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コリント人への手紙第一(18)偶像に献げられた肉(4)―市場で売っている肉―10:23~11:1
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市場で売っている肉について学ぶ。
コリント人への手紙第一 18回
偶像に献げられた肉(4)
―市場で売っている肉―
10 :23~11:1
はじめに
1.文脈の確認
(1)イントロダクション(1:1~9)
(2)教会内の分裂(1:10~4:21)
(3)教会内の無秩序(5~6)
(4)教会からの質問(7~16)
①結婚に関する教え(7:1~40)
②偶像に献げられた肉(8:1~11:1)
*愛は知識に勝る(8:1~13)
*使徒職の弁明(9:1~27)
*偶像礼拝の罪(10:1~22)
*市場で売っている肉(10:23~11:1)
2.注目すべき点
(1)この箇所でも、「偶像に献げられた肉」というテーマが続いている。
(2)パウロとコリントの信者の相違点
①パウロ:偶像の宮での食事は、偶像礼拝である(絶対的命令)。
②コリントの信者たち:偶像の宮での食事は、アディアフォラである。
*アディアフォラとは、善でも悪でもないこと(グレーゾーン)。
③パウロ:市場で売っている肉は、アディアフォラである。
*重要なのは、愛に基づく自由の制限である。
④コリントの信者たち:市場で売っている肉は、アディアフォラである。
*関心事は、知識に基づく権利の行使である。
3.アウトライン(市場で売っている肉)
(1)自由の原則(23~24節)
(2)愛に基づく自由の制限(25~31節)
(3)真理の適用(32~11:1節)
4.結論
(1)8~10章の復習
(2)1コリ10:32の意味
市場で売っている肉について学ぶ。
Ⅰ.自由の原則(23~24節)
1.23節
1Co 10:23
「すべてのことが許されている」と言いますが、すべてのことが益になるわけではありません。「すべてのことが許されている」と言いますが、すべてのことが人を育てるとはかぎりません。
(1)話題は、偶像の宮での食事から、日常生活における自由の問題に移行する。
①これは、絶対的命令からアディアフォラへの移行である。
(2)パウロにとっては、すべてのことが許されている。
①「すべて」とは、アディアフォラに関して言えることである。
②しかし、すべてのことが益になるわけではない。
③「益」の内容は、「人を育てる」ということである。
④信者の信仰成長に役立たないことは、すべきではない。
2.24節
1Co 10:24 だれでも、自分の利益を求めず、ほかの人の利益を求めなさい。
(1)優先順位を考えて行動すべきである。
①まず隣人の利益
②次に自分の利益
(2)他の書簡でのパウロの教え
①ロマ15:1~2
Rom 15:1 私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。
Rom 15:2 私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです。
②ピリ2:4
Php 2:4 それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。
(3)コリントの信者たちとパウロの相違点
①コリントの信者たち:自由を自分の利益を追求するための機会と捉えた。
②パウロ:自由を隣人の徳を建てるための機会と捉えた。
Ⅱ.愛に基づく自由の制限(25~31節)
1.25~26節
1Co 10:25
市場で売っている肉はどれでも、良心の問題を問うことをせずに食べなさい。
1Co 10:26 地とそこに満ちているものは、主のものだからです。
(1)市場で売っている肉は、どれでも食べてよい。
①その肉は、偶像に献げたものかどうかを問わなくてもよい。
②偶像に献げた肉かどうかは、アディアフォラ(善でも悪でもない)である。
(2)パウロは、ユダヤ人が食前の祈りでよく唱える聖句を引用する。
①詩24:1(ダビデによる。賛歌)
Psa 24:1 地とそこに満ちているもの/世界とその中に住んでいるもの/それは【主】のもの。
②食物になるものは、【主】が恵みによって用意されたものである。
③人間は、感謝してそれをいただけばよい。
2.27節
1Co 10:27
あなたがたが、信仰のないだれかに招待されて、そこに行きたいと思うときには、自分の前に出される物はどれも、良心の問題を問うことをせずに食べなさい。
