ヨハネの福音書(56)「十字架刑」ヨハ19:17~30

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イエスは3つの役割を果たされた。イエスは王であり、大祭司であり、贖い主である。

ヨハネの福音書(56)

「十字架刑」

ヨハ19:17~30

1.文脈の確認

(4)イエスの受難(18~20章)

  ①イエスの逮捕(18:1~11)

  ②イエスの宗教裁判(18:12~27)

  ③イエスの政治裁判(18:28~40)

  ④有罪判決(19:1~16)

  ⑤十字架刑(19:17~30)

2.注目すべき点

(1)王としてのイエスの姿が描かれる。

(2)大祭司としてのイエスの姿が描かれる。

(3)贖い主としてのイエスの姿が描かれる。

イエスは3つの役割を果たされた。

イエスは王であり、大祭司であり、贖い主である。

Ⅰ.王としてのイエスの姿(17~22節)

1.17節

Joh 19:17イエスは自分で十字架を負って、「どくろの場所」と呼ばれるところに出て行かれた。そこは、ヘブル語ではゴルゴタと呼ばれている。

(1)イエスは自分で十字架を負った。

  ①共観福音書では、クレネ人シモンが途中から十字架を担がされた。

  ②ヨハネの強調点は、イエスが主体的に贖いの道を歩まれたことにある。

  ③十字架の死は、自ら進んで選ばれたものである。

(2)「どくろの場所」と呼ばれるところに出て行った。

  ①ヘブル語でゴルゴタ、ラテン語でカルバリ

  ②ユダヤの伝承では、アダムの頭蓋骨が埋葬された場所だとされる。

  ③ゴルゴタでの死は、旧約のいけにえ制度の型の完成である。

  ④「宿営の外で焼かれる」贖罪のいけにえ(レビ16:27)の成就。

2.18節

Joh 19:18

彼らはその場所でイエスを十字架につけた。また、イエスを真ん中にして、こちら側とあちら側に、ほかの二人の者を一緒に十字架につけた。

(1)イエスを真ん中にした。

  ①「罪人とともに数えられた」(イザ53:2)

  ②人類を二分する象徴

    *イエスをどう受け入れるかが唯一の分岐点になる。

  ③人間的には辱めの象徴、霊的には「王として中央に座する」姿。

    *これはヨハネの神学(十字架=栄光の顕現)に即している。

  ④ヨハネの福音書全体でイエスは「中心に立つお方」(7:37、8:2、20:19)。

  ⑤イエスは贖いの歴史の中心に立ち、全人類の行く末を決定する中心人物。

3.19~20節

Joh 19:19

ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」と書かれていた。

Joh 19:20

イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。それはヘブル語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。

(1)罪状書き

  ①罪状を記した札が犯人の首に掛けられた。

  ②後に十字架の上に掲げられた。

(2)「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」と書かれていた。

  ①「自称ユダヤ人の王ナザレのイエス」を皮肉に強調した表現

  ②神の視点からは、これは真理の宣言である。

  ③人間の意図を越えて、神の計画が成就している例である。

(3)3言語で書かれたことの意味

  ①ヘブル語:ユダヤ人の宗教的言語。

  ②ラテン語:ローマ帝国の公用語、政治と権力の象徴。

  ③ギリシア語:国際共通語、文化と哲学の象徴。

(4)イエスが全世界の王であることの象徴。

  ①すべての民族・文化・言語に対する普遍的支配を示す(黙7:9)。

  ②「多くのユダヤ人が読んだ」(20節)。群衆への公的証言。

  ③十字架は敗北の場ではなく、真の王が即位する場である。

  ④ヨハネ独特の「逆説的栄光の神学」。

4.21~22節

Joh 19:21

そこで、ユダヤ人の祭司長たちはピラトに、「ユダヤ人の王と書かないで、この者はユダヤ人の王と自称したと書いてください」と言った。

Joh 19:22 ピラトは答えた。「私が書いたものは、書いたままにしておけ。」

(1)ユダヤ人の指導者たちの抗議

  ①群衆に誤解を与えないために「自称した」と書くように求めた。

(2)ピラトの回答

  ①「私が書いたものは、私が書いたのだ」

  ②皮肉と反抗のことば。ユダヤ人に対する最後の抵抗。

  ③「イエスがユダヤ人の王である」ことを確定する宣言となった。

  ④黙19章では「王の王、主の主」として再臨される。先取りの宣言。

Ⅱ.大祭司としてのイエス(23~27節)

1.23節

Joh 19:23

さて、兵士たちはイエスを十字架につけると、その衣を取って四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。また下着も取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目のないものであった。

(1)ローマ兵の行為

  ①処刑にあたった兵士たちは、受刑者の衣服を分け合う慣習があった。

  ②イエスの衣服は5点あったと考えられる。

    *外套、ベルト、サンダル、ターバン(または頭巾)、下着

  ③兵士は4人(小隊の一班)。4点を分け、残る「下着」が問題となった。

(2)縫い目のない下着

  ①ヨハネは特に「縫い目のない一枚織りの下着」であったことを強調する。

  ②現代の下着(肌着)とは違い、長袖または半袖のワンピース型の衣服。

  ③材質は麻布や羊毛で、縫い目のない「無縫製のチュニック」も存在。

  ④出エジ28:31~32:大祭司の服は「一枚織り」で作られた。

  ⑤イエスの衣服は 「真の大祭司」としての象徴と解釈できる。

(3)神学的意味

  ①人間の目には「敗北した罪人」と映るが、その衣服は大祭司であることを示す。

  ②イエスは十字架上で「大祭司」としての働きを成就している。

  ③いけにえの動物ではなく、ご自身を献げている。

2.24節

Joh 19:24

そのため、彼らは互いに言った。「これは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」これは、/「彼らは私の衣服を分け合い、/私の衣をくじ引きにします」/とある聖書が成就するためであった。それで、兵士たちはそのように行った。

