私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(131)—後の者が先になり—
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後の者が先になった経緯について、学ぶ。
「後の者が先になり」
ヨハ10:40~42、ルカ13:22~35
1.はじめに
(1)文脈の確認
①宮きよめの祭りでの出来事
*ユダヤ人たちの間に分裂が起こった。
*ユダヤ人たちは、イエスに石を投げようとした。
*イエスは、そこを無事に逃れた。
*十字架の死の約4ヶ月前のことである。
②イエスは、エルサレムからペレアに移動する。
*そこでの奉仕は、収穫が多かった。
*後の者が先になった。
③ペレアに滞在していたイエスのもとに、ラザロが病気だという知らせが入る。
④イエスは、ペレアからベタニヤに向かう。
⑤きょうのルカの箇所は、恐らく、その途上の出来事であろう。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
§112 エルサレムからヨルダン川の東への移動
§113 ペレアからエルサレムに向かう途上での教え
2.アウトライン
(1)祝された奉仕(ヨハ10:40~42)
(2)悲観的な見通し(ルカ13:22~30)
(3)十字架の死に向けての弟子訓練(ルカ13:31~35)
3.結論:
(1)再臨の条件
(2)後の者が先になり
後の者が先になった経緯について、学ぶ。
Ⅰ.祝された奉仕(ヨハ10:40~42)
1.40節
Joh 10:40 そして、イエスはまたヨルダンを渡って、ヨハネが初めにバプテスマを授けていた所に行かれ、そこに滞在された。
(1)場所は、ヨルダン川の東、ペレアである。
①ここは、サンヘドリンの支配が及ばない地区である。
②バプテスマのヨハネの活動は、主にペレアで行われた。
③ここは、イエスが公生涯を始めた場所でもある。
④イエスは、公生涯の終わりにそこに戻られた。
⑤そこは、中央の宗教的権威からは隔離された、孤独な場所である。
(2)バプテスマのヨハネは、その地で洗礼を授けていた。
①これは、ヨハネに付くバプテスマである。
②洗礼を受けた人々は、ヨハネの教えを受け入れた。
③洗礼を受けた人々は、メシアが登場した時、その方を信じる決意を表明した。
2.41~42節
Joh 10:41 多くの人々がイエスのところに来た。彼らは、「ヨハネは何一つしるしを行わなかったけれども、彼がこの方について話したことはみな真実であった」と言った。
Joh 10:42 そして、その地方で多くの人々がイエスを信じた。
(1)その地で、多くの収穫があった。
①ユダヤやエルサレムでの状況とは、好対照である。
(2)信じた人たちは、バプテスマのヨハネの影響を受けていた。
①ヨハネは、奇跡を行ったわけではない。
②ヨハネは、メシアについて証言し、それがすべて真実であった。
③ヨハネは、メシアの先駆者としての使命を十分に果たした。
Ⅱ.悲観的な見通し(ルカ13:22~30)
1.22節
Luk 13:22 イエスは、町々村々を次々に教えながら通り、エルサレムへの旅を続けられた。
(1)エルサレムへの途上、ペレアの町々村々を通りながら、教えた。
2.23~24節
Luk 13:23 すると、「主よ。救われる者は少ないのですか」と言う人があった。イエスは、人々に言われた。
Luk 13:24 「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。
(1)ひとりの弟子がイエスに質問した。
①「救われる」とは、イスラエル人が神の国(メシア的王国)に入るということ。
②質問の理由は、イエスが説く神の国のメッセージに応答する人が少ないから。
③ユダヤ人の指導者たちはイエスのメシア性を拒否した。
④民衆も、指導者たちの意見を鵜呑みにしていた。
⑤個人レベルの救いを提供しようとするイエスの働きは、終わりに近づいていた。
(2)イエスは彼に答えた。
①他人のことはいいから、自分の救いのことを心配しなさい。
②「2つの道」のイメージは、ユダヤ的文書にはよく出て来るものである。
③ここでは、「狭い門と広い門」の対比がある。
④広い門とは、パリサイ派の教えである。
*ユダヤ人として生まれたなら、神の国に入れる。
⑤狭い門とは、イエスの教えである。
*イエスをメシアと信じる信仰によって、神の国に入れる。
*「努力して」とは、業による救いのことではない。
⑥今は「恵みの時」であるが、それが終わる日が来る。
*そのことを、宴会を催した主人の例話で教える。
3.25~27節
Luk 13:25 家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。
Luk 13:26 すると、あなたがたは、こう言い始めるでしょう。『私たちは、ごいっしょに、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました。』
Luk 13:27 だが、主人はこう言うでしょう。『私はあなたがたがどこの者だか知りません。不正を行う者たち。みな出て行きなさい。』
(1)神の国は、ユダヤ的には「宴会」にたとえられることが多い。
①救われる目的は、神の国に入るためである。
②神の国に入るということが、宴会の席に付くことで表現されている。
(2)家の主人は、立ち上がって戸を閉める。
①恵みの時が終わると、戸は開かない。
②外に立って戸をたたく人たちは、イスラエル人たちである。
③いくら懇願しても、戸は開かない。
④主人は、「あなたがたがどこの者か、私は知らない」と答える。
(3)そこで彼らは、主人と自分たちは密接な関係にあるとアピールする。
①「私たちは、ごいっしょに、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通
りで教えていただきました」
②これは、その時代のユダヤ人たちに対するイエスの奉仕への言及である。
(4)主人は、彼らを家の中に入れない。
①「私はあなたがたがどこの者だか知りません」
②「不正を行う者たち」
③「みな出て行きなさい」
④今イエスを信じなければ、手遅れになる日が来る。
⑤その時代のユダヤ人たちにとっては、紀元70年がその日となった。
4.28~30節
Luk 13:28 神の国にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちが入っているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。
Luk 13:29 人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。
