メシアの生涯(154)—イエスの公生涯のまとめ—

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イエスの公生涯のまとめから、教訓を学ぶ。

「イエスの公生涯のまとめ」

ヨハ12:37~50

1.はじめに

  (1)文脈の確認

    ①イエスは、メシアとしてエルサレムに入城された。

②それは、ニサンの月の10日。紀元30年4月2日。日曜日であった。

③月曜日に、いちじくの木の呪いと、宮清めがあった。

④さらに月曜日に、ギリシア人の面会希望と「一粒の麦」の話があった。

⑤きょうの箇所は、ヨハネによるイエスの公生涯のまとめである。

⑥非常に厳粛な警告のことばである。

  (2)A.T.ロバートソンの調和表

    §130 イエスに会うことを願ったギリシア人たち

        ヨハ12:20~50

      ①一粒の麦の話(20~36節)

      ②ヨハネによるイエスの公生涯のまとめ(37~50節)

    *今回は、②を取り上げる。

  2.アウトライン

    (1)ユダヤ人の不信仰の分析(37~43節)

      ①イザ53:1~12の成就(37~38節)

      ②イザ6:9~10の成就(39~41節)

      ③信じた者の問題点(42~43節)

    (2)イエスの教えの5つのポイント(44~50節)

  3.結論

    (1)イエスがメシアであることを示す7つのしるしについて

    (2)イエスを信じなかった人たちについて

    (3)イエスを信じた人たちについて

イエスの公生涯のまとめから、教訓を学ぶ。

Ⅰ.ユダヤ人の不信仰の分析(37~43節)

  1.イザ53:1~12の成就(37~38節)

    (1)37節

Joh 12:37 イエスが彼らの目の前でこのように多くのしるしを行われたのに、彼らはイエスを信じなかった。

       ①ユダヤ人の不信仰は、ヨハネが最初から書いていたことである。

      「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった」

      (ヨハ1:11)

      ②イエスは彼らの目の前で、ご自身のメシア性を示す多くの奇跡を行われた。

      ③「信じなかった」とは、「不信仰な状態を続けた」ということ。頑固な態度。

      ④不信仰は、理屈に合わないものである。

    (2)38節

Joh 12:38 それは、「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。また主の御腕はだれに現されましたか」と言った預言者イザヤのことばが成就するためであった。

       ①ユダヤ人の不信仰は、イザヤによって預言されていた。

      ②ヨハネは、イザ53:1を引用している。

      ③疑問文に対する答えは、「信じた者は多くはない」である。

      ④「主の御腕」とは「神の力」。信じない人がその力を体験することはない。

  2.イザ6:9~10の成就(39~41節)

     (1)39~40節

Joh 12:39 彼らが信じることができなかったのは、イザヤがまた次のように言ったからである。

Joh 12:40 「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。それは、彼らが目で見ず、心で理解せず、回心せず、そしてわたしが彼らをいやすことのないためである。」

       ①不信仰の理由は、イザ6:9~10の成就である。

      ②主は彼らに、霊的盲目と心の頑なさをもたらした。

      ③これは、不信仰に対する神からの裁きでもある。

      (例話)イザ53章は、今日のユダヤ教では無視されている。

     (2)41節

Joh 12:41 イザヤがこう言ったのは、イザヤがイエスの栄光を見たからで、イエスをさして言ったのである。

       ①イザ6章で、イザヤは神の栄光を目撃し、預言者として召された。

      ②イザヤが見た栄光とは、イエスの栄光である。

      ③イエスは神であることが証明されている。

  3.信じた者の問題点(42~43)

     (1)42節

Joh 12:42 しかし、それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。会堂から追放されないためであった。

      ①指導者たちの多くが、イエスはメシアだと信じた。

        *議員、役人など

      ②しかし彼らは、信仰告白はしなかった。

      ③会堂から除名されることを恐れたのである。

    (2)43節

Joh 12:43 彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。

       ①彼らは、神からほめられることよりも、人間による評価の方を気にした。

      ②彼らは、真の信者なのか。このテーマは、結論で扱う。

Ⅱ.イエスの教えの要約(44~50節)

