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ヘブル人への手紙(8)—アロンに勝る御子—
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御子がメルキゼデクの位に等しい大祭司であることについて学ぶ。
「アロンに勝る御子」
ヘブル4:14~5:10
1.はじめに
(1)天皇の生前退位に関する議論(2016年11月のヒアリング)
(2)この手紙が書かれた理由を再確認する。
①信仰が後退しつつあった第2世代のメシアニック・ジューたちへの励まし
②彼らは、迫害と誤った教理に直面し、元の信仰に回帰しようとしていた。
③手紙の内容は牧会的であり、実践的である。
(2)ユダヤ教の3つの柱は、天使、モーセ、レビ的祭司である。
①御子は、天使に勝るお方であることが証明された。
②御子は、モーセに勝るお方であることも証明された。
③この箇所は、御子はアロンに勝るお方であることが証明される。
*このテーマが、4:14~10:18まで続く。
*ユダヤ教は、レビ的祭司制を土台に発展してきた宗教である。
(3)御子イエスが大祭司であることは、すでに2箇所で出て来た。
①ヘブル2:17
Heb 2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。
②ヘブル3:1
Heb 3:1 そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。
2.アウトライン
(2)大祭司の資格(5:1~4)
(3)御子の資格(5:5~10)
結論:
1.メルキゼデクとは誰か(創14:18~20)。
2.詩110:4は、何を示しているのか。
御子がメルキゼデクの位に等しい大祭司であることについて学ぶ。
Ⅰ.より優れた場所での奉仕(4:14~16)
1.14節
Heb 4:14 さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、 私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
(1)アロンの大祭司としての奉仕
①大祭司は、神と人の間に立って仲介役を果たす。
②大祭司は、贖罪の日に、もろもろの幕を通って至聖所に入る(地上の幕屋)。
③大祭司は、いけにえ(ヤギ)の血を捧げる(レビ16章)。
④人々の罪のためだけでなく、自分の罪のためにも、いけにえを捧げる。
⑤大祭司は、毎年これを繰り返す。
(2)イエスの大祭司としての奉仕
①イエスもまた、神と人の間に立って仲介役を果たす。
②イエスは、、もろもろの天を通って天に至聖所に入られた(天の幕屋)。
*第1の天と第2の天を通って、第3の天に入られた。
③イエスは、ご自身の血を捧げられた。
④イエスは、罪を犯したことがないので、自分の罪の贖いをする必要がない。
⑤イエスは、ただ一度だけ贖いの業を為し、天の聖所で継続して奉仕をしている。
(3)適用
①「神の子イエス」
*「イエス」とは、御子の人間性を示す言葉である。
*「神の子」とは、御子の神性を示す言葉である。
*私たちの大祭司は、人であり神である。
(ILL)現人神(あらひとがみ)は、「この世に人間の姿で現れたという意味。
②「私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか」
*「イエスは、主なり」という信仰告白のことである(3:1参照)。
*イエスよりも下位の大祭司であるアロンに戻って行くのは、不条理である。
2.15~16節
Heb 4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
Heb 4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(1)私たちの大祭司を信頼すべき理由
①私たちの弱さに同情してくださる。
②その理由は、すべての点で、私たちと同じように試みに会われたからである。
*イエスもまた、人間性の限界を経験された。
*しかし、罪は犯されなかった。
③すべての点で、とは、あらゆる種類の誘惑のことである。
1Jn 2:16 すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。
(2)適用
①試練に勝利する方法は、ユダヤ教に回帰することではない。
②大胆に、恵みの御座に近づくことである。
*そこには、私たちの弱さに同情してくださる大祭司がおられる。
③御座に近づく目的は、恵みを受け、おりにかなった助けを受けるためである。
Ⅱ.大祭司の資格(5:1~4)
1.1節
Heb 5:1 大祭司はみな、人々の中から選ばれ、神に仕える事がらについて人々に代わる者として、任命を受けたのです。それは、 罪のために、ささげ物といけにえとをささげるためです。
(1)資格①:大祭司は、人でなければならない。
①大祭司は、人々を代表して神の前に立つ。
②キリストもまた、人となられた。
(2)資格②:大祭司は、罪のために、ささげ物といけにえとを捧げる。
①「ささげ物」とは、「穀物のささげ物」である。
②「いけにえ」とは、「血のささげ物」である。
③レビ的祭司に属する者は、なんらかの形で、この奉仕を行なう。
2.2~3節
Heb 5:2 彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。
Heb 5:3 そしてまた、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分のためにも、罪のためのささげ物をしなければなりません。
(1)資格③:大祭司は、無知な迷っている人々を思いやることができる。
①人間であるので、これができる。
②思いやるとは、無関心でもなく、過剰な感情移入でもない。
