コリント人への手紙第一(24)御霊の賜物(4)―愛の優位性―13:1~13

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聖書が教える愛について学ぶ。

コリント人への手紙第一 24回

御霊の賜物(4)

―愛の優位性―

13 :1~13

はじめに

1.文脈の確認

(1) 結婚に関する教え(7:1~40)

(2)偶像に献げられた肉(8:1~11:1)

(3)女のかぶり物(11:2~16)

(4)聖餐式(11:17~34)

(5)御霊の賜物(12~14)

  ①御霊による信仰告白(12:1~3)

  ②一致と多様性(12:4~31)

  ③愛の優位性(13:1~13)

  ④異言よりも預言(14:1~25)

  ⑤正しい賜物の行使(14:26~40)

2.注目すべき点

(1)コリント教会の礼拝に混乱をもたらした3つの要因

  ①女のかぶり物、②聖餐式、③御霊の賜物

(2)御霊の賜物が最も深刻な問題である。

  ①愛の章は、御霊の賜物の行使という文脈の中で出てくる。

3.アウトライン

(1)愛の必要性(1~3節)

(2)愛の特徴(4~7節)

(3)愛の永続性(8~13節)

4.結論:愛(アガペー)とは

聖書が教える愛について学ぶ。

Ⅰ.愛の必要性(1~3節)

1.1節

1Co 13:1

たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。

(1)パウロの視点

  ①信者の霊性は、異言、知恵、知識などによって決まるものではない。

  ②1:2

1Co 1:2
コリントにある神の教会へ。すなわち、いたるところで私たちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人とともに、キリスト・イエスにあって聖なる者とされ、聖徒として召された方々へ。主はそのすべての人の主であり、私たちの主です。

    *キリスト・イエスにあって聖なる者とされた人の特徴は、愛である。

(2)パウロは、愛に関する教えを異言の賜物から始める。

  ①異言の賜物があっても、それを全体の益のために用いないなら無意味である。

  ②異言とは、なんらかの言語である。

    *人の異言と、御使いの異言がある。

    *異言は、同じ音のくり返しではない。

  ③解き明かしのできる人を通して、意味が伝わらなければ無意味である。

    *騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じである。

2.2節

1Co 13:2たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。

(1)異言の賜物から、より優れた賜物に進む。

  ①預言の賜物によって、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じているとしても。

  ②山を動かすほどの完全な信仰を持っていると仮定しても。

  ③それらの賜物を全体の益のために用いないなら(愛がないなら)、意味がない。

  ④私は無に等しい。

3.3節

1Co 13:3

たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

(1)より優れた賜物から、勇敢な行為に進む。

  ①財産のすべてを貧しい人たちに分け与えたとしても。

  ②殉教の死を遂げたとしても。

    *「また私のからだを焼かれるために渡しても、」(新改訳第3版)

  ③それらの行為が自分を誇るためのものであるなら、なんの意味もない。

  ④全体の益のためでないなら(愛がなければ)、なんの役にも立たない。

Ⅱ.愛の特徴(4~7節)

1.4節a

1Co 13:4a  愛は寛容であり、愛は親切です。

(1)この部分は、愛に関する論考というより、実際問題への解決策である。

(2)パウロは、コリントの信者たちの特徴とは正反対の内容を列挙する。

  ①彼らは寛容ではないが、愛は寛容である。

  ②彼らは親切ではないが、愛は親切である。

  ③寛容と親切は、御霊の実である(ガラ5:22)。

  ④寛容と親切は、三位一体の神の性質である。

2.4b~5節

1Co 13:4b  また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

1Co 13:5

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、

(1)愛はどのように振る舞うか。

  ①彼らは人をねたむが、愛はねたまない。

  ②彼らは自慢するが、愛は自慢しない。

  ③彼ら高慢であるが、愛は高慢にならない。

  ④彼らは礼儀に反することをするが、愛は礼儀に反することはしない。

  ⑤彼らは自分の利益を求めるが、愛は自分の利益をもとめない。

  ⑥彼らは苛立つが、愛は苛立たない。

    *苛立ちは、完璧を求めるところから生まれる。

    *神以外に完璧な方はいない。

  ⑦彼らは人のした悪を心に留めるが、愛は人のした悪を心に留めない。

3.6~7節

1Co 13:6不正を喜ばずに、真理を喜びます。

1Co 13:7 すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。

(1)愛の行為の列挙が続く。

  ①愛は不正を喜ばずに、真理を喜ぶ。

  ②愛はすべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍ぶ。

Ⅲ.愛の永続性(8~13節)