  1.イエスは父を証言するために来た(44節)。

Joh 12:44 また、イエスは大声で言われた。「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです。

     (1)44~50節には、イエスがどこで、いつ語ったかの説明がない。

      ①イエスのこれまでの教えを、ヨハネが要約していると考えられる。

      ②イエスの教えのポイントは、5つある。

    (2)イエスを信じることは、父なる神を信じることである。

      ①イエスと父とは完全に一体である。

②神を信じると言いながら、イエスを信じないことはあり得ないことである。

      ②イエスを信じないで、神を信じることはできない。

  2.イエスは父から派遣された(45節)。

Joh 12:45 また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのです。

     (1)父なる神の実態は霊である。

      ①神を見た者はいない。

    (2)イエスは、父なる神を啓示するために来られた。

      ①イエスが啓示するのは、神の体ではなく、神のご性質である。

      ②イエスの内に見られるご性質は、父のご性質でもある。

  3.イエスは光である(46節)。

Joh 12:46 わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。

     (1)イエスは、この世に輝くシャカイナグローリーである。

      ①イエスがこの世に来た目的は、私たちを闇から解放するためである。

    (2)信じる者は、どのような闇から解放されたのか。

      ①私たちは、命、死、永遠に関して無知であったが、イエスにあって真理を見い

出した。

②私たちは、道徳的に闇の中にいたが、そこから解放された。

③私たちは、サタンの闇の王国から解放され、愛と光の神の御国に導かれた。

  4.イエスを受け入れ者は救われる(47節)。

Joh 12:47 だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。

     (1)イエスの初臨の目的は、世を救うことである。

      ①それゆえイエスは、信じない者を裁かない。

②不信者の裁きは、将来のことである。

  5.イエスを拒否する者は、イエスが語ったことばによって裁かれる(48~50節)。

Joh 12:48 わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。

Joh 12:49 わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。

Joh 12:50 わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」

    (1)イエスを信じなかった者が裁かれる基準は、イエスが語ったことばである。

     (2)イエスが語ったことは、すべて父から命じられたことである。

      ①イエスは、自分の言いたいことを言ったのではない。

    (3)父の命令は、信じる者に永遠の命を与えるものである。

      ①イエスはそれを知っているので、父が命じる通りに語っている。

結論:

  1.イエスがメシアであることを示す証拠

    (1)水をぶどう酒に変えた奇跡(2:1~12)

    (2)王室の役人の息子の癒し(4:46~54)

    (3)ベテスダの池での病人の癒し(5章)

    (4)5千人のパンの奇跡(6章)

    (5)ガリラヤ湖の嵐を静める奇跡(6:16~21)

    (6)生まれつきの盲人の癒し(9章)

    (7)ラザロの復活(11章)

  2.イエスを信じなかった人たち

    (1)信じようとしない。

    「イエスが彼らの目の前でこのように多くのしるしを行われたのに、彼らはイエスを

信じなかった」(37節)

  ①神が与えるしるしに応答しなかった。

  ②不信仰な態度を継続した。自らの心を頑なにした。

(2)信じられなくなった。

「彼らが信じることができなかったのは、イザヤがまた次のように言ったからである」

(39節)

(3)信じられないようにさせられた。

「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。それは、彼ら

が目で見ず、心で理解せず、回心せず、そしてわたしが彼らをいやすことのないため

である」(40節)

(4)不信仰を続ければ、信じることがより難しくなる。

  3.イエスを信じた人たち

「しかし、それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。

ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。会堂から追放されないためであ

った」(42節)

    (1)彼らは、本当に信じ、救われたのか。

      ①告白をしないのは、救われていない証拠だと考える人もいる。

      ②救われてはいるが、告白をしていないだけだと考える人もいる。

    (2)少なくとも、2人は本物の信仰を持っていた。

    「そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたア

リマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、

ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。前に、夜

イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キ

ログラムばかり持って、やって来た」(ヨハ19:38~39)

  ①アリマタヤのヨセフとニコデモは、神の栄誉を受ける者となった。

      

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