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メシアの生涯(161)—失敗に終わる小羊の吟味—
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小羊の吟味から、律法の本質について真理を学ぶ。
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「失敗に終わる小羊の吟味」
マコ12:28~34、マタ22:41~46
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスの最後の1週間について学んでいる。
②きょうの出来事は、火曜日に起こったものである。
③イエスは、神の小羊として4つのグループの指導者たちから挑戦を受ける。
*イエスに挑戦した最初のグループは、祭司長とパリサイ人たちである。
*第2のグループは、パリサイ人とヘロデ党の者たちである。
*第3のグループは、サドカイ人たちである。
*第4は、ひとりの律法学者である。
④今回は、第4の挑戦とイエスからの挑戦の2つの部分を取り上げる。
⑤この2つの挑戦のテーマは、今日でも重要な意味を持っている。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
§135 ひとりの律法学者の質問
マコ12:28~34、マタ22:34~40
§136 メシアの家系に関するイエスの質問
マコ12:35~37、マタ22:41~46、ルカ20:41~44
2.アウトライン
〈ひとりの律法学者の質問〉
(1)律法学者の質問(28節)
(2)イエスの回答(29~31節)
(3)結末(32~34節)
〈メシアの家系に関するイエスの質問〉
(1)質問①(41~42節)
(2)質問答②(43~45節)
(3)結末(46節)
3.結論:
(1)隣人愛について
(2)キリストの2性について
小羊の吟味から、律法の本質について真理を学ぶ。
Ⅰ.ひとりの律法学者の質問
1.律法学者の質問(28節)
Mar 12:28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」
(1)ひとりの律法学者
①彼は、パリサイ人である。
②イエスがサドカイ人を論破したので、大いに感動した。
③彼には、敵対心や隠された動機はない。
④純粋な思いから、イエスに質問をしている。
(2)質問内容
①モーセの律法が今回のテーマである。
②これは、律法学者たちの間で常に議論されてきたテーマである。
③伝統的に、モーセの律法には613の命令があるとされてきた。
*365の禁止命令、248の積極的命令
④613の命令は、重要な命令と軽い命令に分類される。
⑤すべての命令をひとつの命令に要約すると、どうなるか。
⑥以上が「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか」という質問の背景。
2.イエスの回答(29~31節)
(1)29~30節
Mar 12:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
Mar 12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
①これは、申6:4~5の引用である。
「聞きなさい。イスラエル。【主】は私たちの神。【主】はただひとりである。
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい」
②最初の「聞け」という言葉を取って、「シェマ」と呼ばれる箇所である。
③敬虔なユダヤ人たちは、朝と夕に、これを唱えていた。
④ユダヤ教の根幹をなす命令である。
⑤【主】とは、ヤハウェである。契約を守るお方、イスラエルの神である。
*ギリシア語では、「キュリオス」と訳されている。
⑥「【主】はただひとりである」とは、比類なき神という意味である。
⑦「あなたの神である主を愛せよ」は、意志を働かせよという命令である。
⑧それを補足するのが、「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くし
て、」である。
⑨訳文の比較
「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして」(申6:5)
「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして」(マタ12:30)
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして」(新共同訳)
「heart、soul、mind、strength」(KJV)
⑩イエスは、人間存在のすべてをかけて神を愛するように命じた。
(2)31節
Mar 12:31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
①これは、レビ19:18の引用である。
「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人を
あなた自身のように愛しなさい。わたしは【主】である」
②神への愛と隣人愛とは、密接に関係している。
③モーセの律法を要約すると、この2つの命令に収斂する。
④マタ22:40
「律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです」
⑤この2つの命令が実行できたなら、律法のすべてが実行できたことになる。
⑥この2つの命令は、十戒の中にはない。
