私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ローマ人への手紙(25)—律法からの解放(2)—
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このメッセージでは...
聖化の原理について学ぶ。
チャート「神の義の啓示」
「律法からの解放(2)―罪と律法の関係―」
1.はじめに
(1)「聖化」について3度学んだ。これは4回目のメッセージ。
①最大の悲劇は、律法を行うことによって聖化を達成しようとすること。
②この理解は、クリスチャン生活を律法主義的生活に追い込む。
③聖書が教える救いの正しい理解とは:
*義認(過去形の救い)は、信仰により、恵みによる。
*聖化(現在進行形の救い)もまた、信仰により、恵みによる。
*栄化(未来形の救い)もまた、信仰により、恵みによる。
(2)きょうは、罪と律法の関係について学ぶ。
①本来よいものであるはずの律法が、どうして死をもたらすのか。
(3)きょうの箇所は、パウロの体験が土台になっている。
①「私」という一人称が、9回使われている。
②自分の体験を基に、普遍的真理を述べている。
③パウロの「私」は、私の「私」でもある。
2.メッセージのアウトライン
(1)律法の目的(1)(7節)
(2)律法の目的(2)(8~12節)
(3)律法の目的(3)(13節)
3.メッセージのゴール
(1)律法に関する誤解
(2)聖化に関する誤解
(3)罪に関する誤解
このメッセージは、聖化の原理について学ぼうとするものである。
Ⅰ.律法の目的(1):「私」に罪を示す。
1.7節a
「それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことは
ありません」
(1)「律法は罪なのか」
①パウロは、前回の箇所で律法に関して否定的なことを言った。
②これは、論理的帰結であり、当然の疑問である。
(2)絶対にそんなことはありません。
①ギリシア語の強意の否定形。メイ・ゲノイト
②ロマ6:2、15
③問題は律法にではなく、人間の側にある。
2.7節b
「ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、『むさぼっ
てはならない』と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう」
(1)パウロは、自分に罪はなかったと言っているのではない。
①罪の性質は、アダム以来、全人類が引き継いでいる。
②罪の性質に従って生きていても、それが罪であるという認識はない。
(例話)テレビのメッセージの中で、偶像礼拝を指摘した経験
③律法が与えられて初めて、罪の認識が起こる。
(2)「むさぼってはならない」
①出20:17
「あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、そ
の男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはなら
ない」
②申5:21
(3)「むさぼりを知らなかった」
①むさぼりが罪であることを知らなかった、という意味。
②知らなかったとは、体験的知識がなかったという意味。
Ⅱ.律法の目的(2)(8~12節):律法は、「私」にもっと罪を犯させる。
1.8節
「しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こ
しました。律法がなければ、罪は死んだものです」
(1)この聖句は、非常に重要である。
①「戒め」(エントレイ)は、個々の掟のこと。
②集合体としての「律法」(ノモス)と同じ意味で使用されている。
(2)「機会」という言葉が、罪と律法の関係をよく説明している。
①ギリシア語で「アフォルメイ」という。
②これは、軍事用語である。
*base of operation(敵地に築く作戦基地)
*橋頭堡(bridgehead)
*上陸拠点(beachhead)
③律法は、罪という敵が、人間の性質に侵入する時の拠点である。
(3)「むさぼってはならない」という戒めが与えられた。
①罪という敵は、その戒めを橋頭堡にして、私の内に侵入した。
②その結果、私はあらゆるむさぼりをするようになった。
③律法が命じることと正反対のことをしたくなるのが、罪の性質である。
(4)「律法がなければ、罪は死んだものです」
①罪は存在する。
②しかし、破るものがなければ、罪は罪として認識されない。
2.9節
「私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にまし
た」
(1)「律法なしに生きていた」とは、いつのことか。
①バール・ミツバの前のこと
②信者になりたての頃
*「律法とはかかわりなく、生かされていた」
*②の解釈がよい。
(2)パウロ自身の回心体験
①使9章の体験
②使9:9
「彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった」
③救われて3日後に、義認は恵みによることを理解した。
④彼は「律法とはかかわりなく、生かされる」状態になった。
(2)「戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました」
①律法を行うことによって、聖化は可能と考えた。
②聖霊の内住があるので、律法を実行する力があると考えた。
③しかし、そう考えた途端に、罪が侵入し、私は死んだ。
④1コリ15:56
「死のとげは罪であり、罪の力は律法です」
「死は人を傷つける力を罪から得、罪はその力を律法から得る」(意訳)
3.10~12節
「それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、
わかりました。それは、戒めによって機会を捕らえた罪が私を欺き、戒めによって私を殺
したからです。ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良い
ものなのです」
(1)律法はいのちに導く。
①レビ18:5
「あなたがたは、わたしのおきてとわたしの定めを守りなさい。それを行う人は、
それによって生きる。わたしは【主】である」
(2)律法は、聖であり、正しく、良いものである。
(3)しかし、罪は律法によって機会を捕えた。
①罪は、律法によって聖化が得られるかのように、私を欺いた。
②しかし、律法を守れないので、それは死に導いた。
③分かったとは、パウロの体験的知識である。
Ⅲ.律法の目的(3):律法は、罪がいかに深いものであるかを「私」に教える(13節)。
1.13節
「では、この良いものが、私に死をもたらしたのでしょうか。絶対にそんなことはありま
せん。それはむしろ、罪なのです。罪は、この良いもので私に死をもたらすことによって、
罪として明らかにされ、戒めによって、極度に罪深いものとなりました」
(1)問題は、律法にではなく、罪にある。
(2)律法は、「私」の罪がいかに深いものであるかを示した。
①絶望に追い込まれる。
②それゆえ、神の恵みによる聖化しかないことが分かる。
結論:
1.律法に関する誤解
(1)律法はよいものである。
(2)律法と、律法主義を区別する。
(3)ユダヤ人伝道において、非常に重要な理解である。
2.聖化に関する誤解
(1)律法によるのではない。
(2)信仰により、恵みによって聖化の過程が進む。
3.罪に関する誤解
(1)罪は現実に存在する力である。
(2)人間の可能性だけを言うのが、現代の傾向である。
(3)パウロは、ロマ7章で、大いなる心理学的洞察を与えている。
(例話)精神科医と罪
カール・メニンガー(Karl Menninger、1893 – 1990)
アメリカの医学者、精神科医、精神分析家。
カンザス州トピカに医者の子として生まれる。
1925
年メニンガークリニックを創設する。
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