メシアの生涯(184)—ゲツセマネ途上での説教(5)—

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恵みの時代における新しい教えについて学ぶ。

「ゲツセマネ途上での説教(5)」

ヨハ16:16~33

1.はじめに

  (1)文脈の確認

    ①最後の晩餐の後、イエスの最後の長い説教が続く。

②ヨハ14章 部屋の中で語られた。

③15、16章 ゲツセマネの園に向かう途中で語られた。

    ③人類救済計画の時代区分(ディスペンセーション)が移行しつつある。

      *律法の時代→恵みの時代

    (2)A.T.ロバートソンの調和表

    §150 ゲツセマネの園に向かう途中でのメッセージ

2.アウトライン

  (1)ぶどうの木とその枝(15:1~10)

  (2)イエスの友(15:11~17)

  (3)この世から受ける憎しみ(15:18~16:4)

  (4)聖霊の働き(16:5~15)

  (5)悲しみから喜びへ(16:16~33)

    ①イエスとの再会

    ②イエスの名によって父に祈る

    ③患難と平安

  3.結論:

    (1)悲しみから喜びへ

    (2)祈りの変化

恵みの時代における新しい教えについて学ぶ。

Ⅰ.イエスとの再会(16~22節)

   1.16節

Joh 16:16 しばらくするとあなたがたは、もはやわたしを見なくなります。しかし、またしばらくするとわたしを見ます。」

     (1)聖霊の働きというテーマから、すぐに起こることの予告へと移行する。

      ①イエスがいなくなるので、弟子たちは悲しみ、痛み、落胆を経験する。

      ②しかし、しばらくするとイエスを見るので、喜びに満たされる。

      ③「しばらくすると」という意味は、弟子たちには不明であった。

    (2)今でも、「しばらくすると」という意味について議論がある。

      ①復活のイエスと出会うまでの3日間であろう。

   2.17~18節

Joh 16:17 そこで、弟子たちのうちのある者は互いに言った。「『しばらくするとあなたがたは、わたしを見なくなる。しかし、またしばらくするとわたしを見る』、また『わたしは父のもとに行くからだ』と主が言われるのは、どういうことなのだろう。」

Joh 16:18 そこで、彼らは「しばらくすると、と主が言われるのは何のことだろうか。私たちには主の言われることがわからない」と言った。

     (1)弟子たちには、イエスの教えは矛盾しているように感じられた。

      ①しばらくすると、見なくなる。

      ②またしばらくすると、見る。

    (2)彼らは、イエスに質問するのではなく、互いに議論し合った。

      ①かなりの時間の経過があったと思われる。

      ②結論は出なかった。

      ③彼らは、イエスの死、復活、40日間の教え、昇天という一連の出来事により、

イエスの教えを理解するようになる。

   3.19~20節

Joh 16:19 イエスは、彼らが質問したがっていることを知って、彼らに言われた。「『しばらくするとあなたがたは、わたしを見なくなる。しかし、またしばらくするとわたしを見る』とわたしが言ったことについて、互いに論じ合っているのですか。

Joh 16:20 まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。

     (1)イエスは、弟子たちの当惑を知っていた。

①弟子たちの疑問には直接答えず、別の情報を追加した。

②時の経過と聖霊の働きによって、弟子たちの疑問は解けると考えた。

    (2)「まことに、まことに」は、厳粛な予告をする際のことばである。

      ①弟子たちは、イエスの死を嘆き悲しむ。

      ②この世はそれを喜ぶ。イエスを十字架につけることができたから。

      ③しかし、弟子たちの悲しみは喜びに変わる。

   4.21~22節

Joh 16:21 女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。

Joh 16:22 あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。

     (1)悲しみや痛みが喜びに変わる例として、女性の出産が上げられる。

      ①赤子が生まれると、妊婦はすぐに激しい苦痛を忘れる。

    (2)弟子たちは、陣痛の時を迎えているが、やがて喜びに満たされる。

      ①復活のイエスに出会った時に、それが起こる。

      ②その喜びは、いつまでも続く。イエスが永遠に生きるから。

Ⅱ.イエスの名によって父に祈る(23~28節)

