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ヨハネの福音書(10)第2のしるしヨハ4:43~54
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ガリラヤ伝道の再開について学ぶ。
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ヨハネの福音書(10)
第2のしるし
ヨハ4:43~54
1.文脈の確認
(1)前書き(1:1~18)
(2)イエスの公生涯(1:19~12:50)
①公生涯への序曲(1:19~51)
②初期ガリラヤ伝道(2:1~12)
③最初のエルサレム訪問(2:13~3:36)
④サマリア伝道(4:1~42)
⑤ガリラヤ伝道の再開(4:43~54)
*ガリラヤへの帰還(4:43~45)
*第2のしるし(4:46~54)
2.注目すべき点
(1)第1のしるしは、カナで行われた(2:1~11)。
(2)第2のしるしも、カナで行われる(4:46~54)。
(3)2つのしるしに挟まれている部分は、「inclusio」(囲み部分)である。
(4)これでイエスの移動が完結する。
ガリラヤ(カペナウム)→エルサレム→サマリア→ガリラヤ(カペナウム)
3.アウトライン:ガリラヤ伝道の再開
(1)ガリラヤへの帰還 (43~45節)
(2)第2のしるし (46~54節)
4.結論: この「inclusio」が伝えるイエス像
ガリラヤ伝道の再開について学ぶ。
Ⅰ.ガリラヤへの帰還(43~45節)
1.43節
Joh 4:43 さて、二日後に、イエスはそこを去ってガリラヤに行かれた。
(1)イエスはサマリアの町に2日間滞在した後、北への旅を続けた。
①4:3
Joh 4:3 ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれた。
②最初の計画どおり、ガリラヤに行かれた。
2.44~45節
Joh 4:44
イエスご自身、「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と証言なさっていた。
Joh 4:45
それで、ガリラヤに入られたとき、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎したが、それは、イエスが祭りの間にエルサレムで行ったことを、すべて見ていたからであった。彼らもその祭りに行っていたのである。
(1)「預言者は自分の故郷では尊ばれない」
①共観福音書では、これは格言にさえなっていた。
②ここでのイエスの証言は、サマリアとガリラヤを対比させたものである。
*サマリア人たちはイエスを信じた。
*しかし、ガリラヤのユダヤ人たちには、そのような信仰はなかった。
(2)「それで」という訳語の問題
①「ウーン」は、因果関係ではなく、物事の順番を示している。
②「ところが、どうでしょう」(リビングバイブル)
③このとき、不信仰なガリラヤの人たちがイエスを歓迎した。
④イエスは、静かにガリラヤに入ることを予定していたはずである。
(3)不信仰なガリラヤの人たちがイエスを歓迎した理由は何か。
①彼らも祭りの間エルサレムに行っていた。
②彼らは、イエスがエルサレムで行ったことをすべて見ていた。
③彼らは、イエスを預言者(神の子)と認めたわけではなかった。
④彼らは、イエスがガリラヤでも奇跡を行ってくれることを期待した。
⑤ここには、サマリア人の信仰とユダヤ人の信仰の対比がある。
*ガリラヤのユダヤ人たちは、しるしを求めた。
*イエスは、信仰のある人にはしるしを行った。
Ⅱ.第2のしるし(46~54節)
1.46節
Joh 4:46
イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。イエスが水をぶどう酒にされた場所である。さてカペナウムに、ある王室の役人がいて、その息子が病気であった。
(1)イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。
①その理由は、書かれていない。
②著者ヨハネの意図は何か。
*読者に第1のしるしを思い出させる。
・イエスが水をぶどう酒にされた場所である。
*一連のイエスの動きがここで完結することを示す。
(2)カペナウムに、ある王室の役人がいた。
①カペナウムが再び登場する。
②彼は、王に仕える役人(軍人でも文民でも)である。
③ここでの王とは、ヘロデ・アンティパスである。
*厳密には、王でなく領主であるが、民衆は彼を王と考えていた。
④この役人は、ユダヤ人であった。
⑤ルカ8:3
Luk 8:3 ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの女たちも一緒であった。彼女たちは、自分の財産をもって彼らに仕えていた。
*ヘロデの執事クーザと同一人物なのかどうかは、分からない。
⑥この人の息子が病気であった。
(3)第2のしるしの特徴
①イエスがいる場所と奇跡が起こる場所が離れている。
②カナとカペナウムの距離は、20km強である。
2.47節
Joh 4:47
この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところに行った。そして、下って来て息子を癒やしてくださるように願った。息子が死にかかっていたのである。
