私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ヨハネの福音書(23)世の光イエスヨハ8:12~20
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イエスは世の光であることを学ぶ。
ヨハネの福音書(23)
世の光イエス
ヨハ8:12~20
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
①公生涯への序曲(1:19~51)
②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)
③最初のエルサレム訪問(2:13~3:36)
④サマリア伝道(4:1~42)
⑤ガリラヤ伝道の再開(4:43~54)
⑥2度目のエルサレム訪問(5:1~47)
⑦後期ガリラヤ伝道(6:1~7:9)
⑧3度目のエルサレム訪問(7:10~10:42)
*仮庵の祭りでの教え(7:10~44)
*指導者たちの不信仰(7:45~52)
*世の光に関する説教(8:12~59)
・世の光イエス(8:12~20)
・唯一の救い主イエス(8:21~30)
・解放者イエス(8:31~59)
2.注目すべき点
(1)場面は、十字架にかかる約半年前の仮庵の祭りである。
(2)イエスは、祭りの終わりの大いなる日に、立って大声で人々を招かれた。
(3)「いのちの水」への招きの後、指導者たちによる迫害が激化する。
(4)霊的闇に光をもたらすのがイエスである。
(5)「世の光」の説教は、7つの説教の中の5番目である。
3.アウトライン
(1)イエスの宣言(12節)
(2)論争(13~19節)
(3)結末(20節)
4.結論
(1)人生の渇きに対する答え
(2)人生の不安に対する答え
イエスは世の光であることを学ぶ。
Ⅰ.イエスの宣言(12節)
1.12節
Joh 8:12
イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」
(1)この宣言をしたのはいつか。
①「姦淫の女」の箇所は挿入句である。
②つまり、「祭りの終わりの日」(恐らく8日目)が続いているということ。
③イエスは、人々を招かれた。
(2)この宣言をした場所はどこか。
①20節によれば、「献金箱のちかく」である。
*地図を表示
②婦人の庭に13の献金箱が置かれていた。
③箱にはラッパのような形をした口が付いていた(ショフェロット)。
④人々、特にパリサイ人たちは、この口の中に献金を投げ込んでいた。
*献金箱の写真を表示
(3)仮庵の祭りで行われた儀式
①シロアムの池から水を汲んで祭壇に注ぐ儀式があった。
②もう一つの儀式は、ランプに火を灯すというものである。
③巨大な燭台が2台そこに置かれ、夕暮れになると、祭司たちが火を灯した。
*50キュビトの高さ(22メートル)
*燭台の上に4個のランプが置かれていた。
④ランプの光は、エルサレムの狭い路地まで照らしたという(ミシュナ)。
⑤レビ人の聖歌隊が階段の上に整列し、讃美歌を歌った。
*詩120~134篇 「都上りの歌」、「都に上る歌」
*巡礼歌であり、祭司たちが階段を上った時に歌われた歌でもある。
*階段の段数は、15段である。「都上りの歌」も15ある。
*階段の写真を表示
⑥その音楽に合わせて、祭司、パリサイ人、巡礼者たちが、夜通し踊った。
*仮庵の祭りは、喜びの祭りである。
*もう一つの光の祭りは、ハヌカの祭りである(ヨハ10:22)。
(4)「世の光」の意味
①ユダヤの文書には、「世の光」という用語が頻繁に登場する。
②イスラエル、エルサレム、族長たち、メシア、神、有名なラビたち、律法
③ラビ的解釈
*灯された火は、シャカイナグローリーの象徴である。
*シャカイナグローリーは、神の臨在の現れである。
*灯された火は、荒野の旅で現れた雲の柱と火の柱の象徴である。
*灯された火は、幕屋に宿ったシャカイナグローリーの象徴である。
(5)再度、イエスの主張を確認する。
Joh 8:12
イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」
①イエスは、ご自分がシャカイナグローリーだと宣言しておられる。
②変貌山では、3人の弟子たちがシャカイナグローリーを目撃した。
③さらに彼らは、天からかかった父の声を聞いた(バット・コル)。
④イエスは、イスラエルの民の間に現れたシャカイナグローリーである。
⑤ヨハネの福音書の中の2番目の「I am.」である。
Ⅱ.論争(13~19節)
1.13節
Joh 8:13
すると、パリサイ人はイエスに言った。「あなたは自分で自分のことを証ししています。だから、あなたの証しは真実ではありません。」
(1)これは、モーセの律法に基づく法律議論である。
①申17:6と19:15の規定
*2人、または3人の証人の証言が必要である。
②ラビたちは、自己証言の有効性を認めなかった。
(2)しかし、「姦淫の女」の裁きにおいては、彼らはこの規定に違反した。
①自分たちが違反した規定を、イエスに適用している。
②彼らは、最初からイエスを信じるつもりはないのである。
2.14節
Joh 8:14
イエスは彼らに答えられた。「たとえ、わたしが自分自身について証しをしても、わたしの証しは真実です。わたしは自分がどこから来たのか、また、どこへ行くのかを知っているのですから。しかしあなたがたは、わたしがどこから来て、どこへ行くのかを知りません。
(1)イエスは、自分は複数の証人を必要としていないと言われた。