   1.23~24節

Joh 16:23 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。

Joh 16:24 あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。

     (1)「その日」とは、昇天後のことである。

      ①イエスがいなくなるので、イエスに質問することはできない。

      ②弟子たちは、イエスの代理人(大使)である。

      ③代理人として、イエスの名によって父に求める。

    (2)「イエスの名によって求める」とは、「おまじない」ではない。

      ①イエスの意図に沿って求めるのである。

      ②イエスは父なる神の御心だけを行う。

      ③それゆえ、「イエスの名による祈り」は、父なる神の御心と調和した祈りである。

   2.25節

Joh 16:25 これらのことを、わたしはあなたがたにたとえで話しました。もはやたとえでは話さないで、父についてはっきりと告げる時が来ます。

     (1)イエスは、ベルゼブル論争(マタ12章)以降、たとえで教えた。

      ①一般民衆は、その意味が理解できなかった。

      ②弟子たちには、個人的な解説が与えられた。

    (2)たとえではなく、はっきりと話す時が来る。

      ①特に、父なる神に関する啓示がそれである。

      ②使徒の働き、書簡には、直接的な教えが記されている。

   3.26~27節

Joh 16:26 その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。

Joh 16:27 それはあなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て来た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです。

     (1)弟子たちはイエスの名によって、直接父に願うことができる。

      ①イエスが弟子たちに代わって父に願うのではない。

      ②これは、イエスの大祭司としての働きを否定しているのではない。

    (2)弟子たちはイエスを信じたので、父なる神と愛の関係に入っている。

   4.28節

Joh 16:28 わたしは父から出て、世に来ました。もう一度、わたしは世を去って父のみもとに行きます。」

     (1)これは、イエスの使命を一文で要約したものである(原文では一文)。

      ①前半は、受肉と辱めを表している。

      ②後半は、復活、昇天、栄化を表している。

    (2)これは、イエスの神性宣言である。

      ①預言者たちは神から派遣されたが、御子は「父から出た」。

Ⅲ.患難と平安(29~33節)

  1.29~30節

Joh 16:29 弟子たちは言った。「ああ、今あなたははっきりとお話しになって、何一つたとえ話はなさいません。

Joh 16:30 いま私たちは、あなたがいっさいのことをご存じで、だれもあなたにお尋ねする必要がないことがわかりました。これで、私たちはあなたが神から来られたことを信じます。」

     (1)弟子たちは、イエスの教えをようやく理解した。

      ①イエスがたとえではなく、はっきりと話したから。

    (2)イエスが全能のお方であることを理解した。

      ①イエスは、「わたしは父から出て」と言われた。

      ②弟子たちは、「あなたが神から来られたことを信じます」と応じた。

      ③彼らは、三位一体の神ということをどれくらい理解したのだろうか。

  2.31~32節

Joh 16:31 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは今、信じているのですか。

Joh 16:32 見なさい。あなたがたが散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとり残す時が来ます。いや、すでに来ています。しかし、わたしはひとりではありません。父がわたしといっしょにおられるからです。

     (1)イエスは、弟子たちの信仰の不完全さを知っていた。

      ①「今、信じていると思っているのか」

      ②散らされて、イエスをひとり残す時が来る。

      ③ゼカ13:7の預言

Zec 13:7 剣よ。目をさましてわたしの牧者を攻め、/わたしの仲間の者を攻めよ。/──万軍の【主】の御告げ──/牧者を打ち殺せ。/そうすれば、羊は散って行き、/わたしは、この手を子どもたちに向ける。

    (2)父がともにおられるので、イエスは孤独ではない。

      ①マタ27:46

Mat 27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

   3.33節

Joh 16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

    (1)「これらのこと」とは、ヨハ14~16章の内容である。

      ①ディスペンセーションが移行しつつある。

      ②弟子たちは、苦難を通過する。

    (2)イエスに従う者の二面性

      ①キリストにある。

      ②この世にある。

      ③この世にあっては患難がある。

      ④キリストにあっては平安がある。

    (3)イエスはすでに世に勝った。

      ①この世の支配者(悪魔)を打ち破った。

      ②イエスに従う者は、勇敢な者になることができる。

結論:

はじめに

    (1)ディスペンセーションが移行すると、新しい霊的真理が導入される。

    (2)律法の時代から恵みの時代への移行が起ころうとしている。

    (3)恵みの時代は、教会時代でもある。また、聖霊が中心的に働く時代である。

  1.悲しみから喜びへ

    (1)三日後のイエスの復活は、弟子たちに喜びをもたらした。

    (2)昇天から40日後の聖霊降臨も、弟子たちに喜びをもたらした。

      ①内住の聖霊

      ②助け主として真理を理解する力を与える。

    (3)1900年以上後に起こる再臨は、あらゆる時代の信者に喜びをもたらす。

  2.祈りの変化

    (1)ヨハ16:23~24

Joh 16:23 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。

Joh 16:24 あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。

    (2)弟子たちは、イエスの名によって祈ったことはなかった。

    (3)イエスの昇天以降、彼らはイエスの名によって父に祈ることになる。

      ①これは、イエスの代理人としての祈りである。

      ②これは、イエスの御心に沿った祈りである。

    (4)このような祈りは、聖霊の導きによって可能となる。

    (5)答えられた祈りは、彼らに喜びをもたらす。

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