(1)この人は、長距離を移動してイエスのところに来た。
①第1のしるしは、母マリアの願いに答えて行われた。
②第2のしるしは、瀕死の息子を持つ父の願いに答えて行われる。
(2)この人は、イエスには病を癒やす力があると信じた。
①タルムードには、高名なラビの祈りによって癒やされたという事例がある。
②この人は、イエスの祈りによって息子は癒やされると信じたのであろう。
③この人に、イエスを預言者(神の子)と信じる信仰があったわけではない。
④さらに、彼は2つの誤りを犯している。
*イエスにカペナウムまで来てもらわなければ、癒やしは起こらない。
*イエスが到着する前に息子が死んだら、それでおしまいだ。
3.48節
Joh 4:48
イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じません。」
(1)「あなたがた」(複数形)
①彼の信仰も、ガリラヤ人たちと同じものである。
②イエスを「奇跡を行う人」と信じているだけで、それ以上ではない。
(2)「しるしと不思議」
①しるとは「奇跡」であり、不思議はそれを見た人が感じる「驚き」である。
②「しるしと不思議」を見ないかぎり、イエスを預言者(神の子)と信じない。
③これは叱責であると同時に、彼の信仰を深めることばでもある。
4.49~50節
Joh 4:49
王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか子どもが死なないうちに、下って来てください。」
Joh 4:50
イエスは彼に言われた。「行きなさい。あなたの息子は治ります。」その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。
(1)王室の役人は完璧な信仰を示したわけではないが、願いを諦めなかった。
①彼は、イエスがカペナウムまで来てくれることが、癒やしの条件だと考えた。
②彼は、願い続けた。
(2)イエスの回答
①イエスは、彼の願いにそのまま答えることはなかった。
②しかし、彼に約束を与えた。
③「行きなさい。あなたの息子は治ります」
(3)王室の役人は、見ないで信じる人のモデルとなった。
①彼は、イエスと別れてひとりで帰って行った。
②彼は、なんのしるしも求めないで、イエスのことばをそのまま信じた。
③彼は、イエスは遠い所からでも息子を癒やせると信じた。
④彼は、イエスのもとに来たときより、さらに深い信仰を持って帰って行った。
5.51~53節
Joh 4:51
彼が下って行く途中、しもべたちが彼を迎えに来て、彼の息子が治ったことを告げた。
Joh 4:52
子どもが良くなった時刻を尋ねると、彼らは「昨日の第七の時に熱がひきました」と言った。
Joh 4:53
父親は、その時刻が、「あなたの息子は治る」とイエスが言われた時刻だと知り、彼自身も家の者たちもみな信じた。
(1)しもべたちが彼を迎えに来て、朗報をもたらした。
①彼の息子が治った。
②何時ごろによくなったか。
③昨日の第7の時(午後1時)。
④徐々に回復したのではなく、瞬時に熱がひいた。
(2)彼自身も家の者たちもみな信じた。
①午後1時は、イエスが彼に約束を与えた時刻である。
②彼の信仰は、さらに深まった。
③彼の家の者たちもみな信じた。
(3)信仰の成長
①神頼みの信仰(危機に直面して)
②確信ある信仰(イエスのことばによって)
③証明された信仰(イエスの癒しを経験して)
④隣人に影響を与える信仰(彼の家の者たちに伝染して)
6.54節
Joh 4:54
イエスはユダヤを去ってガリラヤに来てから、これを第二のしるしとして行われた。
(1)ヨハネは、これを第2のしるしと呼んでいる。
①イエスは、ガリラヤやユダヤで、これ以外にも多くの奇跡を行われた。
②ヨハネは、イエスのメシア性を証明する「7つのしるし」を選んでいる。
*番号がついているのは、最初の2つだけである。
③第1のしるしは、「時間の奇跡」である。
④第2のしるしは、「距離の奇跡」である。
⑤2つのしるしは、少数の人にしか積極的な影響を与えなかった。
⑥最初の2つのしるしで、「inclusio」を作っている。
結論:この「inclusio」が伝えるイエス像
1.カナの婚礼での奇跡
(1)時間の奇跡である。
(2)イエスには、物の質を変える創造力がある。
2.最初の宮きよめ
(1)イエスには、ユダヤ教の制度にまさる権威がある。
(2)宮きよめは、イエスのメシア宣言である。
3.ニコデモとの対話
(1)ニコデモは、イエスを神から来られた教師であると認めた。
(2)イエスは、神の国に入るためには新生体験が必要であることを教えた。
4.バプテスマのヨハネの証言
(1)バプテスマのヨハネは、イエスがキリストであることを認めた。
(2)自分は花婿の友人であると証言した。
5.サマリア人たち体験
(1)サマリアの女は、イエスが全知全能であることを認めた。
(2)サマリア人たちは、イエスが「世の救い主」だと信じた。
6.王室の役人の体験
(1)彼は、イエスが癒やし主であることを体験した。
(2)彼は、イエスにとっては病も距離も問題ではないことを体験した。




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