私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
コリント人への手紙第二(2)計画延期に関する弁明―計画の延期―1:12~2:4
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計画変更の理由について学ぶ。
コリント人への手紙第二 2回
計画延期に関する弁明―計画の延期―
1 :12~2:4
はじめに
1.文脈の確認
(1)イントロダクション(1:1~11)
(2)パウロを疑う者たちへの回答(1:12~7:16)
①計画変更についての弁明(1:12~2:17)
*計画変更の理由(1:12~2:4)
*厳しい手紙の結果(2:5~17)
②奉仕の本質の解説(3:1~6:10)
③信頼回復の訴え(6:11~7:16)
2.注目すべき点
(1)この書簡は、明確なアウトラインを作るのが難しい。
(2)心の赴くままに、極めて個人的な内容を記しているからである。
(3)その内容は、まるで牧会書簡(1テモ、2テモ、テト)のようである。
(4)教理を教えるのではなく、自分に向けられた批判に回答している。
3.アウトライン:計画変更の理由
(1)誠実な行為(1:12~14)
(2)一貫した行為(1:15~22)
(3)愛に基づく行為(1:23~2:4)
4.結論
(1)使徒たちへの信頼
(2)救われた者が受ける祝福
計画変更の理由について学ぶ。
Ⅰ.誠実な行為(1:12~14)
1.12節
2Co 1:12
私たちが誇りとすること、私たちの良心が証ししていることは、私たちがこの世において、特にあなたがたに対して、神から来る純真さと誠実さをもって、肉的な知恵によらず、神の恵みによって行動してきたということです。
(1)パウロは、自分の奉仕を誇りとしている。
①自分の良心が証ししている。
(2)コリントの信者たちへの奉仕の内容
①真実さと誠実さをもって
*神から来る透明な真実さと誠実さで奉仕した。
②肉的な知恵によらず
*人間的な手法に頼らないで奉仕した。
③神の恵みによって
*値なしに受ける知恵と力によって奉仕した。
2.13~14節
2Co 1:13
私たちは、あなたがたが読んで理解できること以外は何も書いていません。あなたがたは、私たちについてすでにある程度理解しているのですから、私たちの主イエスの日には、あなたがたが私たちの誇りであるように、私たちもあなたがたの誇りであることを、完全に理解してくれるものと期待しています。
2Co 1:14 [前節と合節]
(1)真実さと誠実さは、この手紙の特徴にもなっている。
①パウロは率直に書いているので、行間を読む努力をする必要はない。
②文字どおり、そのまま読めばよい。
*「あなたがたが読んで理解できること以外は何も書いていません」
(2)コリントの信者たちは、パウロについてある程度理解している。
①パウロを疑う者がいた。
②パウロを信頼する者も、その理解は不十分であった。
(3)パウロの願いは、彼らの理解が完全なものとなることである。
①「主イエスの日」とは、キリストの御座の裁きで信者が裁きを受ける日である。
②信者は、信仰によって行ったわざのゆえに、報奨を受ける。
③その日パウロは、自分が救いに導いた人たちの顔を見て、彼らを誇りと思う。
④彼らもまた、パウロのことを誇りと感じる。
Ⅱ.一貫した行為(1:15~22)
1.15~16節
2Co 1:15
この確信をもって、私はまずあなたがたのところを訪れて、あなたがたが恵みを二度得られるようにと計画しました。
2Co 1:16すなわち、あなたがたのところを通ってマケドニアに赴き、そしてマケドニアから再びあなたがたのところに帰り、あなたがたに送られてユダヤに行きたいと思ったのです。
(1)「この確信をもって」
①彼らが、パウロの誠実な姿勢を認め、使徒として信頼してくれるようになること。
②パウロは、このような確信を持ってコリントを訪問したいと願った。
(2)旅の計画
①「あなたがたを悲しませる訪問」(2:1)があった。
②その後、再訪の計画を伝えた。
*エペソから船で→コリント→マケドニア→コリント→ユダヤ
*この計画に基づけば、コリントを2度訪問することになる。
*コリントの信者たちに送られて、ユダヤに向かいたい。
③しかし彼は、エペソ→マケドニアへと移動した。
*マケドニアに滞在しながら、「あの手紙」を書いた。
*これは、第3の手紙である。
*第3の手紙は、涙ながらに書かれたものである。
2.17節
2Co 1:17
このように願った私は軽率だったのでしょうか。それとも、私が計画することは人間的な計画であって、そのため私には、「はい、はい」は同時に「いいえ、いいえ」になるのでしょうか。
(1)パウロの計画は、変更された。
①エペソ→トロアス(テモテを会えなかった)→マケドニア
②コリントを訪問しなかったことには理由があった。
(2)パウロを非難する人たちのことば
①「パウロは軽率だ」
②「パウロの計画は、人間的なものだ」
③「『はい、はい』と言いながら、同時に『いいえ、いいえ』と言っている」
3.18節
2Co 1:18
神の真実にかけて言いますが、あなたがたに対する私たちのことばは、「はい」であると同時に「いいえ」である、というようなものではありません。
(1)パウロの教えは信頼できないという批判
①日常的なテーマに関して信頼できないのだから、教えに関しても信頼できない。
(2)パウロの反論
①「神の真実にかけて言う」とは、非常に重いことばである。
②パウロのことばは、気まぐれなものではない。
4.19節
2Co 1:19
私たち、すなわち、私とシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「はい」と同時に「いいえ」であるような方ではありません。この方においては「はい」だけがあるのです。
(1)コリントでの宣教は、パウロ、シルワノ、テモテの3人で行った(使18:5)。
①彼らは、神の子キリスト・イエスを宣べ伝えた。
②キリスト・イエスは信頼できる方なので、彼らのメッセージも信頼できる。