③「無知」は、罪の源である。
④「迷い」(真理からの逸脱)は、罪の結果である。
⑤大祭司は、自分の罪のためにささげ物をしなければならない。
⑥人々の代表として神の前に立つ前に、清くされる必要がある。
⑦しかし、キリストには、その必要はない。
3.4節
Heb 5:4 まただれでも、この名誉は自分で得るのではなく、アロンのように神に召されて受けるのです。
(1)資格④:大祭司は、神から任命を受ける。
①自分で大祭司になることを選ぶ人はいない。
②アロンは、神から召されて大祭司となった。
③出28:1
Exo 28:1 あなたは、イスラエル人の中から、あなたの兄弟アロンとその子、すなわち、アロンとその子のナダブとアビフ、エルアザルとイタマルを、あなたのそばに近づけ、祭司としてわたしに仕えさせよ。
④民17:8
Num 17:8 その翌日、モーセはあかしの天幕に入って行った。すると見よ、レビの家のためのアロンの杖が芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいた。
⑤自分から祭司になろうとした人は、罰を受けた。
*民16:1~15のコラの反乱
*1サム13:5~14のサウル王の越権行為
*2歴26:16~23のウジヤ王の越権行為(香を焚こうとした)
(2)以上述べた大祭司としての4つの資格が、御子に備わっているか。
①次の箇所で、御子の資格が吟味される。
Ⅲ.御子の資格(5:5~10)
1.5~6節
Heb 5:5 同様に、キリストも大祭司となる栄誉を自分で得られたのではなく、彼に、/「あなたは、わたしの子。/きょう、わたしがあなたを生んだ。」/と言われた方が、それをお与えになったのです。
Heb 5:6 別の個所で、こうも言われます。/「あなたは、とこしえに、/メルキゼデクの位に等しい祭司である。」
(1)「同様に」:資格④が満たされた(神からの任命)。
①キリストも大祭司として父なる神から任命を受けた。
②自分から栄誉を得るために、大祭司となったのではない。
(2)「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ」
①これは詩2:7からの引用である。イエスは、神の子と宣言された。
②キリストの大祭司職は、復活と関連している。
③でなければ、キリストは私たちのための大祭司になることができない。
(3)「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である」
①詩110:4からの引用である。イエスは、神から大祭司として任命された。
②レビ的祭司ではなく、メルキゼデクの位に等しい祭司への任命である。
2.7節
Heb 5:7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。
(1)資格①が満たされた(人でなければならない)。
①キリストは、人間性を持たれた。
②「人としてこの世におられたとき」
*受肉から復活までの期間
(2)資格②が満たされた(ささげ物といけにえ)。
①キリストは、祈りと願いを捧げた。
*祈りとは、具体的な求めである。
*願いとは、緊急時に守りを求めることである。
②キリストは、叫び声と涙とをもってそれをされた。
*ゲツセマネの祈りがその代表例である。
③キリストの祈りは、神に受け入れられた。
4.8~10節
Heb 5:8 キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、
Heb 5:9 完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、
Heb 5:10 神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。
(1)資格③が満たされた(人々への思いやり)。
①キリストは御子であるのに、多くの苦しみによって従順を学ばれた。
*従順にはどれくらいの犠牲が伴うかを体験的に知られた。
②十字架の死によって、信じる者を救うことができる救い主となられた。
(2)その結果、メルキゼデクの位に等しい大祭司となられた。
①父なる神が、キリストをメルキゼデクの位に等しい大祭司と呼ばれた。
②著者は、このテーマは読者には難解過ぎると判断した。
Heb 5:11 この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。
③ヘブ7:1で再度このテーマに戻る。
結論:
(1)アブラハムの時代にシャレム(エルサレム)の王であった。
①「義なる王」という意味がある。
(2)彼は、「いと高き神」の名によってアブラムに祝福を与えた。
①彼は王であるが、同時に、いと高き神の祭司でもあった。
②彼は、パンとぶどう酒をアブラムに与えた。
(3)アブラムは、すべての分捕り物の10分の1を彼に与えた。
(4)メルキゼデクは、その系図が存在しない人物である。
①彼は人であるが、先祖が明らかにされていない。
②その点が、レビ的祭司とは異なる。
2.詩110:4は何を示しているのか。
Psa 110:4 【主】は誓い、そしてみこころを変えない。/「あなたは、メルキゼデクの例にならい、/とこしえに祭司である。」
(1)詩110篇は、ダビデの賛歌である。
①メルキゼデクに関しては、系図もなく出生の記録もない。
②ただ、神によって立てられたことだけが強調されている。
(2)神は、ダビデの子孫から出るメシアが、永遠の大祭司として立てられると約束さ
れた。
(3)キリストは、全人類のための大祭司となられた。
①キリストは、人なられた。
②キリストは、いけにえを捧げられた。
③キリストは、人々を思いやることができる。
④キリストは、神からの任命を受けた。
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