ヨハネの福音書(23)世の光イエスヨハ8:12~20

このメッセージに感謝を贈る

この無料配信メッセージは、皆様の祈りと献金のサポートで成り立っています。
あなたの「ちょっとした感謝」を300円献金で贈ってみませんか?

ハーベスト・タイム・ミニストリーズへのサポーター献金はこちら

このメッセージでは...

イエスは世の光であることを学ぶ。

ヨハネの福音書(23)

世の光イエス

ヨハ8:12~20

1.文脈の確認

(1)前書き(1:1~18)

(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)

  ①公生涯への序曲(1:19~51)

  ②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)

  ③最初のエルサレム訪問(2:13~3:36)

  ④サマリア伝道(4:1~42)

  ⑤ガリラヤ伝道の再開(4:43~54)

  ⑥2度目のエルサレム訪問(5:1~47)

  ⑦後期ガリラヤ伝道(6:1~7:9)

   ⑧3度目のエルサレム訪問(7:10~10:42)

    *仮庵の祭りでの教え(7:10~44)

    *指導者たちの不信仰(7:45~52)

    *世の光に関する説教(8:12~59)

      ・世の光イエス(8:12~20)

      ・唯一の救い主イエス(8:21~30)

      ・解放者イエス(8:31~59)

2.注目すべき点

(1)場面は、十字架にかかる約半年前の仮庵の祭りである。

(2)イエスは、祭りの終わりの大いなる日に、立って大声で人々を招かれた。

(3)「いのちの水」への招きの後、指導者たちによる迫害が激化する。

(4)霊的闇に光をもたらすのがイエスである。

(5)「世の光」の説教は、7つの説教の中の5番目である。

3.アウトライン

(1)イエスの宣言(12節)

(2)論争(13~19節)

(3)結末(20節)

4.結論

(1)人生の渇きに対する答え

(2)人生の不安に対する答え

イエスは世の光であることを学ぶ。

Ⅰ.イエスの宣言(12節)

1.12節

Joh 8:12

イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」

(1)この宣言をしたのはいつか。

  ①「姦淫の女」の箇所は挿入句である。

  ②つまり、「祭りの終わりの日」(恐らく8日目)が続いているということ。

  ③イエスは、人々を招かれた。

(2)この宣言をした場所はどこか。

  ①20節によれば、「献金箱のちかく」である。

    *地図を表示

  ②婦人の庭に13の献金箱が置かれていた。

  ③箱にはラッパのような形をした口が付いていた(ショフェロット)。

  ④人々、特にパリサイ人たちは、この口の中に献金を投げ込んでいた。

    *献金箱の写真を表示

(3)仮庵の祭りで行われた儀式

  ①シロアムの池から水を汲んで祭壇に注ぐ儀式があった。

  ②もう一つの儀式は、ランプに火を灯すというものである。

  ③巨大な燭台が2台そこに置かれ、夕暮れになると、祭司たちが火を灯した。

    *50キュビトの高さ(22メートル)

