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60分でわかる旧約聖書(25)哀歌
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哀歌の内容について学ぶ。
60分でわかる旧約聖書(25)「哀歌」
1.はじめに
(1)預言者エレミヤ
①エレミヤは、捕囚期前の預言者である。
②彼は、「涙の預言者」として知られている。
*涙の訳を知ったなら、エレミヤ書のメッセージを理解したことになる。
③彼は、繊細で慎み深い人物であるが、ユダの罪を糾弾する奉仕に召された。
④ヨシヤ王の第13年(前627年)から働きを開始した。
⑤最後の王ゼデキヤ(597~586年)の代まで働きを続けた。
(2)国際情勢
①エレミヤが活動を開始した当時は、アッシリヤが覇権国であった。
②しかし、エジプトとバビロンがその力を増しつつあった。
③前607年、バビロンはニネベを攻略し、アッシリヤを滅ぼした。
④次にバビロンは、ユダに侵攻してきた。
⑤ユダの指導者層は、エジプトに援助を求めるように王に進言した。
⑥エレミヤは、それに反対した。
*ユダの希望は、悔い改めによって【主】に立ち返ることにある。
⑦バビロンは、ユダを征服し、エルサレムを破壊した(前586年)。
⑧エレミヤは、エルサレムの崩壊を嘆き、「哀歌」を書いた。
2.アウトライン
(1)書名
(2)特徴
(3)構成
①嘆きのパターン
②アルファベット歌
③キアズム(交差対句法)
3.結論
(1)不信仰の罪がもたらす3つの嘆き
(2)申命記28章との関係
哀歌の内容について学ぶ。
Ⅰ.書名
1.哀歌1:1の最初の言葉から取られている。
Lam 1:1 ああ、人の群がっていたこの町は、/ひとり寂しくすわっている。/国々の中で大いなる者であったのに、/やもめのようになった。/諸州のうちの女王は、/苦役に服した。
(1)「ああ」と訳された言葉は、「アイェカー」である。
①「なにゆえ」(新共同訳)
②「ああ」(口語訳)
③「ああ哀しいかな」(文語訳)
④英語では、「Alas!」や「How」などと訳される。
(2)この言葉は、嘆きの表現に特徴的なものである。
①2サム1:19(ダビデが詠んだ「弓の歌」)
2Sa 1:19 「イスラエルの誉れは、/おまえの高き所で殺された。/ああ、勇士たちは倒れた。
②エレ9:19
Jer 9:19 シオンから嘆きの声が聞こえるからだ。/ああ、私たちは踏みにじられ、いたく恥を見た。/私たちが国を見捨て、/彼らが私たちの住まいを投げやったからだ。
2.ラビ文書やタルムードは、「キノット」(弔歌)という書名を採用した。
(1)七十人訳聖書(ギリシア語)
①その言葉を「スレノイ」と訳した。
(2)ヴルガータ訳聖書(ラテン語)
①その言葉を「スレニ」と訳した。
(3)英語訳聖書
①その言葉を「Lamentations」と訳した。
②あるいは、「The Lamentations of Jeremiah」と訳した。
Ⅱ.特徴
1.哀歌は、エレミヤ書の続編、あるいは、後書きである。
(1)七十人訳聖書は、前書きを付けている。
「イスラエルが捕囚に引かれて行き、エルサレムが荒廃した後、エレミヤは座して
嘆き、エルサレムのために哀歌を詠んで、こう言った」
①ヴルガータ訳も同じ前書きを付けている。
(2)エレミヤが預言した通りのことが起こった。
①エルサレムは略奪され、神殿は破壊された。
②ユダの民はバビロン捕囚に連行された。
③しかし、エレミヤはそれを自慢するのではなく、大いに嘆いた。
(3)エレミヤは、弔歌(挽歌)を書いた。
①エルサレム崩壊(前586年)の直後であろう。
②弔歌とは、死者を弔うための歌である。
*エルサレムが死んだことを嘆いているのである。
③通常、弔歌では死者の長所を挙げて、死者の死を悼む。
④哀歌では、エルサレムの罪への言及がたびたび出てくる。
2.哀歌には、5つの弔歌がある。
(1)哀歌は5章から成っている。
①それぞれの章が独立した弔歌である。
(2)過去を振り返るだけの悲しみの書ではない。
①ここには、残れる者たちへのメッセージがある。
②それは、罪がもたらす悲惨な結果を思い出させるためのメッセージである。
③さらに、神に立ち返れという希望のメッセージがある。
Ⅲ.構成
1.嘆きのパターン
(1)「ああ」(アイェカー)の繰り返し
①「ああ」(アイェカー)は、深い悲しみを表現する言葉である。
(2)5章の中の3章までが、この言葉で始まっている。
①哀1:1
Lam 1:1 ああ、人の群がっていたこの町は、/ひとり寂しくすわっている。/国々の中で大いなる者であったのに、/やもめのようになった。/諸州のうちの女王は、/苦役に服した。
②哀2:1
Lam 2:1 ああ、主はシオンの娘を/御怒りで曇らせ、/イスラエルの栄えを天から地に投げ落とし、/御怒りの日に、/ご自分の足台を思い出されなかった。
③哀4:1
