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コリント人への手紙第二(16)パウロと偽使徒の違い(3)-使徒のしるし-12:1~18
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パウロが使徒として受けた啓示と恵みについて学ぶ。
コリント人への手紙第二 16回
パウロと偽使徒の違い(3)
-使徒のしるし-
12 :1~18
はじめに
1.文脈の確認
(1)イントロダクション(1:1~11)
(2)パウロを疑う者たちへの回答(1:12~7:16)
(3)エルサレム教会への献金(8:1~9:15)
(4)使徒職を疑う者たちへの反論(10:1~13:10)
①批判する者たちへの反論(10:1~18)
②パウロと偽使徒の違い(11:1~12:18)
*コリントの信者たちへの愛(11:1~6)
*無給で仕える特権(11:7~15)
*苦難に満ちた奉仕(11:16~33)
*主からの特別な啓示(12:1~10)
*霊の子に対する愛(12:11~18)
③訪問を前提とした勧告(12:19~13:10)
(5)最後のあいさつ(13:11~13)
2.注目すべき点
(1)パウロは、コリント教会を訪問するという前提で、この手紙を書いている。
(2)コリント教会には、パウロの使徒職を疑う者たちがいた。
(3)パウロは、無給で仕えることと数々の苦難は、使徒職の証拠であると論じた。
(4)この箇所では、主からの啓示と主の恵みについて論じる。
3.アウトライン:使徒のしるし
(1)主からの特別な啓示(12:1~10)
(2)霊の子に対する愛(12:11~18)
4.結論:パウロの体験の適用
パウロが使徒として受けた啓示と恵みについて学ぶ。
Ⅰ.主からの特別な啓示(12:1~10)
1.1節
2Co 12:1
私は誇らずにはいられません。誇っても無益ですが、主の幻と啓示の話に入りましょう。
(1)誇っても無益であるが、コリント教会の現状を考えると、誇る必要がある。
①パウロは、最も屈辱的な体験(苦難)について語った。
②今から、最も栄光に富んだ体験(主の幻と啓示)について語る。
2.2~4節
2Co 12:2
私はキリストにある一人の人を知っています。この人は十四年前に、第三の天にまで引き上げられました。肉体のままであったのか、私は知りません。肉体を離れてであったのか、それも知りません。神がご存じです。
2Co 12:3
私はこのような人を知っています。肉体のままであったのか、肉体を離れてであったのか、私は知りません。神がご存じです。
2Co 12:4
彼はパラダイスに引き上げられて、言い表すこともできない、人間が語ることを許されていないことばを聞きました。
(1)「キリストにある一人の人」とは、パウロ自身のことである。
①パウロは14年前に第三の天にまで引き上げられた。
②生きたままなのか、死んだ状態でなのか、パウロは知らない。
③このような素晴らしい体験をした理由は、「キリストにある」という点にある。
*パウロが素晴らしいからではない。
*名前を伏せている理由は、限度を超えて誇らないためである。
(2)「第三の天にまで引き上げられた」
①第一の天は大空、第二の天は宇宙空間。
②第三の天は、パラダイスである(ルカ23:43、黙2:7)。
*第三の天は、復活のキリストがおられる場所である。
(3)「人間が語ることを許されていないことばを聞いた」
①彼がパラダイスで聞いたのは、人間が語ることを許されていないことばである。
②パウロは、その内容がなんであるかについて沈黙している。
③しかし、その体験は彼の信仰を強くした。
3.5~6節
2Co 12:5
このような人のことを私は誇ります。しかし、私自身については、弱さ以外は誇りません。
2Co 12:6
たとえ私が誇りたいと思ったとしても、愚か者とはならないでしょう。本当のことを語るからです。しかし、その啓示があまりにもすばらしいために、私について見ること、私から聞くこと以上に、だれかが私を過大に評価するといけないので、私は誇ることを控えましょう。
(1)パウロが自分の名を出さない理由
①苦難の話をするときは、自分の弱さを誇る。
②啓示の話をするときは、控えめに語る。
③啓示があまりにも素晴らしいので、実際の自分以上に評価される危険性がある。
4.7節
2Co 12:7
その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。
(1)高慢にならないように、「肉体に一つのとげ」を与えられた。
①恐らくなんらかの病であろう。
②具体的に啓示されていないことに意味がある。普遍的な適用が可能になる。
③悪魔は、パウロの奉仕を妨害しようとして使いを送ってくる。
④神は、その妨害を用いてパウロの奉仕をより有効なものとする。
5.8節
2Co 12:8
この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。
(1)パウロは、この使いを去らせてくださるようにと、3度祈った。
①苦痛の激しさを示している。
②主イエスのゲツセマネの園での3度の祈りを想起させる。
6.9~10節
2Co 12:9
しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
2Co 12:10
ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
(1)主は、パウロの願いには応えず、それとは別のものを約束された。
①力ではなく、苦難に耐えるための恵みを約束された。
②弱いパウロが福音を語るとき、主の恵みが働いて、力強い奉仕が可能となる。
(2)パウロの視点は変わった。
①弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいる。
②キリストのゆえに(キリストの栄光のために)
