私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(200)—キリストの死に伴う諸現象—
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メシアの死に伴う諸現象の意味について考えてみよう。
「キリストの死に伴う諸現象」
マタ27:51~56
1.はじめに
(1)文脈の確認
①福音の三要素が展開されて行く。
*キリストの死
*埋葬
*復活
②キリストの死後、いくつかの不思議な現象が矢継ぎ早に起こった。
③キリストの死、埋葬、復活は歴史的事実である。
④これらの現象もまた、歴史的事実として字義通りに解釈する必要がある。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
§ 166 キリストの死に伴う諸現象
マコ15:38~41、マタ27:51~56、ルカ23:45、47~49
2.アウトライン
(1)裂けた神殿の幕
(2)地震
(3)聖徒たちの復活
(4)百人隊長
(5)ガリラヤから来た女たち
3.結論:
(1)ヘブ4:14~16
(2)ヘブ10:19~22
メシアの死に伴う諸現象の意味について考えてみよう。
Ⅰ.避けた神殿の幕
1.51節a
Mat 27:51a すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
(1)諸現象の中で最も重要なものは、これである。
2.神殿の幕
(1)神殿の聖所と至聖所を分ける幕である。
①長さが約18メートル、厚さが約10センチ。
②この幕の内側に入れたのは、大祭司だけである。それも年に一度だけ。
③大祭司→アロンの家系→ケハテ氏族→レビ族→イスラエルの民→全人類
(2)この幕が、上から下まで真っ二つに裂けた。
①神の御手がこれを為した。
②人間が下から上に裂いたのではない。
③神は、旧約時代の大祭司だけでなく、すべての人が神の臨在に近づけることを
示された。
(3)このことは、祭司たちに深い印象を残したと思われる。
①使6:7
Act 6:7 こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。
Ⅱ.地震
1.51節b
Mat 27:51a そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。
2.地震の原因と規模
(1)裂けたという動詞が2回繰り返されている(幕が裂けた)。
①ギリシア語で「スキゾウ」である。
②神の御手で、岩が裂けた。
③神の御子の死は、被造世界に大きな衝撃をもたらした。
④規模は、エルサレム周辺である(狭い地域での地震)。
(2)マタイ以外にこれを記録している人がいる。
①地震を記録した人
Phlegon(quoted by Julius Africanus, in his ‘Chronographia’, and by
Eusebius, in his ‘Chronicon’)
② ゴルゴタに亀裂が出来たことを証言した人
*St. Cyril, Bishop of Jerusalem (’Cateches.,’ 13.33)
Ⅲ.聖徒たちの復活
1.52~53節
Mat 27:52 また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。
Mat 27:53 そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現れた。
2.2つの解釈がある。
(1)地震と同時に墓が開き、多くの聖徒たちのからだが生き返った。
①イエスの復活の後に、彼らは墓から出て来て、エルサレムに入った。
(2)地震と同時に墓が開いたが、その時点では聖霊たちのからだは生き返らなかった。
①墓が開いたのは、イエスが死に勝利したことの象徴である。
②イエスの復活の後に、彼らは復活し、墓から出てエルサレムに入った。
(3)ギリシア語では、両方の解釈が可能である。
①いずれにしても、栄光の体に甦ったのは、イエスが最初である。
②イエスの復活は、初穂の祭りの成就である。
(4)この復活は、朽ちない体への復活ではなく、蘇生である。
①ナインのやもめのひとり息子(ルカ7:13~15)
②ヤイロの娘(ルカ8:52~56)
③ラザロ(ヨハ11:43~44)
④ここでは、聖徒たちの復活である。
*彼らはエルサレムに入り、家族や友人たちの前に現れた。
⑤エルサレムで復活した聖徒たちは、栄光の体に復活する聖徒たちの型である。
Ⅳ.百人隊長
1.54節
Mat 27:54 百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった」と言った。
2.イエスの死後、最初に信仰的な反応を示したのは、異邦人であった。
(1)イエスを処刑した兵士たち
①百人隊長
