私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(175)—過越の食事(3)—
- このメッセージに感謝を贈る
-
この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。
あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?
このメッセージでは...
過越の食事の中に隠されたキリストを発見する。
「過越の食事について」の動画をYou Tubeにアップロードしました。
You Tubeのリンク先です。
https://youtu.be/Z4LTXosrkrE
「過越の食事(3)」
マコ14:18~21、ルカ22:19
1.はじめに
(1)文脈の確認
①木曜日に、ペテロとヨハネは過越の食事の準備をした。
②日没後(金曜日)、過越の食事が始まった。
(2)過越の食事の手順(ロバートソンの順番とは異なる)
①食前のことば
②第一の杯
③洗足とユダの裏切りの予告(1)
④カルパス(野菜)とユダの裏切りの予告(2)
⑤2枚目の種なしパン(マッツァ)
⑥ハロセットとユダの裏切りの予告(3)
⑦第三の杯
⑧偉大さに関する教え
⑨ペテロの拒否の予告
⑩ハレル(賛美)
(3)A.T.ロバートソンの調和表
§146aと148b
2.アウトライン
(1)カルパス(野菜)とユダの裏切りの予告(2)
(2)2枚目の種なしパン(マッツァ)
3.結論:
(1)アフィコーメンの儀式の神学的意味
(2)過越の食事と最後の晩餐
過越の食事の中に隠されたキリストを発見する。
Ⅳ.カルパス(野菜)とユダの裏切りの予告(2)
1.18節
Mar 14:18 そして、みなが席に着いて、食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」
(1)「わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります」
①詩41:9への言及
②ダビデはアヒトフェルの裏切りに会った。
③食卓を共にした者が裏切りを働くのは、最悪の罪である。
(2)食事の順番
20節の訳文の比較
①「わたしといっしょに鉢に浸している者」(新改訳)
②「わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者」(新共同訳)
③「わたしと一緒に同じ鉢にパンをひたしている者」(口語訳)
④「我と共にパンを鉢に浸す者」(文語訳)
(3)この段階で行うのがカルパス(野菜)の儀式である。
①使用されるのは、緑色野菜(パセリかレタス)である。
②これを塩水の中に浸して食べる。
③この儀式は、紅海を渡ってエジプトから解放されたことを記念するものである。
(4)複数の塩水の鉢が分散して食卓の上に置かれている。
①横になって過越の食事を食するのが紀元1世紀のユダヤ教の律法である。
*どんなに貧しくてもこれを実行した。
②2~3人でひとつの鉢を使用した。
③イエスとユダは、同じ鉢を使う位置関係にあった。
(5)ここでイエスは、ユダの裏切りの予告をする。
①これは2度目の予告である。
②12弟子の中でこの言葉の意味を理解したのは、ユダだけである。
2.19節
Mar 14:19 弟子たちは悲しくなって、「まさか私ではないでしょう」とかわるがわるイエスに言いだした。
(1)イエスの言葉は弟子たちに衝撃を与えた。
①ひとりひとり、自分の嫌疑を晴らして行った。
(2)ユダも同じことをした。マタ26:25参照。
Mat 26:25 すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ」と言われた。
①ユダはイエスを「主」ではなく、「先生(ラビ)」と呼んでいる。
②質問の形式は、「ノー」という答えを期待するものである。
③「いや、そうだ」とは、「あなたが言った通りだ」ということ。
④ここでの会話は私的なもので、他の弟子たちは気付いていない。
3.20節
Mar 14:20 イエスは言われた。「この十二人の中のひとりで、わたしといっしょに鉢に浸している者です。
(1)イエスは依然として裏切り者の名を明かさない。
①カルパスをともに食している者が裏切り行為を働くのは、重大な罪である。
②イエスは、ユダに悔い改めの機会を提供された。
4.21節
Mar 14:21 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったので
す。」
(1)ユダヤ教は、神の主権と人間の責務の両方を認める。
①聖書信仰に立つ者もまた、神の主権と人間の責務の両方を受け入れる。
(2)神の主権に基づけば、キリストは預言通りに十字架の死を遂げる。
①ユダの裏切りがなくても、キリストの死は成就した。
(3)人間の責務に基づけば、ユダには責任がある。
①彼はサタンの手先として動いている。