Lam 4:1 ああ、金は曇り、美しい黄金は色を変え、/聖なる石は、あらゆる道ばたに投げ出されている。
2.アルファベット歌
(1)1~4章がアルファベット歌になっている。
①翻訳は不可能である。
(2)哀歌の1章、2章、4章は22節から成っている。
①ヘブル語のアルファベットは22文字から成る。
(3)哀歌の3章は、66節から成っている。
①3節ごとの区切りで、アルファベット歌になっている。
②3章が最も重要な章である。
(4)5章だけがアルファベット歌ではない。
①5章も22節から成っている。
(5)アルファベット歌になっている理由
①イスラエルの民が暗唱しやすいようにするための文学手法であろう。
*エルサレム崩壊から来る教訓を、民が忘れないようにした。
②罪がもたらす結果の恐ろしさを教えるための文学手法であろう。
*エルサレムが経験したのは、神の裁きの「AからZ」である。
3.キアズム(交差対句法)
(1)意図的な文学的工夫がある。
①1章は、民に焦点を合わせている。
②2章は、【主】に焦点を合わせている。
③3章は、苦難の中でのエレミヤの応答である。
④4章は、【主】に焦点を合わせている。
⑤5章は、民に焦点を合わせている。
*「民-【主】-エレミヤ-【主】-民」という流れになっている。
(2)完璧な対称形を破るために、5章をアルファベット歌にしていない。
①5章は、神の裁きに対する民の応答である。
②哀5:1
Lam 5:1 【主】よ。私たちに起こったことを思い出してください。/私たちのそしりに目を留めてください。/顧みてください。
③哀5:22
Lam 5:22 それとも、/あなたはほんとうに、私たちを退けられるのですか。/きわみまで私たちを怒られるのですか。
④哀歌は、民を悔い改めに導く書である。
結論
1.不信仰の罪がもたらす3つの嘆き
(1)エルサレムの崩壊とバビロン捕囚を目撃したユダの残れる者たちの嘆き
①エレミヤもその一員である。
②と同時に、彼は残れる者たちの代弁者でもある。
(2)十字架上でのメシアの嘆き
①哀1:12
Lam 1:12 道行くみなの人よ。よく見よ。/【主】が燃える怒りの日に私を悩まし、/私をひどいめに会わされた/このような痛みがほかにあるかどうかを。
②メシアは、私たちの罪のために不条理な苦しみを通過された。
(3)将来のイスラエルの民の嘆き
①不信仰なイスラエルの民は、大患難時代を通過する。
②エレ30:7
Jer_30:7 災いだ、その日は大いなる日/このような日はほかにはない。ヤコブの苦しみの時だ/しかし、ヤコブはここから救い出される。
2.申命記28章との関係
(1)哀歌は、申28章に預言されている呪いが成就したことを示そうとしている。
①John A. Martin(1975年、ダラス神学校に提出された修士論文)
(2)エレミヤの悲しみや苦難は、約900年前にモーセが預言していたものである。
①モーセは、不信仰がもたらす悲惨な結果を預言していた。
②神は、ご自身の約束通り、不信仰と不従順の罪を裁かれた。
(3)神は、ご自身がイスラエルと結ばれた契約に忠実なお方である。
①イスラエルは、罪のゆえに裁かれた。
②しかし、神の恵みのゆえに滅びることはなかった。
③悔い改めなら、イスラエルは回復される(申30:1~10)。
(4)エレミヤは、【主】への立ち返りを民に説いた。
①哀3:21~32
Lam 3:21 私はこれを思い返す。/それゆえ、私は待ち望む。
Lam 3:22 私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。/主のあわれみは尽きないからだ。
Lam 3:23 それは朝ごとに新しい。/「あなたの真実は力強い。
Lam 3:24 【主】こそ、私の受ける分です」と/私のたましいは言う。/それゆえ、私は主を待ち望む。
Lam 3:25 【主】はいつくしみ深い。/主を待ち望む者、主を求めるたましいに。
Lam 3:26 【主】の救いを黙って待つのは良い。
Lam 3:27 人が、若い時に、くびきを負うのは良い。
Lam 3:28 それを負わされたなら、/ひとり黙ってすわっているがよい。
Lam 3:29 口をちりにつけよ。/もしや希望があるかもしれない。
Lam 3:30 自分を打つ者に頬を与え、/十分そしりを受けよ。
Lam 3:31 主は、いつまでも見放してはおられない。
Lam 3:32 たとい悩みを受けても、/主は、その豊かな恵みによって、/あわれんでくださる。
(5)哀5:21~22は、哀歌に書かれた教訓を学んだ人々の祈りである。
Lam 5:21 【主】よ。あなたのみもとに帰らせてください。/私たちは帰りたいのです。/私たちの日を昔のように新しくしてください。
Lam 5:22 それとも、/あなたはほんとうに、私たちを退けられるのですか。/きわみまで私たちを怒られるのですか。
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