②イエスの見張りをしていた人々
(2)彼らは、非常な恐れを感じた。
①地震やいろいろの出来事を見たから。
②彼らは、異常現象をイエスの死と関連付けた。
③彼らは、自分たちの上に罰が下ることを恐れた。
3.告白の内容
(1)マタとルカの比較
①「この方はまことに神の子であった」(マタ27:54)
②「ほんとうに、この人は正しい方であった」(ルカ23:47)
(2)彼らが理解した内容が正しかったのかどうかは、判定困難である。
①彼らは、イエスが自らを「神の子」としていたことを知っていた。
②しかし、ユダヤ人が理解するような内容ではなかったであろう。
③いずれにしても、彼らの内に信仰の芽が育ち始めたことを否めない。
④ユダもピラトも、イエスが無罪であることを認めていた。
⑤ここでは、百人隊長がイエスの無罪を認めた。
⑥人の怒りが、最後に賛美に変わっている。
(3)この百人隊長に関する伝承
①この百人隊長の名前は「ロンギナス」である。
②後にイエスを信じる忠実な信者となった。
③伝道し、最後は殉教の死を遂げた。
Ⅴ.ガリラヤから来た女たち
1.55~56節
Mat 27:55 そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。
Mat 27:56 その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。
2.ガリラヤからエルサレムまで、イエスに仕えるために来た女たち
(1)彼女たちは、使徒たちが目撃しなかったことの証人となった。
①男たちの場合は、反逆者の仲間と見なされる可能性がより高かった。
②それにしても、これらの女たちは勇敢である。
(2)女たちの名前
①マグダラのマリア
②ヤコブとヨセフとの母マリア(クロパの妻マリア、ヨハ19:25)
③ゼベダイの子らの母(サロメ)
(3)女たちの気持ちについて、マタイは何も記していない。
①深い悲しみ
②同情
③愛
④以上の感情が、次の埋葬と復活の物語につながっていく。
(4)イエスが贖罪の死を遂げて以降、イエスの友だけがイエスの遺体に手を振れるこ
とを許された。
①アリマタヤのヨセフとニコデモが次に登場する。
②女たちはイエスの埋葬を見守り、自分たちで手厚く葬ろうとした。
結論:
1.ヘブ4:14~16
Heb 4:14 さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
Heb 4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
Heb 4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
(1)人は死ぬと、全知全能の神に対して弁明することになる(4:13)。
(2)しかし、恐れる必要はない。
①私たちには、偉大な大祭司である神の子イエスがおられる。
②この方は、第一の天と第二の天を通って、第三の天に昇られた。
②それゆえ、信仰に堅く立つことができる。
(3)大祭司の特徴
①私たちと同じように、試みに会われた。
②しかし、罪は犯されなかった。
③私たちの弱さに同情できない方ではない。
(4)私たちは、大祭司イエスを通して、大胆に御座に近づくことができる。
①御座に近づくために、使徒や牧師の仲介はいらない。
②すべての信者が、イエスを通して御座に近づくことができる。
③なぜなら、イエスが罪の代価をすべて払ってくださったから。
2.ヘブ10:19~22
Heb 10:19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。
Heb 10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
Heb 10:21 また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。
Heb 10:22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。
(1)神殿の幕は、イエスの肉体の型である。
①垂れ幕が裂かれたように、イエスの肉体も裂かれた。
②垂れ幕が裂かれたので、至聖所への道が開かれた。
③イエスの肉体が裂かれたので、天の至聖所への道が開かれた。
(2)律法の時代の大祭司は、まことの大祭司であるイエスの型である。
①イエスが大祭司として働いておられるので、私たちは大胆に神に近づくことが
できる。
(3)神から招かれた私たちは、何をもって御前に出ればよいのか。
①新生体験(心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水
で洗われた)
②全き信仰
③真心
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