②本来、存在することは祝福である。
③しかし、ユダにとっては、存在することが呪いとなった。
④彼は、存在目的に反することを意図的に行った。
Ⅴ.2枚目の種なしパン(マッツァ)
1.アフィコーメンの儀式について
(1)3層に分かれたマッツァ用の布袋を用意する。
①そこに3枚のマッツァを入れる。
②三位一体の神を象徴している。
(2)使用するマッツァの3つの条件
①種なしパンであること
②焦げ目がついていること
③小さな穴が開いていること
(3)食事の途中で真ん中のマッツァを半分に割り、片方を麻布にくるんで隠す。
①真ん中のマッツァは、第二位格の神を象徴している。
(4)食事の最後にそれを見つけ出し、小片に割って全員がそれを食べる。
①アフィコーメンとは、デザートという意味である。
2.19節
Luk 22:19 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」
(1)イエスが弟子たちに与えたパンは、アフィコーメンである。
①ユダヤ教のラビたちは、アフィコーメンの儀式を神学的に説明できない。
②メシアニックジューたちは、その意味を深く理解している。
③聖餐式の目的は、イエスの御業を記念することである。
3.教理的誤り
(1)化体説(Transubstantiation)
①パンがキリストの体に変化する。
②カトリック教会の立場である。
(2)実体共存説(Consubstantiation)
①カトリック教会の化体説を認めない立場である。
②ルター派と聖公会がこの説に立つ。
(3)霊的存在説(The Spiritual Presence)
①キリストの体と血は、パンとぶどう酒の中に物理的にではなく、霊的に存在し
ている。
②ジョン・カルバンの立場である。
③従って、改革派の教会の立場となっている。
(4)記念説(A Memorial)
①聖餐式は、イエスを記念するために行うものである。
②宗教改革者の中では、ツウィングリ(スイスの宗教改革者)が提唱した。
③最も聖書的な説である。
結論:
1.アフィコーメンの儀式の神学的意味
(1)種なしパンであること
①イエスは罪のないお方であることを象徴している。
(2)焦げ目がついていること
①茶色の焦げ目は、イエスが受けた鞭の痕を象徴している。
Isa 53:5 しかし、彼は、/私たちのそむきの罪のために刺し通され、/私たちの咎のために砕かれた。/彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、/彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
②私たちの霊的な傷が癒されたということ。
(3)小さな穴が無数に開いていること
①穴は、イエスが刺し通されたことを象徴している。
②茨の穴、釘の穴、槍の穴
③詩22:16
Psa 22:16 犬どもが私を取り囲み、/悪者どもの群れが、私を取り巻き、/私の手足を引き裂きました。
④ゼカ12:10
Zec 12:10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。
(4)イエスは砕かれ、亜麻布にくるまれ、墓の中に隠された。
①隠されたマッツァを見つけ、それを割り、全員がその小片を食する。
②私たちは、イエスの贖いの死を受け入れ、それを体験する。
2.過越の食事と最後の晩餐
(1)過越の食事は、神がイスラエルの民をエジプトから解放されたことを記念する
(思い出す)ためのものである。
(2)最後の晩餐は、霊的解放を記念する(思い出す)ためのものである。
①イエスは、「わたしを覚えてこれを行いなさい」と言われた。
②聖餐式の目的は、イエスが十字架上で為してくださったことを記念する(思い
出す)ことである。
(3)1コリ11:23~26
1Co 11:23 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、
1Co 11:24 感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
1Co 11:25 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」
1Co 11:26 ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
①記念のため
②主の再臨を待ち望むため
週間アクセスランキング
コリント人への手紙第二(17)訪問を前提とした勧告12:19~13:10
コリント人への手紙第二(18)最後のあいさつ13:11~13
ルカの福音書(9)羊飼いたちへの告知2:8~20
ルカの福音書(8)イエスの誕生2:1~7
ヨハネの黙示録(9)—7つの封印を開く前の天の様子—
コリント人への手紙第二(16)パウロと偽使徒の違い(3)-使徒のしるし-12:1~18