ヘブル人への手紙(26)―信仰の訓練―

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信仰の訓練

「信仰の訓練」

ヘブル12:1~11

1.はじめに

  (1)この手紙は、ユダヤ教への回帰を考えていた第2世代のメシアニック・ジューた

ちを励ますために書かれた。

  ①学んだことの適用(10:19~13:25)

  ②すでに背教は、ある人々の間で起こっている。

      ③この手紙の読者は、まだ背教はしていないが、その可能性を考えている。

      ④今必要なのは、信仰による忍耐である。

      ⑤11章では、信仰による忍耐を発揮した信仰の英雄たちがリストアップされた。

      ⑥12章では、信仰者の訓練について語られる。

    (2)アウトライン

      ① 信仰の創始者であり完成者であるイエス(1~2節)

      ②信仰の訓練(3~11節)

結論: 苦難の意味

信仰の訓練について学ぶ。

Ⅰ.信仰の創始者であり完成者であるイエス(1~2節)

   1.1節

Heb 12:1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

    (1)「こういうわけで」

      ①この手紙は、迫害に会っているメシアニック・ジューのために書かれた。

      ②彼らは、苦難の意味を誤解する可能性があった(神の裁き)。

      ③このままでは、元のユダヤ教に回帰する危険性があった。

      ④11章でリストアップされた信仰者たちの多くが迫害に会った。

      ⑤彼らは、限定された情報量しかなかったが、信仰によって忍耐した。

      ⑥ましてや、イエス・キリストの福音を知った私たちが忍耐できないはずはない。

    (2)「多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いている」

      ①多くの証人たちが、天から地上の出来事を見ているということではない。

      ②彼らは、観客ではなく、証人である。

      ③彼らは、信仰の忍耐を発揮した証し人である。

      ④天に召された聖徒たちは、地上のことについてどれほど情報を持っているのか。

      ⑤分からないが、確実に言えることがひとつある。

Luk 15:7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。

    (3)「私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれ

ている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか」

      ①ここでは、クリスチャン生活が陸上競技にたとえられている。

      ②大競技場には観客席が幾重にも聳えている。

*すでに競技を終えた者たちが私たちを見ている。

*彼らは傍観者ではなく、私たちが見習うべき手本である。

      ③陸上競技には訓練と忍耐が必要である。

      ④重荷を持っていては、速く走ることができない。

      (ILL)貝に挟まれた鳥

      ⑤重荷とは何か。物質主義、怠惰、誤った人間関係など。

      ⑥まつわりつく罪とは何か。あらゆる罪であるが、特に不信仰の罪。

        *不信者は、神を信じないことが最大の罪であるとの認識がない。

        *霊的幼子も、不信仰が罪であるという認識が希薄である。

      ⑦罪を捨てるとは、古い衣を脱ぎ捨てることである(アポティセイミ)。

 Col 3:8 しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。

      ⑧私たちは、この競争を忍耐をもって走り続ける。

      ⑨ゴールは、すでに設定されている。

        *シャカイナグローリーとともに住むことがゴールである。

  2.2節

Heb 12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

    (1)「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」

      ①多くの証人の中でひときわ目立つのが、イエスである。

      ②イエスこそ、信仰の忍耐を完璧に示したお方、完全な手本である。

      ③私たちが目指している信仰のパイオニアである。

      ④私たちが目指してる信仰の完成者である。

      ⑤そのイエスから目を離してはならない。

    (2)イエスが完走されたコース

      ①天からベツレヘムへ

      ②ベツレヘムからゲツセマネ、そしてゴルゴタへ

      ③ゴルゴタから墓へ

      ④墓から天へ

    (3)その間イエスは、一度も後ろを振り向いたことはなかった。

      ①前に置かれた喜びを見続けいていた。

      ②父なる神の右の座に座すこと。

③贖われた者たちが、永遠に自分の元に集められるということ。

      ④それゆえ、はずかしめや十字架の苦難に耐えることができた。

    (4)イエスは、父なる神の右の座に着座された。

      ①今もその状態が続いている。

      ②イエスは、私たちのための大祭司である。

Ⅱ.信仰の訓練(3~11節)

