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ヨハネの福音書(44)「ぶどうの木にとどまる人生」ヨハ15:1~10
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ぶどうの木にとどまる人生について学ぶ。
ヨハネの福音書(44)
「ぶどうの木にとどまる人生」
ヨハ15:1~10
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
(3)イエスの私的奉仕(13:1~17:26)
①最後の晩餐(13:1~30)
②階上の間の説教(13:31~16:33)
*新しい戒め(13:31~35)
*ペテロの質問とイエスの回答(13:36~38)
*父なる神への唯一の道(14:1~14)
*助け主の約束(14:15~31)
*ぶどうの木にとどまる人生(15:1~10)
2.注目すべき点
(1)ヨハ14章は、階上の間で語られた。
(2)ヨハ15と16章は、ゲツセマネの園に向かう途中で語られた。
(3)途中に、ぶどう畑があったと思われる。
(4)数時間後には、逮捕されることになっている。
3.アウトライン
(1)イエスと父なる神の関係(1~2節)
(2)弟子とイエスの関係(3~6節)
(3)従順と祝福の関係(7~8節)
(4)愛と戒めの関係(9~10節)
4.結論:今日の信者への適用
ぶどうの木にとどまる人生について学ぶ
Ⅰ.イエスと父なる神の関係(1~2節)
1.1節
Joh 15:1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。
(1)ヨハネの福音書に出てくる7番目の神性宣言である。
①「I am 〇〇」である。
(2)旧約聖書では、イスラエルの民がぶどうの木にたとえられた。
①詩80:8
Psa 80:8 あなたは エジプトから/ぶどうの木を引き抜き/異邦の民を追い出して/それを植えられました。
②エレ2:21
Jer 2:21
わたしは、あなたをみな、/純種の良いぶどうとして植えたのに、/どうしてあなたは、わたしにとって、/質の悪い雑種のぶどうに変わってしまったのか。
③イザ5:1~7、エゼ15:1~8、ホセ10:1など参照
④「ぶどう畑」にたとえられることもある。
(3)イスラエルとイエスの対比を見落としてはならない。
①神は、イスラエルを純良種の良いぶどうとして植えた。
②手入れをして育て、豊かな収穫を期待した。
③しかし、イスラエルは質の悪い雑種のぶどうに変わった。
*酸いぶどうか、腐ったぶどうしか実らなくなった。
④イエスは、イスラエルの代表として神の計画を成就される。
*それゆえ、イエスは「まことのぶどうの木」である。
(4) 「わたしの父は農夫です」
①神は、摂理的主権を持っておられる。
②神は、信者が実を結ぶために、手入れをされる。
2.2節
Joh 15:2
わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。
(1)「それを取り除き」ということばの3つの解釈
①偽の信者は取り除かれるという意味
*イスカリオテのユダがその例である。
②罪を犯したために救いが取り去られるという意味
*これは、永遠の救いを保証する他の聖書の箇所から判断してあり得ない。
③信仰が後退しているので取り除かれるという意味
*もしそうなら、これは肉体的死を意味する(1コリ11:30)。
(2)積極的解釈
①「取り除く」という動詞(ギリシア語のアイロウ)の意味
*この動詞には、持ち上げる、取り上げるなどの意味がある。
*弱っている枝を持ち上げ、より多くの光と空気に触れさせる。
②すでに実を結んでいる枝は、より多くの実を結ぶために刈り込みをする。
Ⅱ. 弟子とイエスの関係(3~6節)
1.3節
Joh 15:3
あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。
(1)ユダが離脱した後、残された11人に語られたことばである。
①彼らは、イエスにつながる「本物の枝」である。
②彼らは、イエスのことばによって清くされている。
③イエスのことばを信じるなら、義認と聖化を経験する。
④清めの手段は、みことば(聖書研究)である。
2.4節
Joh 15:4
わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
(1)自然界のたとえを、霊的関係に適用する。
①相互の親密な関係性が示される。
②弟子たちは、「まことのぶどうの木」にとどまることで、実を結び続ける。
③弟子たちの責務は、イエスにとどまることである。
④自力で実を結ぶことは不可能である。
⑤実を結ばせてくださいではなく、イエスの中にとどまらせてくださいと祈る。
(2)「とどまる」という動詞(メノウ)