③信頼できる神の子を伝えながら、本人が不真実であるというのは不可能である。
5.20節
2Co 1:20
神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。
(1)神の約束がいくつあろうとも、それらすべてがキリストにおいて成就した。
①それゆえ信者は、キリストを通して「アーメン」と言う。
②さらに、神に栄光を帰す。
(2)コリントの信者が、祝福の体験をしたのは、福音を信じたからである。
①福音を伝えたのは、パウロ、シルワノ、テモテの3人である。
②神が用いた器は、詐欺師でも嘘つきでもない。
6.21~22節
2Co 1:21
私たちをあなたがたと一緒にキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。
2Co 1:22
神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。
(1)パウロとコリントの信者は、同じ霊的祝福で結ばれている。
①聖霊によって油を注がれている。
②聖霊による証印を押されている。
③聖霊の内住が与えられている。
Ⅲ.愛に基づく行為(1:23~2:4)
1.23節
2Co 1:23
私は自分のいのちにかけ、神を証人にお呼びして言います。私がまだコリントへ行かないでいるのは、あなたがたへの思いやりからです。
(1)パウロは、予定を変更した理由を述べる。
①人間には、パウロの本心は見えない。
②そこで彼は、神を証人に呼んで、予定変更の理由に言及する。
(2)予定変更の理由は、彼らへの思いやりである。
①もし予定通りに訪問するなら、厳しい対応をすることになる。
②彼らは、教会内の罪をそのまま放置していた。
③パウロは、何人かの者たちを厳しく叱責することになる。
④それは、パウロの本意ではない。
2.24節
2Co 1:24
私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、あなたがたの喜びのために協力して働く者です。あなたがたは信仰に堅く立っているのですから。
(1)パウロは、自分は支配者でないことを明確に語る。
①パウロ、シルワノ、テモテの3人は、協力して働く者である。
②コリントの信者たちが喜びを体験できるように援助する者である。
③彼らは、教理に関しては正しく理解している。
④問題は、教理の実践に関するものである。
3.1節
2Co 2:1
そこで私は、あなたがたを悲しませる訪問は二度としない、と決心しました。
(1)パウロは、彼らを悲しませる訪問は二度としないと、決心した。
①「あなたがたを悲しませる訪問」とは、突然の訪問である。
②この訪問は、良い結果を生まなかった。
4.2節
2Co 2:2
もし私があなたがたを悲しませるなら、私が悲しませているその人以外に、だれが私を喜ばせてくれるでしょう。
(1)パウロの願いは、彼らが喜びを体験することである。
①パウロの叱責で彼らが悲しむなら、パウロを喜ばせてくれる者がいなくなる。
②予定通りにコリントを訪問することは、お互いにとって悲しみをもたらす。
5.3節
2Co 2:3
あの手紙を書いたのは、私が訪れるときに、私に喜びをもたらすはずの人たちから、悲しみを受けることがないようにするためでした。私の喜びがあなたがたすべての喜びであると、私はあなたがたすべてについて確信しています。
(1)パウロは、「あの手紙」を書いた。
①パウロがコリント教会に宛てた第3の手紙である。
②「悲しみの訪問」の直後に書かれた。
③この手紙が、問題解決に役立つことを願った。
④その結果、喜びをもってコリントを訪問できるようになることを願った。
6.4節
2Co 2:4
私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらにあなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を、あなたがたに知ってもらうためでした。
(1)パウロは、「あの手紙」をどのように書いたのか。
①「大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに」書いた。
②彼らを「悲しませるためでない」。
③「あふれるばかりの愛を」知ってもらうため。
結論
1.使徒たちへの信頼
(1)1:19
2Co 1:19
私たち、すなわち、私とシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「はい」と同時に「いいえ」であるような方ではありません。この方においては「はい」だけがあるのです。
(2)使徒たちを信頼する根拠
①神の子キリスト・イエスは、変わることのない真実なお方である。
②そのお方を伝えている使徒たちが、詐欺師や嘘つきであるわけがない。
③彼らは、支配者ではなく、喜びをもたらすための援助者である。
④使徒たちの教えを学ぶことは、健全な教理を理解することである。
⑤コリント教会の問題は、教理の理解ではなく、教理の実践にあった。
2.救われた者が受ける祝福
(1)1:21~22
2Co 1:21
私たちをあなたがたと一緒にキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。
2Co 1:22
神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。
(2)聖霊によって油を注がれている。
①みことばを理解する力が与えられている。
(3)聖霊による証印を押されている。
①救いの確証が与えられている。
②神の所有とされている。
(4)聖霊の内住が与えられている。
*クリスチャン生活を営むための力が与えられている。
*これは、救いが完成することの保証である。
*内住の聖霊に日々導かれているなら、救いの完成への確信が強くなる。
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