエスの行いと教えの最初から始まり、昇天で終わった。
(3)「イエスが行い始め、教え始められた」
①「始めた」という言葉が2度出てくる。
②イエスの働きは2千年前に終わったのではなく、今も続いている。
③復活のイエスは、聖霊によって、地上の教会を通して、今も働いておられる。
④ルカは、その記録を正確に、時間順に記そうとした。
2.2節
Act 1:2 お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。
(1)使徒の働きの中の主役は、3者である。
①復活し、昇天したイエス
②イエスの命令を実行する使徒たち
③イエスと使徒たちを結びつける聖霊
(2)使徒たちは、イエスが「十字架の死とそれに続く復活」の計画について何度話し
ても、それが理解できなかった。
①霊の目を開き、聖書を理解させるのは、聖霊の働きである。
②弟子たちは、復活の主イエスから息を吹きかけられ、「聖霊を受けなさい」(ヨ
ハ20:22)とのことばを受けた。
③そのとき彼らは、旧約聖書的な意味で聖霊を受けた。
*内住の聖霊ではなく、神のことばを理解させるための聖霊の力を受けた。
(3)ルカの福音書は、イエスの昇天の記事で終わっていた。
Luk 24:50 それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。
Luk 24:51 そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた。
Luk 24:52 彼らは、非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り、
Luk 24:53 いつも宮にいて神をほめたたえていた。
Ⅱ.復活後のイエスの奉仕(3節)
1.3節
Act 1:3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
(1)これは、復活後のイエスの働きの要約である。
①復活後のイエスの奉仕は、40日間続いた。
*これは、ルカだけが記している情報である。
②聖書には、復活のイエスが現れたことが、10回記録されている。
③この40日間は、福音書の時代から使徒の働きの時代への移行期間である。
(2)イエスは、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
(3)復活のイエスが弟子たちに教えたテーマは、「神の国」であった。
①ユダヤ人がイエスを拒否した時から、神の国のプログラムは新段階に入った。
*これは、メシア的王国(千年王国)が現れる前の状態である。
*これを「奥義としての王国」と呼ぶ。
*今がその時代である。
②マタ13章の多くのたとえ話は、そのことを教えるためのものであった。
*種蒔きのたとえ(4種類の土地)
*良い麦と毒麦のたとえ
③復活のイエスは、マタ13章から教え始めたテーマを継続して教えた。
*神の国は、外面的には「キリストを告白するすべての人たち」を指す。
*神の国は、内面的には「真に救われている人たち」を指す。
Ⅲ.使徒たちへの命令(4~5節)
1.4節
Act 1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
(1)4節で、ルカの福音書と使徒の働きがつながる。
①「彼らといっしょにいるとき、」
*ギリシア語の「スナリゾメノス」は、「塩をいっしょに食べた」という意味。
*「彼らと食事を共にしていたとき、」(新共同訳)という訳も可能である。
②「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」
*神の国を拡大する働きに参加するためには、聖霊の助けが必要である。
*聖霊の約束は、最後の晩餐の席ですでに教えられていた(43日前)。
・ヨハ14:16、26、15:26、16:7、13
③この約束は、五旬節の日(使2章)に聖霊降臨という形で成就する。
2.5節
Act 1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
(1)聖霊降臨は、時代を画する出来事である。
①ヨハネのバプテスマと新時代のバプテスマが対比されている。
*聖霊が、信者に「聖霊によるバプテスマ」を授ける時代になる。
*「聖霊によるバプテスマを授けられるからです」(新改訳2017)
②聖霊によるバプテスマによって、信者は教会の一員とされる。
③聖霊降臨以降、イエスをメシアとして信じる者は、信じた瞬間に聖霊によるバ
プテスマを授けられるようになった。
④1コリ12:13
1Co 12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
(2)火のバプテスマについて
①ルカ3:16~17
Luk 3:16 そこでヨハネは皆に向かって言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりも力のある方が来られます。私はその方の履き物のひもを解く資格もありません。その方は聖霊と火で、あなたがたにバプテスマを授けられます。
Luk 3:17 また手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめ、麦を集めて倉に納められます。そして、殻を消えない火で焼き尽くされます。」
①「火のバプテスマ」は、使徒の働き1:5には出て来ない。
②これは、裁きのバプテスマである。
*将来起こる。
*未信者だけに起こる。
結論:弟子たちが変化した理由
1.イエスが復活したという確信
(1)使1:3の再確認
Act 1:3 イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。
(2)弟子たちは、イエスが復活したことを圧倒的な証拠によって確認した。
①イエスは幻ではなく、栄光の体を持っておられる。
②復活のイエスは、食物を食べることができた(ルカ24:42~43)。
(3)使4:19~20
Act 4:19 しかし、ペテロとヨハネは彼らに答えた。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。
Act 4:20 私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」
(4)弟子たちの証言が、イエスが死者の中から甦ったことを信じる根拠である。
2.神の国のプログラムの理解
(1)教会時代は、奥義としての王国の時代である。
①メシアの再臨後に登場するメシア的王国(千年王国)の前の時代である。
②今がその時代である。
③旧約聖書にある神の国に関する約束を、すべて教会が成就すると考えるのは、
非現実的である。
④教会の使命は、携挙をもって終わる。
(2)「種蒔きのたとえ」から学ぶ「奥義としての王国」の特徴
①同じ福音を伝える(同じ種が蒔かれる)。
②それを受け取る人には、4種類のパターンがある(4種類の土地)。
③私たちの使命は、失望せずに福音の種を蒔き続けることである。
(3)「良い麦と毒麦のたとえ」から学ぶ「奥義としての王国」の特徴
①キリスト教界には、本物と偽物が併存する。
②本物の信者は、普遍的教会に属する。
3.力の源の発見
(1)復活のイエスは、聖霊により、教会を通して働いておられる。
(2)聖霊のバプテスマは、求める必要のないものである。
①イエスを信じたときに、すでに授けられている。
(3)私たちが求めるべきは、聖霊に満たされることである(聖霊の支配)。
①エペ5:18
Eph 5:18 また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。
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