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ヨハネの福音書(24)唯一の救い主イエスヨハ8:21~30
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イエスとパリサイ人たちの対話について学ぶ。
ヨハネの福音書(24)
唯一の救い主イエス
ヨハ8:21~30
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
①公生涯への序曲(1:19~51)
②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)
③最初のエルサレム訪問(2:13~3:36)
④サマリア伝道(4:1~42)
⑤ガリラヤ伝道の再開(4:43~54)
⑥2度目のエルサレム訪問(5:1~47)
⑦後期ガリラヤ伝道(6:1~7:9)
⑧3度目のエルサレム訪問(7:10~10:42)
⑨世の光に関する説教(8:12~59)
*世の光イエス(8:12~20)
*唯一の救い主イエス(8:21~30)
*解放者イエス(8:31~59)
2.注目すべき点
(1)場面は、十字架にかかる半年前の仮庵の祭りである。
(2)「いのちの水」への招きの後、指導者たちによる迫害が激化する。
(3)「世の光」の説教は、7つの説教の中の5番目である。
3.アウトライン
(1)対話(1)(21~22節)
(2)対話(2)(23~25節a)
(3)対話(3)(25b~27節)
(4)対話(4)(28~30節)
4.結論
(1)信仰とは何か。
(2)指導者の権威の限界とは何か。
(3)信仰を告白する者はすべて救われているか。
イエスとパリサイ人たちの対話について学ぶ。
Ⅰ.対話(1)(21~22節)
1.21節
Joh 8:21イエスは再び彼らに言われた。「わたしは去って行きます。あなたがたはわたしを捜しますが、自分の罪の中で死にます。わたしが行くところに、あなたがたは来ることができません。」
(1)イエスは将来自分の身に起こることを知っておられた。
①十字架、埋葬、復活、昇天まで、すべてを予見しておられた。
②イエスは、父なる神のもとに行こうとしていた。
(2)パリサイ人たちの悲劇
①彼らは、自分の罪の中で死ぬ。
*「罪」ということばが単数形になっている。
*ここでは、イエスをメシアとして受け入れないことが罪である。
②彼らは、メシアを探し続ける。
*メシアはすでに来られ、彼らに語られた。
*今も、ユダヤ人たちはメシアを待っている。
③彼らは、イエスが行く所に来ることができない。
*イエスは父なる神のもとに戻られる。
④イエスを信じないで死ぬのは、罪の中で死ぬことである。
2.22節
Joh 8:22
そこで、ユダヤ人たちは言った。「『わたしが行くところに、あなたがたは来ることができません』と言うが、まさか自殺するつもりではないだろう。」
(1)ユダヤ人たちの誤解
①以前は、イエスが離散の地に行こうとしていると誤解した(7:35)。
②ここでは、イエスが自殺するつもりなのかと誤解している。
*ユダヤ教では、自殺は厳しく禁じられていた。
*自殺した者は、ゲヘナの奥深い所に投げ込まれると教えられていた。
(2)彼らのことばには、皮肉が含まれている。
①イエスは、自分たちの追及を逃れるために、自殺するつもりなのか。
②もし自殺したなら、イエスはゲヘナの奥深い所に投げ込まれる。
③敬虔なユダヤ人の自分たちは、ゲヘナには行けない。
④彼らの反応は、罪の暗黒を示すものである。
Ⅱ.対話(2)(23~25節a)
1.23~24節
Joh 8:23
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは下から来た者ですが、わたしは上から来た者です。あなたがたはこの世の者ですが、わたしはこの世の者ではありません。
Joh 8:24
それで、あなたがたは自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。わたしが『わたしはある』であることを信じなければ、あなたがたは、自分の罪の中で死ぬことになるからです。」
(1)イエスの自殺を思いつくパリサイ人たちは、下(地上)から来た者である。
①地上的な範囲でしか発想することができない。
②それゆえ、彼らは「この世の者」である。
(2)イエスは、上(天)から来た者である。
①天的な真理を語っている。
②それゆえ、イエスは「この世の者」ではない。
(3)同じ教えの反復(強調のため)
①イエスを信じない者は、「自分の罪の中で死ぬ」。
②ここでの「罪」は、複数形である。つまり、行為としての罪のことである。
③罪の原理は、種々の行為となって現れる。
④「わたしが『わたしはある』であることを信じなければ、」
*ギリシア語で「わたしはある(エゴウ・エイミ)」(I am.)である。
*イエスが神であり、救い主であることを信じないなら、という意味。
2.25節a
Joh 8:25a そこで、彼らはイエスに言った。「あなたはだれなのですか。」
(1)パリサイ人たちは混乱し、怒った。
①イエスの神性宣言に反発した。
②イエスを信じないなら罪の中で死ぬという教えに、反発した。
③「そんなことを言うとは、いったい自分を誰だと思っているのか」
④これは、イエスを冒とく罪に定めようとする質問である。
Ⅲ.対話(3)(25b~27節)
1.25節b
Joh 8:25b
