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ヘブル人への手紙(7)—第2の警告(2)—
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第2の警告の内容について学ぶ。
「第2の警告(2)」
ヘブル4:1~13
1.はじめに
(1)この手紙が書かれた理由を再確認する。
①信仰が後退しつつあった第2世代のメシアニック・ジューたちへの励まし
②彼らは、迫害と誤った教理に直面し、元の信仰に回帰しようとしていた。
③手紙の内容は牧会的であり、実践的である。
*教理的教えの合間に、警告の言葉が挿入句のように出てくる。
*この箇所は、2回目の警告である(第1の警告は、2:1~4)。
(2)キリストを拒むことは、モーセを拒むこと以上に罪深い行為である。
①前回は、詩95篇を引用することで、そのことが論証された。
②詩95篇のテーマは荒野でのイスラエルの民の不信仰である。
③特に、カデシュ・バルネアでの出来事が重要である。
*12人のスパイたちの報告を聞いて、民は不信仰に陥った。
*その結果、彼らはカナンの地に入る前に死ぬことになった。
*これは、彼らが霊的に滅びたということではない。
④この手紙の読者たちは、カデシュ・バルネアと似たような場所に立っていた。
*彼らは、12使徒たちが伝える福音を聞いて、それを信じた。
*もし不信仰に陥り、エジプト(ユダヤ教)に回帰するなら、祝福を失う。
*これは、彼らが霊的救いを失うということではない。
2.アウトライン
(2)神の安息に入れという奨励(11~13節)
結論:
(1)神のみことばの5つの特徴
第2の警告の内容について学ぶ。
Ⅰ.神の安息を失う危険性(1~10節)
1.1節
Heb 4:1 こういうわけで、神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれに入れないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。
(1)「こういうわけで」
①ヘブ3:17~19で論じてきた内容を土台とした言葉である。
②イスラエルの民は不信仰の故にカナンの地に入れなかった。
③この手紙の読者たちにも、同じ危険性がある。
(2)この手紙が論じる「安息」には、3種類のものがある。
①カナンの地での安息(過去形の救い)
*敵との戦いが終わること
②天地創造の安息(未来形の救い)
*活動の終止のこと
*現在的意味:キリストの贖いが完成したことを信じ、後戻りしないこと
*将来的意味:信者が死後に体験する安息(天において、千年王国において)
③安息日の安息(現在形の救い)
*霊的安息のこと
*霊的成長に伴う安息のこと
(3)読者たちは、「神の安息」を失う可能性があった。
①ここでの安息は、上記③の霊的安息である。
②神は、霊的出エジプトを体験した信者たちに、霊的安息を用意しておられる。
③もし不信仰に陥るなら、その霊的安息を失う可能性がある。
④「恐れる心」とは、その霊的安息を失うことへの恐れである。
*出エジプトの世代がカナンの地に入れなかったことが教訓となる。
2.2節
Heb 4:2 福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。
(1)出エジプト世代のイスラエルの民とこの手紙の読者たちは、ともに福音(グッド
ニュース)を説き聞かされた。
①福音の内容は異なる。
(2)イスラエルの民にとっての福音とは
①出19:3~6
Exo 19:3 モーセは神のみもとに上って行った。【主】は山から彼を呼んで仰せられた。「あなたは、このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げよ。
Exo 19:4 あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。
Exo 19:5 今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。
Exo 19:6 あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。/これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。」
*神は、イスラエルの民をエジプトから解放された。
*神は、イスラエルの民をカナンの地に導き入れる。
*神は、イスラエルの民を「祭司の王国」、「聖なる国民」とする。
②出23:20~33も参照
(3)しかし、神の計画通りにはならなかった。
①福音(グッドニュース)を聞いただけでは、益にならなかった。
②神の約束を信仰によって受け取らなかったからである。
③この手紙の読者たちもまた、神の約束を信仰によって受け取る必要がある。
3.3~5節
Heb 4:3 信じた私たちは安息に入るのです。/「わたしは、怒りをもって誓ったように、/決して彼らをわたしの安息に入らせない。」/と神が言われたとおりです。みわざは創世の初めから、もう終わっているのです。
Heb 4:4 というのは、神は七日目について、ある個所で、「そして、神は、すべてのみわざを終えて七日目に休まれた」と言われました。
Heb 4:5 そして、ここでは、「決して彼らをわたしの安息に入らせない」と言われたのです。
(1)「信じた私たちは安息に入るのです」
①著者と読者たちは、すでに福音を信じた(過去の事実)。
②その結果、安息にあずかることができる(新共同訳)。(現在の事実)
③この安息は、現在形であると同時に、未来形でもある(ヘブ4:11)。
(2)詩95:11が再度引用される。
①「わたしの安息」とは、神が味わっておられる安息である。
(3)この安息は、「天地創造の安息」である。
①創2:2の引用
②神は今も、この安息を味わっておられる。