①ヨハネの神学のキーワードのひとつである。
*ヨハネの福音書で40回、15章で11回、書簡で27回出てくる。
*彼は、主イエスとの交わりを楽しんでいた。
②イエスとの関係を意識的に維持し続けることが、実を結ぶための条件である。
③新約聖書が教える実
*義の実(ピリ1:11)
*伝道の実(コロ1:5~10)
*御霊の実(ガラ5:22~23)
(3)神との関係構造
①父=農夫
②子=ぶどうの木
③信者=枝
④枝は、「とどまり続ける」ことによって実を結ぶ。
3.5~6節
Joh 15:5
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
Joh 15:6わたしにとどまっていなければ、その人は枝のように投げ捨てられて枯れます。人々がそれを集めて火に投げ込むので、燃えてしまいます。
(1)多くの実を結ぶための条件
①自分では何もできないという自覚
②イエスとの神秘的祈りの交流
*私がイエスの内に、イエスが私の内に
③救いは恵みによって与えられるが、「実」はとどまりの生活によって与えられる。
*弟子としていかに歩んだかが、将来の報奨に関係する。
(2)とどまらない者への警告(6節の解釈)
①信者であっても、救いを失う可能性がある。
*これは、聖書全体の教えと矛盾する。
②信仰は告白しているが、救われていない人のことである。
*しかし、この場面には信者しかいない。
③実を付けない信者が受ける評価のことである。
*文脈上のテーマは、「救い」ではなく「とどまること」である。
*イエスにとどまって実を結ばないなら、その人の業績は火で焼かれる。
*その人自身は、救いを失わない(1コリ3:11~15)。
Ⅲ.従順と祝福の関係(7~8節)
1.7節
Joh 15:7
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。
(1)弟子の祈りには力がある。
①イエスにとどまる。
②その人の内側には、イエスのことばがとどまる。
③それゆえ、その人は、父の御心の沿った祈りをするようになる。
④御心に沿った祈りは、叶えられる。
*神の時がきたなら叶えられる。
*祈りの精神が叶えられる。
2.8節
Joh 15:8
あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。
(1)聞かれた祈りは、弟子が結ぶ多くの実の一つである。
①多くの実を結ぶことは、イエスの弟子であることの証明となる。
②それによって、父が栄光をお受けになる。
Ⅳ.愛と戒めの関係(9~10節)
1.9節
Joh 15:9
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。
(1)イエスが弟子たちに示した愛の本質
①父がイエスを愛したのと同じ愛である。
*質、深さ、高さ、幅において同じである。
*それは、人知を超えた愛である。
②イエスにとどまるとは、イエスの愛の中にとどまることである。
*愛に基づいた交わりと従順のうちに生きることを意味する。
*救いの維持ではなく、弟子としての親密さの維持である。
2.10節
Joh 15:10
わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。
(1)イエスの愛にとどまるとは
①イエスは、実に神秘的な命令を、具体的な形に置き換えた。
②イエスの戒めを守ることが、イエスの愛にとどまることである。
③手本は、父に従順な歩みをされたイエスご自身である。
(2)3者間の愛の流れ
①父が子を愛する(永遠で無条件の愛)
②子が信者を愛する(贖いと弟子道の中での愛)
③信者はキリストの愛の中にとどまる(応答的・従順的関係)
結論: 今日の信者への適用
1.努力の方向を変更する。
(1)私たちは、自分の力で霊的に成長しようとしがちである。
(2)しかし、実を結ぶことは、キリストに「とどまる」ことからくる。
(3)聖書の学び、祈り、礼拝など、日常生活の中でキリストとの交わりを第一にする。
2.試練を歓迎する。
(1)霊的剪定(訓練)を成長の機会と捉える。
(2)父なる神は、さらに実りある者とするために私たちを訓練される。
(3)不必要な執着や自己中心が取り除かれ、主に頼る謙遜さと力が養われる。
3.みことばの蓄積を心がける。
(1)現代は情報過多の時代である。
(2)この世の情報ではなく、みことばを心に蓄える。
(3)みことばに満たされることこそが、霊的浄化と力ある祈りにつながる。
4.主イエスへの愛を具体的に表現する。
(1)現代人は、「愛=感情」と捉えがちである。
(2)イエスは、「愛=従順によって保たれる関係」と教えている。
(3)日々の小さな従順(赦す・仕える・語る・耐える)が、愛の表現である。
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