    *燭台の上に4個のランプが置かれていた。

  ④ランプの光は、エルサレムの狭い路地まで照らしたという(ミシュナ)。

  ⑤レビ人の聖歌隊が階段の上に整列し、讃美歌を歌った。

    *詩120~134篇 「都上りの歌」、「都に上る歌」

    *巡礼歌であり、祭司たちが階段を上った時に歌われた歌でもある。

    *階段の段数は、15段である。「都上りの歌」も15ある。

    *階段の写真を表示

  ⑥その音楽に合わせて、祭司、パリサイ人、巡礼者たちが、夜通し踊った。

    *仮庵の祭りは、喜びの祭りである。

    *もう一つの光の祭りは、ハヌカの祭りである(ヨハ10:22)。

(4)「世の光」の意味

  ①ユダヤの文書には、「世の光」という用語が頻繁に登場する。

  ②イスラエル、エルサレム、族長たち、メシア、神、有名なラビたち、律法

  ③ラビ的解釈

    *灯された火は、シャカイナグローリーの象徴である。

    *シャカイナグローリーは、神の臨在の現れである。

    *灯された火は、荒野の旅で現れた雲の柱と火の柱の象徴である。

    *灯された火は、幕屋に宿ったシャカイナグローリーの象徴である。

(5)再度、イエスの主張を確認する。

Joh 8:12

イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」

  ①イエスは、ご自分がシャカイナグローリーだと宣言しておられる。

  ②変貌山では、3人の弟子たちがシャカイナグローリーを目撃した。

  ③さらに彼らは、天からかかった父の声を聞いた(バット・コル)。

  ④イエスは、イスラエルの民の間に現れたシャカイナグローリーである。

  ⑤ヨハネの福音書の中の2番目の「I am.」である。

Ⅱ.論争(13~19節)

1.13節

Joh 8:13

すると、パリサイ人はイエスに言った。「あなたは自分で自分のことを証ししています。だから、あなたの証しは真実ではありません。」

(1)これは、モーセの律法に基づく法律議論である。

  ①申17:6と19:15の規定

    *2人、または3人の証人の証言が必要である。

  ②ラビたちは、自己証言の有効性を認めなかった。

(2)しかし、「姦淫の女」の裁きにおいては、彼らはこの規定に違反した。

  ①自分たちが違反した規定を、イエスに適用している。

  ②彼らは、最初からイエスを信じるつもりはないのである。

2.14節

Joh 8:14

イエスは彼らに答えられた。「たとえ、わたしが自分自身について証しをしても、わたしの証しは真実です。わたしは自分がどこから来たのか、また、どこへ行くのかを知っているのですから。しかしあなたがたは、わたしがどこから来て、どこへ行くのかを知りません。