③この安息は、神が人間に与えようとされた安息である。
④しかし、イスラエルの民は不信仰によってこの安息を放棄したのである。
4.6~7節
Heb 4:6 こういうわけで、その安息に入る人々がまだ残っており、前に福音を説き聞かされた人々は、不従順のゆえに入れなかったのですから、
Heb 4:7 神は再びある日を「きょう」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを通して、/「きょう、もし御声を聞くならば、/あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」/と語られたのです。
(1)ダビデは、詩95篇を通して、神の安息に入る道が開かれていると語った。
①それゆえ、「きょう」という日に神に立ち返れと勧めた。
(2)この手紙の著者もまた、神の安息に入る道は依然として開かれていると書いた。
①それゆえ、出エジプト時代のイスラエルの民の失敗を繰り返すべきではない。
5.8節
Heb 4:8 もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであったら、神はそのあとで別の日のことを話されることはなかったでしょう。
(1)ここで語られている「神の安息」は、「カナンの地での安息」以上のものである。
①ヨシュアは新しい世代のイスラエルの民に、「カナンの地での安息」を与えた。
②しかしヨシュアは、霊的成長から来る安息を与えることができなかった。
③ダビデが詩95篇で語っている「神の安息」は、「カナンの地での安息」以上の
ものである。
6.9~10節
Heb 4:9 したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。
Heb 4:10 神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。
(1)ここでの「安息」は「安息日の安息」である。
①この安息は、ギリシア語で「サバティスモス」である(新約聖書でここだけ)。
②「安息日の祝い、喜び」を意味している。
③神の臨在の喜び、理想的な喜びのことである。
(2)この「安息」は、すべての信者に約束されている。
①霊的成長がもたらす安息である。
②霊的成長とは、聖霊の導きによって生きている状態である。
③その人は、霊的生活の中で起こる基本的な戦いからは自由になっている。
④その人は、自分の努力に頼ることは止め、信仰によって歩んでいる。
Ⅱ.神の安息に入れという奨励(11~13節)
1.11節
Heb 4:11 ですから、私たちは、この安息に入るよう力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。
(1)「ですから」
①4:1~10の内容が土台になっている。
②「安息日の安息」に入るように努めようではないか。
*これは、現在形の安息である。
*これは、霊的成熟から来る安息である。
(2)不従順なイスラエルの民が反面教師である。
①彼らは、神の約束された安息に入れなかった。
②彼らは、荒野で死んだ。
③そのように、不信仰な状態を続ければ、死を招く可能性がある。
④しかし、魂の救いを失うことはない。
2.12~13節
Heb 4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
Heb 4:13 造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。
(1)奨励の根拠
①神のことばが働いている。
②神のことばには、5つの特徴がある。
(2)信者は、いつか神の御前で申し開きをすることになる。
①神の前で隠れおおせるものは何一つない。
②「記憶にない」、「文書は廃棄した」は、神の裁きの座では通用しない。
③神に対して弁明をすることは、恐ろしいことである。
結論:神のみことばの5つの特徴
1.ヘブ4:12
Heb 4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
2.5つの特徴
(1)生きている。
①生きている神から出たことばなので、神の性質を反映している。
②霊的に死んだ者を甦らせることができる。
(2)力がある。
①ギリシア語で「エネルゲス」。
②活発に働いている。その結果、生きていることを証明している。
③コロ1:29
Col 1:29 このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。
(3)鋭い。
①鋭利な両刃の剣よりも鋭い。
②エペ6:17
Eph 6:17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
(4)刺し通す。
①「たましいと霊」の分かれ目を刺し通す。
*「たましい」と「霊」は、互換性のある言葉である。
*人間の内面の2つの側面を表現する言葉である。
*人間の内面が2分割されているという意味ではない。
②「関節と骨髄」の分かれ目を刺し通す。
*「関節」と「骨髄」は、人間の肉体の2つの側面である。
(5)判別することができる。
①ギリシア語の「クリティコス」(形容詞)。英語の「critic」。
②「心のいろいろな考え」とは、実際に考えている内容である。
③「はかりごと」とは、内面の動機である。
Mat 11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
Mat 11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
Mat 11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
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