3.結末(32~34節)
(1)32~33節
Mar 12:32 そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない』と言われたのは、まさにそのとおりです。
Mar 12:33 また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」
①彼は、イエスの回答に同意した。
②これは、霊的現実と儀式的清めの関係に悩む人への教えである。
③霊的現実こそ、より重要である。
④彼は、「神」という言葉を意図的に避けている。
(2)34節
Mar 12:34 イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者がなかった。
①この律法学者は、イエスに対して心が開かれている。
②その後彼が救われたかどうかは、分からない。
③4つのグループによる小羊の吟味は終わった。
Ⅱ.メシアの家系に関するイエスの質問
1.イエスの質問①(41~42節)
Mat 22:41 パリサイ人たちが集まっているときに、イエスは彼らに尋ねて言われた。
Mat 22:42 「あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。彼はだれの子ですか。」彼らはイエスに言った。「ダビデの子です。」
(1)パリサイ人たちへの質問
①パリサイ人たちが質問しなくなったので、今度はイエスが質問する。
②これは、キリストに関する理解を引き出すための神学的質問である。
③キリストはだれの子であるか。
④パリサイ人たちは、イエスがメシアだとは信じていなかった。
⑤イエスは「私を誰だと言うか」という質問ではなく、一般論的な質問をした。
(2)回答はすぐに来た。
①「ダビデの子です」
②当時の人たちは、メシアがダビデの家系から誕生することを知っていた。
③しかし、メシアはそれ以上のお方であることを理解していなかった。
2.イエスの質問答②(43~45節)
Mat 22:43 イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、
Mat 22:44 『主は私の主に言われた。/「わたしがあなたの敵を/あなたの足の下に従わせるまでは、/わたしの右の座に着いていなさい。」』/と言っているのですか。
Mat 22:45 ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうして彼はダビデの子なのでしょう。」
(1)詩110:1からの引用(ダビデの賛歌)
「【主】は、私の主に仰せられる。『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、
わたしの右の座に着いていよ』」
①イエスは、ダビデが聖霊によって預言を語っていることを認めている。
(2)ダビデはキリストを主と呼んでいる。
①なぜ「ダビデの子」である人物を、「私の主」と呼ぶのか。
②最初の「【主】」は「ヤハウェ」である。
③次の「私の主」は、「アドナイ」である。
3.結末(46節)
Mat 22:46 それで、だれもイエスに一言も答えることができなかった。また、その日以来、もはやだれも、イエスにあえて質問をする者はなかった。
(1)イエスの神性を認めないなら、誰もこの質問に答えることはできない。
①イエスにあえて質問をする者がいなくなった。
結論:
1.隣人愛について
(1)神への愛と隣人愛とは、いわば車の両輪である。
(2)1ヨハ4:19~21
「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。神を愛する
と言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛して
いない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも
愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています」
(3)神への愛が、隣人愛の土台である。
(4)隣人愛は、神への愛の証明である。
(5)「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」
①誰でも自己愛を持っていることが前提として語られている。
②自己愛に焦点を合わせて生きることを禁じている。
2.キリストの2性について
(1)「あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。彼はだれの子ですか」
①この質問は、キリストの2性を教えるためのものである。
②詩110:1は、キリストが神であり、人であることを教えている。
(2)「ダビデの子」という言葉は、キリストの人性を表している。
(3)「私の主」という言葉は、キリストの神性を表している。
(4)今もユダヤ人たちは、この点に目が開かれていない。
(例話)現代のメシアニックジューの信仰にも問題点がある。
(例話)モルモン教、エホバの証人も同じ問題を持っている。
(5)もしパリサイ人たちが「教えられやすい心」を持っていたなら、イエスを信じた
ことであろう。
(6)議論に勝てなかった彼らは、ついに暴力に訴えるようになる。
(7)イエスを吟味した4番目の人(ひとりの律法学者)
①彼の心は開かれていた。
②それゆえ、「あなたは神の国から遠くない」と言ってもらえた。
③彼が救われたかどうかは、分からない。救われたと信じたい。
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