(1)兵士たちの行為

  ①下着(キトン)は裂くと価値が下がるため、くじを引いて所有者を決めた。

  ②人間的には単なる習慣・偶然の行為、神の視点では預言の成就。

(2)詩22:18の成就

Psa 22:18 彼らは私の衣服を分け合い/私の衣をくじ引きにします。

  ①ダビデの詩の中に描かれた受難の姿が、逐語的に実現した。

  ②兵士の無意識の行為さえ、神の主権のもとで預言成就の一部となる。

(3)大祭司としての完成(ヘブ4:16)

  ①衣を裂かれずに残したことは、大祭司の衣の完全性を保つ象徴でもある。

  ②大祭司は衣を裂いてはならない(レビ21:10)。

3.25節

Joh 19:25

イエスの十字架のそばには、イエスの母とその姉妹、そしてクロパの妻マリアとマグダラのマリアが立っていた。

(1)女性の信仰の忠実さ

  ①他の弟子たちが逃げる中、女性たちは信仰と愛のゆえに最後まで残った。

  ②神は「弱いと思われる者」を用いて、最も重要な証人とされた。

(2)マリアの立場

  ①母マリアの苦しみは特別である。

  ②彼女は「救い主の母」であって「救い主」ではない。

  ③ヨハネは、マリアを「苦しむ一人の信仰者」として描いている。

(3)十字架のそばにいる人々は、後に教会を形作る信仰共同体の雛形。

  ①ユダヤ人女性たちが中心にいる。教会がユダヤ的背景を持つことを示唆。

4.26~27節

Joh 19:26

イエスは、母とそばに立っている愛する弟子を見て、母に「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です」と言われた。

Joh 19:27

それから、その弟子に「ご覧なさい。あなたの母です」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分のところに引き取った。

(1)新しい共同体形成

  ①母を弟子ヨハネに託すことで、信仰による新しい家族共同体を指し示した。

  ②これは教会時代における「神の家族」の先取り。

  ③イエスとマリアの母子関係は断ち切られ、主従関係が始まった。

(2)マリアの位置づけ

  ①マリアは「救い主の母」ではあるが、救いにおいてはあくまで「一信仰者」。

  ②イエスが「女の方」と呼んだのは、マリア崇拝を否定する聖書的根拠である。

(3)なぜ弟子ヨハネに委ねられたのか。

  ①この時点でイエスの肉の兄弟たちは不信仰だった。

  ②ゆえに「信仰に基づく関係」が優先された。

Ⅲ.贖い主としてのイエス(28~30節)

1.28~29節

Joh 19:28

それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。

Joh 19:29

酸いぶどう酒がいっぱい入った器がそこに置いてあったので、兵士たちは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝に付けて、イエスの口もとに差し出した。

(1)「わたしは渇く」は詩篇69:21の直接的成就。

  ①イエスのことばは単なる苦痛の叫びではなく、預言成就の宣言。

(2)肉体と霊の両面の渇き

  ①イエスは真の人間として肉体的渇きを経験された。

  ②同時に、神からの断絶の中で霊的な渇きを経験された。

  ③これによって、私たちが「永遠に渇かない」救いを得る(4章、7章)。

(3)贖いの完成への布石

  ①このことばは「完了した」(19:30)の直前に置かれている。

  ②イエスは預言成就を最後まで意識し、計画的に贖いを完成させた。

2.30節

Joh 19:30

イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。

(1)「テテレスタイ」の法的意味

  ①「完全に支払い済み」という法的・商取引的用語。

  ②人類の罪の借金が完全に支払われ、追加の償いは不要となった。

(2)旧約制度の終結と完成

  ①動物の犠牲・律法・祭司制度はすべてここで完成。

  ②イエスは「大祭司」として、ご自身を唯一無二のいけにえとして献げた。

(3)主体的死

  ①「霊を渡された」は、イエスが自発的に死を選び取られたことを示す。

  ②十字架の死は強制ではなく、愛による自由意志のささげ物。

結論:今日の信者への適用

1.十字架が人類を二分する事実を受け止める。

(1)十字架は今も、人を「信じる者」と「拒む者」に分けている。

(2)この分岐点の現実を覚え、十字架を伝える使命を担う必要がある。

2.王なるイエスを告白する。

(1)「ユダヤ人の王ナザレのイエス」との札は3言語で掲げられた。

(2)ここには終末の出来事の先取りがある。

(3)イエスを王と告白するとは、日常生活のすべての領域に主権を認めること。

3.教会は新しい家族であることを認識する。

(1)イエスは母と愛する弟子を新しい家族として結びつけた。

(2)血縁よりも深い「霊的家族」として教会を理解すべきである。

(3)互いに重荷を担い合うべきである(ガラ6:2)。

(4)かしらであるキリストに近づくほどに、霊的家族の実体が完成する。

4.贖いの完成に立って生きる。

(1)「完了した」は罪の支払いが完全に終わったという宣言。

(2)救いの不確かさや「わざによる贖い」に縛られる必要がない。

(3)完成した救いに立ち、安心と確信の中で生きるべきである。

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