(1)不信者の家に招待された場合は、どうするか。
①そこに行きたいと思うなら、行ってもよい。
②自分の前に出される物はどれも、食べてもよい。
③その肉がどこから来たかは、問わなくてもよい。
3.28節
1Co 10:28
しかし、だれかがあなたがたに「これは偶像に献げた肉です」と言うなら、そう知らせてくれた人のため、また良心のために、食べてはいけません。
(1)他の信者がいて、「これは偶像に献げた肉です」と言った場合は、どうするか。
①そう知らせてくれた人のために、食べるべきではない。
②彼は、良心の弱い(キリスト者の自由を十分に理解していない)人である。
③彼は、偶像に献げた肉を食べるのは罪だと思っている。
④彼の良心に敬意を示すために、その肉を食べてはいけない。
4.29~30節
1Co 10:29
良心と言っているのは、あなた自身の良心ではなく、知らせてくれた人の良心です。私の自由が、どうしてほかの人の良心によってさばかれるでしょうか。
1Co 10:30
もし私が感謝して食べるなら、どうして私が感謝する物のために悪く言われるのでしょうか。
(1)2つの修辞的疑問文は、難解である。
①リビングバイブル
1Co 10:29
この場合、肉についての自分の判断よりも、相手の考えが大切なのです。「なぜ他人の考えに支配されたり、束縛されたりしなければならないのですか。
1Co 10:30 神に感謝してそれを食べることができれば、他人からとやかく言われることはないではありませんか」と言うかもしれません。
②文語訳
1Co 10:29 良心とは汝の良心にあらず、かの人の良心を言ふなり。何(なに)ぞわが自由を他(ほか)の人の良心によりて審かるる事をせん。
1Co 10:30 もし感謝して食する事をせば、何(なに)ぞわが感謝する所のものに就きて譏(そし)らるる事をせん。
(2)パウロの意図
①自分は、自由を行使しても、他の人から裁かれる筋合いはない。
②自分が自由を主張しない理由は、隣人の利益のためである。
5.31節
1Co 10:31
こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。
(1)信者が自分の行為を判定する基準は、神への愛と隣人への愛である。
①信者は、神の栄光を現すために生きている。
Ⅲ.真理の適用(32~11:1節)
1.32節
1Co 10:32
ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、つまずきを与えない者になりなさい。
(1)自由を制限する理由は、隣人につまずきを与えないためである。
①ユダヤ人、ギリシア人、神の教会
②つまずきを与えるとは、信仰の成長を阻むことである。
2.33節
1Co 10:33
私も、人々が救われるために、自分の利益ではなく多くの人々の利益を求め、すべてのことですべての人を喜ばせようと努めているのです。
(1)パウロは、人を喜ばせようとしている人ではない。
①アディアフォラの問題が自分と相手の間の壁とならないようにしている。
②パウロの願いは、隣人の利益である。
*不信者の救い
*信者の霊的成長
3.11:1
1Co 11:1
私がキリストに倣う者であるように、あなたがたも私に倣う者でありなさい。
(1)パウロの勧告
①パウロは、キリストに倣う者である。
*キリストは、愛のゆえに神としての特権を捨てた。
②コリントの信者は、パウロに倣うべきである。
*コリントの信者も、愛のゆえに権利を捨てるべきである。
結論
1.8~10章の復習
(1)パウロは、異教の宮での食事に参加することを禁じた(絶対的命令)。
①これは偶像礼拝への参加である。
(2)パウロは、日常生活において市場で売っている肉を食べることを許可した。
①これはアディアフォラであり、信者の自由に委ねられた問題である。
(3)隣人の利益のために自由を制限すべき場合がある。
①その隣人の良心は、弱い。
(4)信者は、神の栄光を現すために生きている。
2.1コリ10:32の意味
1Co 10:32
ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、つまずきを与えない者になりなさい。
(1)この節では、人類が3つに区分されている。
①ユダヤ人、②異邦人、③神の教会
(2)ユダヤ人と神の教会が区別されている。
①イスラエルと教会の区別は、ディスペンセーショナリズムの重要な特徴。
②この区別は、置換神学の誤りを証明している。
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