私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q422 人身供養は容認されますか。
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422 人身供養は容認されるか
Q:聖書の中に、人身供養を容認しているかのように読める箇所があります。士師記11章に記されているエフタの物語がそれです。エフタは、実際に自分の娘を献げたのでしょうか。
A:はじめに
エフタは、アンモン人との戦いに際して、次のように誓願を立てました。
「私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を【主】のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます」
(士11:31)
彼が勝利して家に帰ると、彼の娘が最初に出て来ました。エフタは誓願どおりに娘を全焼のささげ物として献げたのだろうかというのが、質問の内容です。私は、これは人身供養ではないと信じています。その理由を3つ申し上げます。
1番目に、神は人身供養を禁じておられます。
(1)申命記18章10節
(2)レビ記 18章21節
(3)エレミヤ書 7章31節
2番目に、祭司は人身供養を援助しません。
(1)モーセの律法に従って全焼のささげ物を献げるためには、祭司の援助が必要です。
(2)祭司は、いけにえの動物を【主】に献げますが、人間を屠ることはありません。
3番目に、娘を生涯独身にして神に献げたという解釈が正解です。
(1)この解釈は、文脈に沿ったものです。
(2)彼女は、一生結婚せず子どもを持たないことを嘆きます。
(3)当時の女性たちにとっては、子どもを持たないことは大変な悲劇でした。
(4)「娘は父に言った。『このように私にさせてください。私に二か月の猶予を下さい。
私は山々をさまよい歩き、自分が処女であることを友だちと泣き悲しみたいのです』」(士
11:37)
エフタの物語は、人身供養を容認したものではありません。
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