1.8節

1Co 13:8

愛は決して絶えることがありません。預言ならすたれます。異言ならやみます。知識ならすたれます。

(1)愛は永遠であるが、御霊の賜物は一時的である。

(2)御霊の実は永遠であるが、御霊の賜物はすたれていく。

  ①預言はすたれる。

    *聖書66巻の完成によって、預言の賜物は不要となった。

  ②異言はやむ。

    *神のことばを直接聞くようになるので、別のことばは不要になる。

  ③知識はすたれる。

    *すべてのことを知るようになるので、今の知識は不要になる。

2.9~10節

1Co 13:9 私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、

1Co 13:10 完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。

(1)今の状態

  ①私たちの知識は、部分的である。

  ②私たちが預言する内容も、部分的である。

(2)「完全なものが現れたら」

  ①携挙かキリストの再臨のことであろう。

  ②そのとき、私たちは神に関する知識の全体を知ることになる。

  ③その結果、部分的なものはすたれる。

3.11節

1Co 13:11

私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。

(1)幼子と大人の対比

  ①幼子の特徴は、一時的なものに関心があること。

    *ビー玉、メンコ、喫茶店のマッチ箱

    *コリントの信者たちは、一時的な賜物に関心があった。

    *彼らは、霊的幼子である。

  ②大人の特徴は、永続性のあるものに関心があること。

    *愛をゴールとする人は、幼子から大人に変化した人である。

4.12節

1Co 13:12

今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

(1)今の状態と将来の状態の対比

  ①コリントの町は、青銅製の鏡の産地として知られていた。

  ②今の状態は、主を間接的に見ている状態である。

    *今、私たちは一部分しか知らない。

  ③将来の状態は、主を直接的に見る状態である。

    *「そのときには」とは、携挙か再臨のときであろう。

    *私たちは、主を完全に知ることになる。

5.13節

1Co 13:13

こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。

(1)消え去るものといつまでも残るものの対比

  ①知識、異言、預言は、やがて消え去る。

  ②信仰と希望と愛は、いつまでも残る。

    *信仰とは、賜物としての信仰ではなく、信者の特徴である神への信頼。

    *信仰と希望は、賜物であると同時に、信者の徳でもある。

(2)賜物よりも徳のほうが、価値が高い。

  ①信仰と希望と愛の間にも、優劣の差がある。

  ②愛は、増し加わるのみである。

  ③信仰と希望は、その必要性が弱まる。

結論 :愛(アガペー)とは

1.ギリシア語で「愛」は、4つある。

(1)アガペーの愛:無条件の愛、自己犠牲の愛、意志に基づく愛

(2)エロスの愛:恋愛感情に基づく愛、性的な愛

(3)フィリアの愛:友情に基づく愛、敬意に基づく愛

(4)ストルゲの愛:家族間の愛、親子間の愛

2.ここで語られているのは、アガペーの愛である。

(1)この愛は、無条件の愛、自己犠牲の愛、意志に基づく愛である。

(2)新約聖書では、ほとんどの場合、この愛は神の愛を指す。

  ①神は愛である(1ヨハ4:8)。

  ②神が愛する価値のない者を無条件で愛するのは、神の性質が愛だからである。

  ③アガペーの愛は、行動によって表現される愛である。

「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それに

よって私たちに愛が分かったのです」(1ヨハ3:16a)

  ④神の無条件の愛を受け取ることが、信仰である。

3.アガペーの愛は、私たちの内にはない。

(1)この愛は、聖霊によって与えられるものである。

  ①聖化の完成は、聖霊と私たちの共同作業である。

(2)クリスチャン生活のゴールは、キリストの姿に似ることである。

  ①キリストの姿に似れば似るほど、愛の人になる。

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