③弱いときにこそ、強い(より主に信頼するようになる)。
Ⅱ.霊の子に対する愛(12:11~18)
1.11節
2Co 12:11
私は愚か者になってしまいました。あなたがたが無理に私をそうさせたのです。私は当然、あなたがたの推薦を受けてよかったはずです。私は、たとえ取るに足りない者であっても、あの大使徒たちに少しも劣るところはなかったのですから。
(1)パウロは、自慢することに嫌気が差している。
①自慢したいからそうしたのでなく、コリントの信者たちがそうさせたのである。
②彼らは、パウロが非難されたとき、彼を弁護すべきであった。
③パウロは、自分は「あの大使徒たち」に少しも劣るところはないと感じている。
④「あの大使徒たち」とは、ここでは12使徒のことであろう。
2.12節
2Co 12:12
私は忍耐を尽くして、あなたがたの間で使徒としてのしるしを明らかにしました。しるしと不思議と力あるわざによってです。
(1)訳文の比較
「使徒としてのしるしは、忍耐を尽くしてあなたがたの間でなされた、しるしと不思
議な業と奇跡です」(共同訳)
①原文では、「しるしと不思議な業と奇跡」は「なされた」という受動態である。
②それをなしたのはパウロではなく、主である。
③主は、奇跡を通してパウロが使徒として召されていることを証明された。
(2)「しるしと不思議と力あるわざ」
①使徒職を証明する奇跡である。
②3種類の奇跡があるというわけではない。
*しるしは、人間の理性にある情報を伝達するものである。
*不思議は、人間の感情をかき立てるものである。
*力あるわざは、人間を越えた力が働いたことを示すものである。
③パウロがコリントで奇跡を行ったという記録はないが、これは事実である。
3.13節
2Co 12:13
あなたがたが他の諸教会より劣っている点は何でしょうか。この私が、あなたがたに負担をかけなかったことだけではありませんか。この不正のことは赦してください。
(1)奇跡に関しては、コリント教会は他の諸教会に劣っているわけではない。
①コリント教会になかったのは、パウロを経済的に支えることだけである。
②経済的支援を受けるのは、使徒のしるしである。
③「この不公平については、どうか赦してください」(リビングバイブル)
*この表現は、皮肉(アイロニー)である。
4.14節
2Co 12:14
見なさい。私は、あなたがたのところに三度目の訪問をする準備ができていますが、あなたがたに負担はかけません。私が求めているのは、あなたがたが持っている物ではなく、あなたがた自身なのです。子が親のために蓄える必要はなく、親が子のために蓄えるべきです。
(1)パウロはコリント教会を訪問することを計画している。
①彼らに経済的負担をかけるつもりはない。
②パウロは、物よりも人に興味がある。
(2)「子が親のために蓄える必要はなく、親が子のために蓄えるべきです」
「小さな子どもは親を食べさせる必要はありません。その逆です。親が子どもを食べ
させるのです」(リビングバイブル)
①この聖句は、日常生活における親子の関係への言及である。
②親には子どもに対する扶養義務がある。
5.15節
2Co 12:15
私は、あなたがたのたましいのために、大いに喜んで財を費やし、自分自身を使い尽くしましょう。私があなたがたを愛すれば愛するほど、私はますます愛されなくなるのでしょうか。
(1)パウロの決意
①パウロは、コリントの信者たちのために、財も自分自身も費やすつもりである。
②彼らが愛によって応答しなくても、愛を示すつもりである。
6.16~18節
2Co 12:16
それならそれでよいとして、私はあなたがたに重荷を負わせませんでした。それでも私は、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったと言われます。
2Co 12:17
私はあなたがたのところに人を遣わしましたが、そのうちのだれかによって、あなたがたをだますことがあったでしょうか。
2Co 12:18
私はテトスにそちらに行くように頼み、あの兄弟もともに遣わしました。テトスはあなたがたをだましたでしょうか。私たちは同じ心で歩んだではありませんか。同じ足跡をたどったではありませんか。
(1)パウロは、派遣した者たちを通してだまし取っていると批判されていた。
①パウロが派遣した者たちの中に、だまし取るような人がいただろうか。
(2)この問いに、パウロ自らが答える。
①テトスと別の兄弟がコリントを訪問した。
②テトスは、パウロと同じ足跡をたどった。
*自給伝道に励んだ。
結論:キリストのしもべの体験
1.谷底から高嶺に、高嶺から谷底に
(1)パウロは、自らが体験した苦難に言及した。
①自らを誇ることは、愚かなことである。
②しかし、コリントの信者に分からせるためにこのことが必要であった。
③苦難は、使徒として召されたことの証拠である。
④ミニストリーの評価を再吟味すべきである。
(2)パウロは、自らが体験した特権に言及した。
①第三の天に引き上げられ、主から啓示を受けた。
②あまりにも厳粛なので、語ることを許されていない。
③特別な啓示は、使徒として召されたことの証拠である。
(3)キリストのしもべには、試練と祝福が交互にやってくる。
2.高嶺体験の後に続く試練
(1)その啓示のすばらしさのゆえに、パウロは肉体に一つのとげを与えられた。
①高慢にならないようにするためのサタンの使いである。
(2)サタンの使いが去ることはないが、それ以上の恵みが与えられる。
①試練に耐える力と福音伝達にともなう力
3.霊的に成熟したしもべの視点
(1)弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜ぶようになる。
(2)キリストの栄光がミニストリーのゴールになる。
(3)弱いときにこそ、強いという確信を得る(より主に信頼するようになる)。
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