私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ローマ人への手紙(38)—拒否の理由(2)—
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ユダヤ人の拒否の理由を学ぶ。
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「拒否の理由(2)―的外れの熱心さ―」
1.はじめに
(1)ロマ書9の文脈
①イスラエル人は7つの特権を与えられているがメシアを拒否した(1~5節)。
②しかし、イスラエル人の一部しか救われていないのは、神の計画である。
③神は、権威をもって救われる人たちを選んでおられる。
④イスラエルの拒否の理由は、彼らの頑なさにある。
*神の主権による選び
*人間の側の責任
(2)きょうの箇所では、神の義についての無知が取り上げられている。
①頑なさは、無知から来ている。
②重要であるが、難解な箇所が出てくる。
2.アウトライン
(1)パウロの願い(1~2節)
(2)律法による義(3~5節)
(3)信仰による義(6~11節)
3.メッセージのゴール(適用)
(1)パウロの回心
(2)「イエスは主なり」という告白
このメッセージは、ユダヤ人の拒否の理由を学ぼうとするものである。
Ⅰ.
パウロの願い(1~2節)
1.1節
「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救わ
れることです」
(1)パウロの個人的願望が表明されている。
①ロマ9:1と同じ。
(2)パウロは、同胞の救いを望み、そのために祈っている。
①神の選びの教理を取り扱う際には注意が必要である。
②その教理は、救われている者には、さらなる確信を与えるものである。
③しかし、人間の側の責任を無視してはならない。
④神の神秘(誰が救われるか分からない)によって、伝道と祈りの意欲が制限さ
れてはならない
2.2節
「私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基
づくものではありません」
(1)パウロは自らを証人にしている。
①彼自身が、かつてパリサイ派に属していた。
②目撃者の証言である。
(2)ユダヤ人たちは、神に対して熱心である。
①「熱心に神に仕えている」(新共同訳)
②つまり彼らは、神についての知識を有している。
③その熱心さが、パウロの痛みの原因となっている。
(3)しかし、その熱心は知識に基づくものではない。
①知識 「グノーシス」
②ここでの知識は、「エピグノーシス」
③「この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません」(新共同訳)
④「その熱心は深い知識によるものではない」(口語訳)
⑤神に関する知識を持っていたが、キリストにあって神を知ることはなかった。
(4)ホセ4:6
「わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあ
なたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしも
また、あなたの子らを忘れよう」
(5)人は、熱心さや誠実さだけで救われるのではない。
(例話)モルモンの家庭にホームステイした。
Ⅱ.律法による義(3~5節)
1.3節
「というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わな
かったからです」
(1)彼らは、神の義について無知であった。
①パウロが、1~8章で論じてきた内容である。
②神は、信仰と恵みによって、人を義としてくださる。
(2)彼らは、自分自身の義を立てようとした。
①律法を行うことによる義である。
(3)自分自身の義を立てることは、神の義を拒否することである。
(例話)マサダのケーブルカー(登れる山だと思う人、自分の足に自信のある人)
2.4節
「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです」
(1)彼らは、4節の真理について無知であった(非常に難解な聖句である)。
「キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのであ
る」(口語訳)
「キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために」(新共同
訳)
(2)「テロス」というギリシア語が問題
①「終わり」という意味。その場合は、「律法の終わり」となる。
②「目標(ゴール)」という意味。その場合は、「律法の目標」となる。
③両方の意味があると考えてよい。
*キリストは、律法の要求をすべて満たし、それを終わらせた。
*律法が与えられた目的は、人をキリストに導くためである。
(3)ユダヤ人たちは、その両方を見失った。
①つまり、信仰による義を受け入れなかったということ。
3.5節
「モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いています」
(1)律法による義が不可能であることを証明するために、レビ記を引用する。
「あなたがたは、わたしのおきてとわたしの定めを守りなさい。それを行う人は、そ
れによって生きる。わたしは【主】である」(レビ18:5)
①「それを行う人は、それによって生きる」
②行わなかったなら、生きられない。
③律法を完全に行うことは不可能である。
(2)律法による義が不可能なら、信仰による義しか救いの道は残されていない。
Ⅲ.信仰による義(6~11節)
1.6~7節
「しかし、信仰による義はこう言います。『あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、
と言ってはいけない』。それはキリストを引き降ろすことです。また、『だれが地の奥底に
下るだろうか、と言ってはいけない』。それはキリストを死者の中から引き上げることです」