  1.3~4節

Heb 12:3 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

Heb 12:4 あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。

    (1)ここから、著者が描く情景が変わる。

①情景は、「競技」から「罪との格闘」に変わる。

    (2)絶望しそうになるとき、どうすればよいのか。

      ①イエスほど、罪人たちからの攻撃を忍ばれた方はいない。

      ②信仰が試みられるとき、私たちはイエスのことを考えるべきである。

      ③イエスが通過された苦難を考えると、私たちの苦難は取るに足りない。

      ④それが分かると、元気を回復することができる。

    (3)「あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません」

       ①罪との戦いとは、罪人たちとの戦いである。

        *自らの罪も含めて考えることができる。

      ②血を流すまでとは、死に至るまでという意味である。

      ③イエスは、死に至るまで信仰の忍耐を発揮された。

      ④旧約聖書の英雄たちの多くも、同じ経験をした。

  2.5~6節

Heb 12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。/「わが子よ。/主の懲らしめを軽んじてはならない。/主に責められて弱り果ててはならない。

Heb 12:6 主はその愛する者を懲らしめ、/受け入れるすべての子に、/むちを加えられるからである。」

    (1)苦難は、神の裁きではなく、神が与える訓練である。

      ①箴3:11~12

Pro 3:11 わが子よ。【主】の懲らしめをないがしろにするな。/その叱責をいとうな。

Pro 3:12 父がかわいがる子をしかるように、/【主】は愛する者をしかる。

  4.7~8節

Heb 12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

Heb 12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。

    (1)霊的世界での真理

      ①父なる神は、信者を子として扱われる。

      ②それゆえ、その子を育てるために懲らしめを与える。

      ③もし懲らしめを受けていないなら、その人は真の信者ではない。

    (2)物質的世界でも同じことが言える。

      ①農夫は、ぶどうの木を刈り込むが、いばらは放置したままにする。

  5.9~10節

Heb 12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。

Heb 12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

    (1)肉の父親と霊の父の対比

      ①肉の父は、私たちを懲らしめた。成長するため。

      ②私たちはそれを、父の愛として理解し、父を敬った。

      ③肉の父親は、短い期間、自分の判断で私たちを懲らしめる。

      ④霊の父親は、それ以上の目的をもって私たちを懲らしめる。

        *ご自身の聖さにあずからせるため(救いの完成)

      ⑤それゆえ、霊の父親を敬い、霊の父親に従うべきである。

  6.11節

Heb 12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

    (1)信者が経験する苦難

      ①そのときは喜ばしいものではなく、悲しく思われるものである。

      ②後になると、それが平安な義の実を結ばせる。

結論:苦難の意味

  (1)キリスト教信仰に入り込んでくる非聖書的要素

    ①ギリシア哲学の影響(聖書の比喩的解釈)

    ②ニューエイジ運動の影響(人間の神格化)

    ③理性中心主義の影響(人間の理性が聖書の上に立つ)

    ④ポストモダン思想の影響(神の権威の否定)

    ⑤異教の影響(霊的戦いの再解釈)

    ⑥積極思考(可能性思考、自己啓発思考)の影響(苦難の意味の喪失)

  (2)ヘブ12:5~6

Heb 12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。/「わが子よ。/主の懲らしめを軽んじてはならない。/主に責められて弱り果ててはならない。

Heb 12:6 主はその愛する者を懲らしめ、/受け入れるすべての子に、/むちを加えられるからである。」

    ①苦難は、神が私たちを見捨てたというしるしではない。

②苦難は、偶然起こるものでもない。

③苦難は、神が私たちを教育される方法である。

  (3)苦難の意味

    ①苦難は神が作り出すものではない。

    ②神は、苦難が私たちを襲うことを許される。

    ③神は、ご自身の栄光のために、苦難を祝福に変える。

    ④クリスチャンにとって偶然はない。

    ⑤人生の「dis-appointment」は「His-appointment」である。

    ⑥神は苦難を用いて、私たちをキリストの似姿に変えてくださる。

  (3)懲らしめの意味

    ①ギリシア語で「パイデイア」である。

    ②子どもを教育するという意味である。

    ③その中には、警告、矯正、処罰も含まれるが、主要な意味は訓練である。

    ④懲らしめとは、悪行に対する罰ではなく、苦難を通した訓練である。

    ⑤懲らしめを受けるのは、神に愛されている証拠である。

  (4)神の学校での学び

    ①神の訓練に服従するなら、神は私たちをキリストの似姿に作り上げてくださる。

    ②神の学校に飛び級はない。

    ③訓練を短縮しようとすると、長期にわたり訓練を受けることになる。

    ④また、より厳しい懲らしめを通過することになる。

    ⑤神の訓練を終えた者だけが、次の学年に進級することができる。

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