Luk 13:30 いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるのです。」
(1)イスラエルの中の信仰者たちは、神の国に入っている。
①アブラハム、イサク、ヤコブ
②すべての預言者たち
③彼らは、真の信仰者たち(イスラエルの残れる者たち)である。
(2)しかし、イエスを信じなかった者たちは、外に投げ出される。
①裁きの苦しさが、「泣き叫んだり、歯ぎしりしたり」という言葉で表現される。
(3)異邦人の救いが預言されている。
①「東からも西からも、また南からも北からも来て」とは、異邦人のことである。
②神の国で食卓に着くとは、救われていることの描写である。
(4)異邦人とユダヤ人の立場が逆転する。
①「今しんがりの者」とは、異邦人のことである。
②「いま先頭の者」とは、ユダヤ人のことである。
Ⅲ.十字架の死に向けての弟子訓練(ルカ13:31~35)
1.31節
Luk 13:31 ちょうどそのとき、何人かのパリサイ人が近寄って来て、イエスに言った。「ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています。」
(1)ヘロデとは、ヘロデ・アンティパスのことである。
①彼の領土は、ガリラヤとペレアである。
②彼はバプテスマのヨハネを殺した。
③イエスのことを、バプテスマのヨハネが復活したと考えている。
④イエスを殺そうと思っているというのは、正しい情報であろう。
(2)イエスを殺そうとしていたパリサイ人が、なぜイエスを守ろうとしているのか。
①イエスをユダヤ、エルサレムに戻そうとしている。
②そこは、サンヘドリンの管轄地域である。
③そこなら、イエスを逮捕することができる。
(3)しかしイエスは、ご自分のタイムテーブルに従って行動される。
①エルサレムに上るとしたら、ご自分の時と目的に沿ってそうする。
2.32~33節
Luk 13:32 イエスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。
Luk 13:33 だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』
(1)イエスは、パリサイ人とヘロデの関係を見抜いている。
①ヘロデに告げよ。
②「あの狐」(女狐)(あるいは、ヘロデヤを意味しているのかも知れない)
*イエスが人間を表現するために用いた最も悲しい言葉である。
(2)イエスは、いかなる権威にも屈することはない。
①「きょうと、あすとは、」は、格言である。短い期間という意味。
*今しばらくは、なすべき奉仕に励むということ。
②「三日目に全うされます」とは、最後には使命をすべて終えるという意味。
*受難を指した言葉である。
(3)メシアは、ガリラヤやペレアでは死なない。
①神から遣わされた預言者たちは、エルサレムで殺されてきた。
②今回も、預言者の中の預言者である方が、エルサレムで死のうとしている。
③これは、エルサレムに対する糾弾の言葉である。
④ペレアにおいて十字架の影がイエスを覆い、それがエルサレムで成就する。
3.34~35節
Luk 13:34 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
Luk 13:35 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」
(1)ここでルカは、イエスがイスラエルの民を拒否したことを記録している。
①エルサレムとは、イスラエルの民を象徴する言葉である。
②イスラエルの民がイエスを拒否したので、イエスも彼らを拒否する。
(2)イエスは、涙なしにエルサレムを拒否したわけではない。
①イエスの愛と優しさに溢れた奉仕(めんどりがひなを翼の下にかばうように)
②エルサレムがイエスを拒否した(頑固な姿勢)。
(3)エルサレムの町も神殿も、荒れ果てたままに遺される。
①紀元70年以降、そうなった。
(4)「『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたの言うときが来るま
では、あなたがたは決してわたしを見ることができません」
①これは、再臨の預言である。
結論
1.再臨の条件(ルカ13:35)
Luk 13:35 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」
(1)「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」(詩118:26)
(2)イエスがエルサレムに入場する際に、群衆はこの聖句を引用した(マタ21:9)。
(3)イエスは、公生涯の最後に、再度この聖句を引用した(マタ23:37~39)。
(4)再臨の条件は、ユダヤ人たちがイエスをメシアと信じ、その到来を歓迎すること
である。
(5)再臨の希望を語りながら、ユダヤ人の救いに無関心なのは、一貫性がない。
2.後の者が先になり
(1)ペレアのユダヤ人とエルサレムのユダヤ人の対比
(2)異邦人とユダヤ人の対比
(3)ユダヤ人たちは、なぜイエスを信じなかったのか。
①数百年にわたるパリサイ的教えの影響
②口伝律法を垣根のように巡らせたので、聖書のメッセージが分からなくなった。
③イエスをメシアと認識できなくなった。
(4)イエスの教えは、革命的なものであった。
①彼らは、アブラハムの子孫であれば、神の国に入れると思っていた。
②さらに、ユダヤ人だけが神の国に入ると思っていた。
③イエスが教えた異邦人の救いは、彼らにとっては驚くべき内容であった。
(5)私たちへの適用(1コリ1:26~31)
1Co 1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
1Co 1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
1Co 1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
1Co 1:29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。
1Co 1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。
1Co 1:31 まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。
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