(1)この聖句は、信仰の義について、説明している。
(2)申30:11~13
「まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしす
ぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。これは天にあるのではないから、
『だれが、私たちのために天に上り、それを取って来て、私たちに聞かせて行わせよ
うとするのか』と言わなくてもよい。また、これは海のかなたにあるのではないから、
『だれが、私たちのために海のかなたに渡り、それを取って来て、私たちに聞かせて
行わせようとするのか』と言わなくてもよい」
①この箇所は、神の義は近くにあることを教えている。
*天に上って、それを取って来る必要はない。
*海のかなたに渡り、それを取って来る必要はない。
(3)パウロは、この聖句をキリストに適用している。
①神の義を得るために、天に上ったり、地の奥底に下ったりする必要はない。
②神の義は、人間の業とは無関係に与えられるからである。
③キリストはすでに、地上に下られた(受肉)。
④キリストはすでに、よみがえられた(復活)。
⑤人間の側で何かを付け加える必要はない。
2.8節
「では、どう言っていますか。『みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あな
たの心にある』。これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです」
(1)申30:14の引用
①神の義は、すぐ近く、手を伸ばせば届くところにある。
②口で告白し、心で信じるのが神の義を得る方法である。
③これが、パウロが伝えている「信仰のことば」(福音)である。
3.9~10節
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中
からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じ
て義と認められ、口で告白して救われるのです」
(1)極めて重要な聖句である。
(2)交差対句法(chiasm)
①口で告白し→心で信じる
②心に信じて→口で告白して
③告白と信じることが、同時に起こっている。
(3)信仰の内容
①「神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださった」ということ
②復活は、イエスの教えと行いとが、すべて真理であることを証明する。
(4)告白の内容
①「イエスは主なり」ということ。
4.11節
「聖書はこう言っています。『彼に信頼する者は、失望させられることがない』」
(1)イザ28:16
「だから、神である主は、こう仰せられる。『見よ。わたしはシオンに一つの石を礎と
して据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信
じる者は、あわてることがない』」
①信仰だけが救いの条件である。
結論
1.パウロの回心
(1)同胞たちの今の状態は、かつての自分と同じ。
①神に仕えることに熱心である。
②その熱心さは、正しい知識に基づくものではない。
③熱心であるがゆえに、かえって、神の義を拒否している。
(2)パウロは、ダマスコ途上で復活のキリストと出会った。
使9:3~8
「ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が
彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』
という声を聞いた。彼が、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、お答えがあっ
た。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町に入りなさ
い。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです』。同行し
ていた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々
は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った」
使9:17~19a
「そこでアナニヤは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いてこう言
った。『兄弟サウロ。あなたの来る途中、あなたに現れた主イエスが、私を遣わされ
ました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです』。するとただ
ちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立
ち上がって、バプテスマを受け、食事をして元気づいた」
(3)パウロはこの体験を同胞にもして欲しいと願った。
2
.「イエスは主なり」という告白
(1)初代教会の信者たちの告白
1コリ12:3
「ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る
者はだれも、『イエスはのろわれよ』と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だ
れも、『イエスは主です』と言うことはできません」
(2)主とは「キュリオス」である。
①LXXでは、ヤハウェをギリシア語のキュリオスと訳した(6000回以上)。
②旧約聖書に慣れ親しんだユダヤ人信者たちは、イエスをキュリオスと呼んだ。
③直訳すれば、「イエスはヤハウェである」という信仰告白になる。
(3)聖書的キリスト論
①キリストの人間性と神性が告白されている。
②イエスは、全知全能の神ご自身である。
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