(1)イエスは、自分は複数の証人を必要としていないと言われた。

  ①自己証言が否定される理由は、人間の判断には偏見があるから。

  ②しかしイエスは、完ぺきな自己認識を持っておられた。

  ③父のもとから来て、父のもとに帰ろうとしているのを知っておられた。

  ④イエスは神であるので、その証言に誤りはない。

(2)しかし、パリサイ人たちは無知で、偏見に満ちている。

  ①彼らは、イエスがどこから来たかを知らない。

    *父のもとから来たシャカイナグローリーだということを知らない。

  ②彼らは、イエスがどこに行くかを知らない。

    *イエスは、死後に復活し、父なる神のもとに行こうとしておられる。

3.15~16節

Joh 8:15 あなたがたは肉によってさばきますが、わたしはだれもさばきません。

Joh 8:16

たとえ、わたしがさばくとしても、わたしのさばきは真実です。わたしは一人ではなく、わたしとわたしを遣わした父がさばくからです。

(1)パリサイ人たちの裁きの特徴

  ①肉によってさばく。

  ②表面的なことしか見ない。

  ③イエスの本質が見えない。

  ④イエスのことを「ナザレの大工」としてしか見ていない。

(2)イエスの裁きの特徴

  ①イエスは裁かない(ヨハ3:17)。

Joh 3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

  ②終末における裁きにおいても、父なる神の裁きを執行するだけである。

  ③イエスが裁くなら、その裁きは常に正しい。

  ④イエスひとりの裁きではなく、父なる神とともに裁くからである。

  ⑤イエスは、父なる神と一体性を強調された。

  ⑥パリサイ人たちから見ると、これは冒涜罪に当たる。

4. 17~18節

Joh 8:17

あなたがたの律法にも、二人の人による証しは真実であると書かれています。

Joh 8:18

わたしは自分について証しする者です。またわたしを遣わした父が、わたしについて証ししておられます。」

(1)「あなたがたの律法」という言い方は、皮肉である。

  ①彼らは律法の所有者であるが、それを都合よく利用しているだけである。

    *本当に所有者なら、その命令に完全に従うはずである。

  ②イエスは、律法が2人ないし3人の証人を要求していることを認めた。

(2)ここには、ユダヤ的論法がある(大から小への論法)。

  ①もし、人間の証人(2人ないし3人)が有効だとするなら、ましてや…。

  ②イエスが、第1の証人である。

    *イエスが行ったしるし

  ③父なる神が、第2の証人である。

    *天からの声

  ④それでもユダヤ人たちは、イエスを信じようとはしなかった。

5.19節

Joh 8:19

すると、彼らはイエスに言った。「あなたの父はどこにいるのですか。」イエスは答えられた。「あなたがたは、わたしも、わたしの父も知りません。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知っていたでしょう。」

(1)彼らのことばは、イエスに対するあざけりである。

  ①あなたの父は誰かではなく、どこにいるのかと聞いた。

  ②イエスが、神を父だと主張していると理解した。

  ③イエスの誕生に関する噂を知っていたのであろう。

  ④父が証人なら、法廷に出廷しなければならない。

(2)タルムードにイエスに関する記述がある。

  ①サンヘドリン(Sanhedrin)43a

    *イエシュという人物がペサハ(過越)の前日に「魔術を行い、イスラエ

ルを惑わせた」として処刑された。

  ②シャバット(Shabbat)104b

    *イエシュは、エジプトで魔術を学んだ。

  ③ギティン(Gittin)56b–57a

    *地獄での罰を受けている者として名前が挙がっている。

  トセフタ・ハギガ(Tosefta Chullin)2:22

    *イエスの母は「パンテラ(Pandera)」という人物によって妊娠した。

(3)イエスの回答

  ①福音書では、イエスは一度もヨセフを父と呼んでいない。

  ②イエスが誰であるかを知らないなら、父をも知らない。

  ③イエスを通してでなければ、父を知ることはない。

Ⅲ.結末(20節)

1.20節

Joh 8:20

イエスは、宮で教えていたとき、献金箱の近くでこのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。

(1)イエスは、公然と話しておられた。

  ①神殿の中の婦人の庭、献金箱のある所で、教えた。

(2)しかし、だれもイエスを逮捕しなかった。

  ①神の守りがあったから。

  ②「イエスの時」(十字架の時)が、まだ来ていなかった。

結論

1.水を汲む儀式:人生の渇きへの回答

(1)7:37~38

Joh 7:37

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。

Joh 7:38

わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」

(2)イエスを信じることによって、人生の渇きは癒やされる。

  ①霊的渇き(神との関係)

  ②感情的渇き(愛、心の平安、隣人との交流)

  ③知的渇き(人生の意味や真理の探究)

  ④物質的渇き(神の恵みに対する依存)

2.ランプに火を灯す儀式:人生の不安への回答

(1)8:12

Joh 8:12

イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」

(2)イエスを信じることによって、人生の闇は消される。

  ①罪とその支配

  ②悪魔の支配

  ③霊的無知と真理からの分離

  ④死と永遠の裁きへの恐怖

週間アクセスランキング

1

ヨハネの福音書(22)姦淫の場で捕えられた女ヨハ7:53~8:11

2

ヨハネの福音書(23)世の光イエスヨハ8:12~20

3

60分でわかる旧約聖書(18)ヨブ記

4

Q434 クリスチャンになった後の檀家関係の義務とは。

5

Q433 「締まりのない歩み方」とは、どういう意味ですか。

6

60分でわかる旧約聖書(3)「レビ記」

ハーベスト・タイムを応援する

ハーベスト・タイムの働きは、サポーターの皆様のお祈りと、献金により維持されております。
ぜひ、応援をよろしくお願いいたします。

ハーベスト・タイムのSNSでは、新着メッセージなどをお知らせしています。

聖書箇所の引用には新改訳聖書を使用しています。その他の場合は明記いたします。
聖書 新改訳2017(C)2017 新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-856号
Copyright © Harvest Time Ministries, All Rights Reserved.