メシアの生涯(155)—枯れたいちじくの木—

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枯れたいちじくの木から霊的教訓を学ぶ。

「枯れたいちじくの木」

マコ11:19~25

1.はじめに

  (1)文脈の確認

    ①イエスは、メシアとしてエルサレムに入城された。

②それは、ニサンの月の10日。紀元30年4月2日。日曜日であった。

③月曜日に、いちじくの木の呪いと、宮清めがあった。

④さらに月曜日に、ギリシア人の面会希望と「一粒の麦」の話があった。

⑤きょうの出来事は、火曜日に起こったものである。

  (2)A.T.ロバートソンの調和表

    §131 枯れたいちじくの木と祈りについての教え

        マコ11:19~25

  2.アウトライン

    (1)月曜日の夕方(19節)

    (2)火曜日の朝(20~21節)

    (3)祈りについての教え(22~25節)

  3.結論:3つの誤解を解く。

    (1)「山を動かす」ということば

    (2)「信じるなら、その通りになる」ということば

    (3)「赦してやりなさい」ということば

枯れたいちじくの木から霊的教訓を学ぶ。

Ⅰ.月曜日の夕方(19節)

  1.18節を再確認する。

Mar 11:18 祭司長、律法学者たちは聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。イエスを恐れたからであった。なぜなら、群衆がみなイエスの教えに驚嘆していたからである。

     (1)ユダヤ人の指導者たちは、イエスを殺す相談をしていた。

      ①群衆がイエスの方に流れていくのを恐れた。

    (2)群衆は、イエスの教えに驚嘆していた。

      ①宮清めの出来事を目撃した。

      ②イエスの教えは、ラビたちの教えとは全く違う。

  2.19節

Mar 11:19 夕方になると、イエスとその弟子たちは、いつも都から外に出た。

     (1)直訳は、「夕が来るたびに」である。

      ①イエスは習慣的に、夜はエルサレムの町の外で過ごした。

      ②祭りの期間、町の中は世界各地からの巡礼者で混雑した状態になった。

      ③多くの者たちが、町の外に出て夜を過ごした。

      ④ただし、過越の食事だけは町の中で食することを願った。

    (2)イエスが町から外に出た理由(上記以外の理由)

      ①身の安全を確保するためである。

②まだ神の時が来ていない。

③羊を守るのが、イエスの使命である。

  *羊とは、12弟子のことである。

  *彼らは、イエスが地上を去った後、福音の使者となる。

    (3)イエスはエルサレムとベタニヤの間を往復した。

      ①マルタとマリアの家に泊まることが多かった。

②屋外に宿泊したこともあったと思われる。

Ⅱ.火曜日の朝(20~21節)

   1.20節

Mar 11:20 朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。

     (1)ベタニヤからエルサレムに向かう途中の出来事である。

      ①イエスが呪ったいちじくの木が枯れていた。

      ②復習:春先に小さな実(蕾)がなる。イエスはそれを期待された。

    (2)訳語としては、「根まで枯れていた」ではなく「根から枯れていた」である。

      ①根が枯れるから、木が枯れるのである。

      ②ユダヤ人たちの内面(霊的状態)が死んでいるので、外面も滅びるのである。

  2.21節

Mar 11:21 ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました。」

     (1)ペテロの記憶力のよさに注目しよう。

    「するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、『鶏が二度鳴く前に、あな

たは、わたしを知らないと三度言います』というイエスのおことばを思い出した。そ

れに思い当たったとき、彼は泣き出した」(マコ14:72)

(2)ペテロは驚いた(弟子たち全員がそうであった)。

「イエスは、その木に向かって言われた。『今後、いつまでも、だれもおまえの実を食

べることのないように。』弟子たちはこれを聞いていた」(マコ11:14)

  ①前日のイエスのことばの印象よりも厳しい結果が起こった。

  ②「先生」とは、「ラビ」である。

  ③「ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました」

    *イエスをたしなめるようなニュアンスが感じられる。

(3)イエスの回答に注目しよう。

  ①イエスは、いちじくの木が枯れたことが何を指しているかを説明していない。

  ②霊的いのちがなければやがて滅びる、というのが霊的教訓である。

  ③補足説明:聖書では、イスラエルの民を象徴する言葉は「ぶどうの木」である。

  ④ここでは、いちじくが枯れたという出来事を、ユダヤ人の現状に適用している。

  ⑤この出来事には、もう一つの適用がある。それが祈りについての教えである。

  ⑥弟子たちが驚いたことが、イエスの教えの舞台設定となっている。

Ⅲ.祈りについての教え(22~25節)

   1.22節

Mar 11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。

     (1)間もなくイエスは、地上を去ろうとしている。

      ①弟子たちは、自分たちだけで難問に取り組むことになる。

      ②その弟子たちへの重要な教えである。

    (2)「神を信じなさい」

      ①祈りが聞かれるための必須条件である。

      ②神の全能の力と変わることのない愛への信頼である。

      ③神というお方への信頼である(汝と我の関係)。

   2.23節

Mar 11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

     (1)「まことに、あなたがたに告げます」

      ①「アーメン」という厳粛なイントロダクション

      ②次に続く内容が重要であることを示している。

    (2)「だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、

ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります」

  ①誇張法である。

  ②山とはオリーブ山、海とは死海である。

  ③否定:心の中で疑わない。

  ④肯定:自分の言ったとおりになると信じる。

  3.24節

Mar 11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

     (1)以上の条件が満たされたなら、祈りは聞かれたと信じてよい。

      ①実際の答えがまだ与えられていなくても、与えられたのと同じと信じる。

  4.25節

Mar 11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」

     (1)「立って祈っているとき」

      ①ひざまずいて祈るのは、後代の習慣である。

      ②立って祈るのが、ユダヤ人たちの一般的な習慣である。

    (2)神を信じる者は、自分が赦された者であることを知っている。

      ①それゆえ信者には、自分に罪を犯した者を赦すことが期待されている。

    (3)26節(異本による訳文)(新共同訳)

「もし赦さないなら、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちをお赦しにならない」

結論:3つの誤解

  1.「山を動かす」ということば

    (1)実際に山を動かすわけではない。

    (2)これは、「解決困難な問題」のことである。

    「大いなる山よ、お前は何者か。ゼルバベルの前では平らにされる。彼が親石を取り

出せば、見事、見事と叫びがあがる」(ゼカ4:7)

    (3)私たちが祈るべき執りなしの祈り

    「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの

内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなた

がたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」(エペ3:16~17)

  2.「信じるなら、その通りになる」ということば

    (1)信仰のない祈りは虚しい。

    「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在して

おられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、

信じていなければならないからです」(ヘブ11:6)

(2)「その通りになる」には、神の御心と調和しているという前提がある。

「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわた

しから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころ

のままを、なさってください」(マコ14:36)

「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何

でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれが

かなえられます」(ヨハ15:7)

  3.「赦してやりなさい」ということば

    (1)隣人を赦さなければ神の赦しを受けることができないということではない。

    (2)赦しは、信仰と恵みによって与えられる。

      ①信じる内容は、「福音の三要素」である。

      ②信じる対象は、神である。

    (3)ここで問題になっているのは、父なる神と信者の「親子関係」である。

      ①隣人を赦さない者は、日々の生活の中で神の祝福を受けることができない。

      「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを

赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」(エペ4:32)

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