イエスは言われた。「それこそ、初めからあなたがたに話していることではありませんか。
(1)イエスは意図的に、「メシア」ということばを避けている。
①メシアは、政治的意味合いを持ったことばである。
②イエスは、これまで主張してきた内容に立って、答えている。
*メシアということばを避けて、自分がメシアであることを示している。
③イエスの教えと行動は、一致している(言行一致)。
2.26節
Joh 8:26
わたしには、あなたがたについて言うべきこと、さばくべきことがたくさんあります。しかし、わたしを遣わされた方は真実であって、わたしはその方から聞いたことを、そのまま世に対して語っているのです。」
(1)追加すべき教えはまだたくさんある。
①彼らの罪を暴いたり、裁きを宣言したりすることなどがそれであろう。
②しかしそれは、イエスがこの世に来た目的ではない。
(2)イエスは、遣わした方の御心だけを伝える。
①「わたしを遣わされた方」とは、父なる神のことである。
②ユダヤ法の規定
*使者は、受けた命令の範囲内において、権威を行使することができる。
3.27節
Joh 8:27
彼らは、イエスが父について語っておられることを理解していなかった。
(1)イエスの教えは、比ゆを用いた教えである。
①公生涯のこの段階では、イエスの教えは比喩的なものになっている。
②聴き手は、その教えの内容を理解することができない。
③啓示が進めば進むほど、混乱が増す。
(2)彼らは、父のことを知らないので、イエスのことを知らない。
①逆も真なり。イエスのことを知らないので、父のことを知らない。
Ⅳ.対話(4)(28~30節)
1.28節
Joh 8:28
そこで、イエスは言われた。「あなたがたが人の子を上げたとき、そのとき、わたしが『わたしはある』であること、また、わたしが自分からは何もせず、父がわたしに教えられたとおりに、これらのことを話していたことを、あなたがたは知るようになります。
(1)イエスは、再び預言を語る。
①パリサイ人たちがイエスの本質を知るタイミングは、十字架の時である。
②「人の子を上げる」とは、十字架に付けるという意味である。
(2)十字架の死は、イエスの本質を啓示する。
①すべての人が救われるという意味ではない。
②地震、暗黒、復活などが、イエスは神であることを示す。
③イエスは、「わたしはある」(I am.)である。
2.29節
Joh 8:29わたしを遣わした方は、わたしとともにおられます。わたしを一人残されることはありません。わたしは、その方が喜ばれることをいつも行うからです。」
(1)このことばは、父とイエスが一体であることを示している。
①人から拒否されても、父なる神はイエスから離れない。
②16:32
Joh 16:32
見なさい。その時が来ます。いや、すでに来ています。あなたがたはそれぞれ散らされて自分のところに帰り、わたしを一人残します。しかし、父がわたしとともにおられるので、わたしは一人ではありません。
③私たちは、自分を喜ばせたり、人を喜ばせたりする場合がある。
④イエスはそうではない。
3.30節
Joh 8:30 イエスがこれらのことを話されると、多くの者がイエスを信じた。
(1)多くの者がイエスを信じた。
①その中には、本物の信者と、見せかけの信者がいる。
②いつの時代にも、これと同じことが起こる。
結論
1.信仰とは何か。
(1)8:23
Joh 8:23
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは下から来た者ですが、わたしは上から来た者です。あなたがたはこの世の者ですが、わたしはこの世の者ではありません。
(2)信仰とは、究極的な異文化体験である。
(3)イエスを通して、天の御国がこの世に侵入してきたのである。
(4)私たちは、イエスのことば、行動、人格を通して、超自然の世界に触れる。
(5)イエスを信じた人は、この世に生きながら、この世の者ではなくなる。
(6)イエスを信じない者は、自分の罪の中で死ぬことになる。
2.指導者の権威の限界とは何か。
(1)8:26
Joh 8:26
わたしには、あなたがたについて言うべきこと、さばくべきことがたくさんあります。しかし、わたしを遣わされた方は真実であって、わたしはその方から聞いたことを、そのまま世に対して語っているのです。」
(2)遣わされた者は、遣わした者の代理として権威を行使する。
(3)その場合の権威の付与は、無制限ではない。
(4)遣わした者の意図に従順であるという範囲内で、権威を与えられている。
①イエスは、父から聞いたことをそのまま世に対して語っている。
(5)教会の霊的指導者にも同じことが言える。
①指導者の責務は、神の教えの全体を教えること。
②信者の責務は、忠実な指導者に従うこと。
3.信仰を告白する者はすべて救われているか。
(1)8:30
Joh 8:30 イエスがこれらのことを話されると、多くの者がイエスを信じた。
(2)2:23
Joh 2:23
過越の祭りの祝いの間、イエスがエルサレムにおられたとき、多くの人々がイエスの行われたしるしを見て、その名を信じた。
(3)信仰が表面的なものなのか、救いに至るものなのか、吟味する必要がある。
(4)なぜ信仰から離れる人が出るのか。
①一時的な後退を経験するが、最後は立ち直る人がいる。
②立ち直らないなら、その人は最初から救われていなかったのである。
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