①自己証言が否定される理由は、人間の判断には偏見があるから。
②しかしイエスは、完ぺきな自己認識を持っておられた。
③父のもとから来て、父のもとに帰ろうとしているのを知っておられた。
④イエスは神であるので、その証言に誤りはない。
(2)しかし、パリサイ人たちは無知で、偏見に満ちている。
①彼らは、イエスがどこから来たかを知らない。
*父のもとから来たシャカイナグローリーだということを知らない。
②彼らは、イエスがどこに行くかを知らない。
*イエスは、死後に復活し、父なる神のもとに行こうとしておられる。
3.15~16節
Joh 8:15 あなたがたは肉によってさばきますが、わたしはだれもさばきません。
Joh 8:16
たとえ、わたしがさばくとしても、わたしのさばきは真実です。わたしは一人ではなく、わたしとわたしを遣わした父がさばくからです。
(1)パリサイ人たちの裁きの特徴
①肉によってさばく。
②表面的なことしか見ない。
③イエスの本質が見えない。
④イエスのことを「ナザレの大工」としてしか見ていない。
(2)イエスの裁きの特徴
①イエスは裁かない(ヨハ3:17)。
Joh 3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
②終末における裁きにおいても、父なる神の裁きを執行するだけである。
③イエスが裁くなら、その裁きは常に正しい。
④イエスひとりの裁きではなく、父なる神とともに裁くからである。
⑤イエスは、父なる神と一体性を強調された。
⑥パリサイ人たちから見ると、これは冒涜罪に当たる。
4. 17~18節
Joh 8:17
あなたがたの律法にも、二人の人による証しは真実であると書かれています。
Joh 8:18
わたしは自分について証しする者です。またわたしを遣わした父が、わたしについて証ししておられます。」
(1)「あなたがたの律法」という言い方は、皮肉である。
①彼らは律法の所有者であるが、それを都合よく利用しているだけである。
*本当に所有者なら、その命令に完全に従うはずである。
②イエスは、律法が2人ないし3人の証人を要求していることを認めた。
(2)ここには、ユダヤ的論法がある(大から小への論法)。
①もし、人間の証人(2人ないし3人)が有効だとするなら、ましてや…。
②イエスが、第1の証人である。
*イエスが行ったしるし
③父なる神が、第2の証人である。
*天からの声
④それでもユダヤ人たちは、イエスを信じようとはしなかった。
5.19節
Joh 8:19
すると、彼らはイエスに言った。「あなたの父はどこにいるのですか。」イエスは答えられた。「あなたがたは、わたしも、わたしの父も知りません。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知っていたでしょう。」
(1)彼らのことばは、イエスに対するあざけりである。
①あなたの父は誰かではなく、どこにいるのかと聞いた。
②イエスが、神を父だと主張していると理解した。
③イエスの誕生に関する噂を知っていたのであろう。
④父が証人なら、法廷に出廷しなければならない。
(2)タルムードにイエスに関する記述がある。
①サンヘドリン(Sanhedrin)43a
*イエシュという人物がペサハ(過越)の前日に「魔術を行い、イスラエ
ルを惑わせた」として処刑された。
②シャバット(Shabbat)104b
*イエシュは、エジプトで魔術を学んだ。
③ギティン(Gittin)56b–57a
*地獄での罰を受けている者として名前が挙がっている。
トセフタ・ハギガ(Tosefta Chullin)2:22
*イエスの母は「パンテラ(Pandera)」という人物によって妊娠した。
(3)イエスの回答
①福音書では、イエスは一度もヨセフを父と呼んでいない。
②イエスが誰であるかを知らないなら、父をも知らない。
③イエスを通してでなければ、父を知ることはない。
Ⅲ.結末(20節)
1.20節
Joh 8:20
イエスは、宮で教えていたとき、献金箱の近くでこのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。
(1)イエスは、公然と話しておられた。
①神殿の中の婦人の庭、献金箱のある所で、教えた。
(2)しかし、だれもイエスを逮捕しなかった。
①神の守りがあったから。
②「イエスの時」(十字架の時)が、まだ来ていなかった。
結論
1.水を汲む儀式:人生の渇きへの回答
(1)7:37~38
Joh 7:37
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
Joh 7:38
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
(2)イエスを信じることによって、人生の渇きは癒やされる。
①霊的渇き(神との関係)
②感情的渇き(愛、心の平安、隣人との交流)
③知的渇き(人生の意味や真理の探究)
④物質的渇き(神の恵みに対する依存)
2.ランプに火を灯す儀式:人生の不安への回答
(1)8:12
Joh 8:12
イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」
(2)イエスを信じることによって、人生の闇は消される。
①罪とその支配
②悪魔の支配
③霊的無知と真理からの分離
④死と永遠の裁きへの恐怖
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