私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q475 牧師のことばには権威がありますか。
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475 牧師のことばには権威があるか。
Q:私の教会の牧師は、「牧師は神によって立てられている。それゆえ、牧師のことばに従うべきである。」と教えています。この教えは、聖書的に正しいですか。
はじめに
詳しい内容は分かりませんので、書かれた文字情報だけで判断します。いつものように3つ申し上げます。
1番目に、牧師の権威を完全に否定するなら、牧会活動は不可能になります。
(1)牧師のことばに権威がないのなら、説教、教え、霊的指導は無意味になってしまう。
(2)「みことばを宣べ伝えること」「指導者に従うこと」(2テモテ4:2、ヘブル13:17)
(3)聖書自体が、「牧師の務めには権威がある」ことを前提としています。
2番目に、牧師の権威について、聖書的理解を持つ必要があります。
(1)聖書は、牧師(長老・監督)に一定の権威を認めています。
(2)その権威は「神のことばに基づく限りにおいて有効」です。
(3)牧師個人の意見や主張に絶対的な権威があるわけではありません。
①みことばに基づいた教え→「牧師のことばに権威がある」
②みことばに反した教え→「牧師のことばに権威がない」→
③聖書の教えと矛盾する教え→「牧師のことばは絶対的に権威がない」
3番目に、牧師の権威を常に強調しているなら、注意が必要です。
(1)神のことばを正確に語っている範囲において、権威があります。
(2)聖書に反する教えを語るなら、権威はありません(セカンドチャンス論)。
(3)信頼できるかどうかは、実によって見分けます。
牧師のことばは、それが神のことばに一致している限りにおいて、権威を持ちます。




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