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コリント人への手紙第一(17)偶像に献げられた肉(3)―偶像礼拝の罪―10:1~22
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偶像礼拝の罪について学ぶ。
コリント人への手紙第一 17回
偶像に献げられた肉(3)
―偶像礼拝の罪―
10 :1~22
はじめに
1.文脈の確認
(1)イントロダクション(1:1~9)
(2)教会内の分裂(1:10~4:21)
(3)教会内の無秩序(5~6)
(4)教会からの質問(7~16)
①結婚に関する教え(7:1~40)
②偶像に献げられた肉(8:1~11:1)
*愛は知識に勝る(8:1~13)
*使徒職の弁明(9:1~27)
*偶像礼拝の罪(10:1~22)
*市場で売っている肉(10:23~11:1)
2.注目すべき点
(1)この箇所では、「偶像に献げられた肉」というテーマが続いている。
(2)パウロは、自分は強いと思っている信者に警告を発する。
①神は唯一であり、偶像の神々は存在しない。
②異教徒の隣人から誘われて、偶像の宮で食事をしても問題ではない。
③しかし、それは偶像礼拝につながる危険性がある。
④パウロは、イスラエルの民の荒野での経験を取り上げる。
*出エジプト記13~17章、民数記10~15章
3.アウトライン(偶像礼拝の罪)
(1)荒野での悲劇的経験(1~5節)
(2)悲劇的経験からの教訓(6~13節)
(3)真の礼拝と偶像礼拝の対比(14~22節)
4.結論 :1コリ10:13
偶像礼拝の罪について学ぶ。
Ⅰ.荒野での悲劇的経験(1~5節)
1.1~4節
1Co 10:1
兄弟たち。あなたがたには知らずにいてほしくありません。私たちの先祖はみな雲の下にいて、みな海を通って行きました。
1Co 10:2 そしてみな、雲の中と海の中で、モーセにつくバプテスマを受け、
1Co 10:3 みな、同じ霊的な食べ物を食べ、
1Co 10:4
みな、同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らについて来た霊的な岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。
(1)イスラエルの民が行った偶像礼拝は、悲劇的な結果をもたらした。
①イスラエルの民の経験とコリント教会の現状には、類似性がある。
(2)イスラエルの民には、5つの特権が与えられていた。
① 「私たちの先祖はみな雲の下にいて」
*シャカイナグローリーによる超自然的な導きが与えられた。
② 「みな海を通って行きました」
*紅海を渡り、エジプトからの奇跡的な脱出を経験した。
③ 「モーセにつくバプテスマを受け」
*神によって立てられた超自然的リーダーであるモーセと一体化した。
④ 「みな、同じ霊的な食べ物を食べ」
*全員が、マナを食べた。それは、超自然的な食べ物で霊的な意味がある。
⑤ 「みな、同じ霊的な飲み物を飲みました」
*全員が、岩から出た水を飲んだ。それは、超自然的な水であった。
*その岩とは、キリストである。
(3)クリスチャンにも種々の特権が与えられている。
①過去において、神はイスラエルの民を支えられた。
②今も神は、クリスチャンを支えておられる。
2.5節
1Co 10:5
しかし、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。
(1)神はイスラエルの民を愛されたが、彼らの信仰を喜ばれなかった。
①エジプトを出たときに20歳以上であった者たちは、大部分が荒野で死んだ。
②例外は、カレブとヨシュアだけであった。
③モーセでさえも、約束の地に入ることができなかった。
Ⅱ.悲劇的経験からの教訓(6~13節)
1.6節
1Co 10:6
これらのことは、私たちを戒める実例として起こったのです。彼らが貪ったように、私たちが悪を貪ることのないようにするためです。
(1)「実例」はギリシア語で「タイポス」(型)である。
①イスラエルの民の経験は、後の時代の信者たちに起こることの「型」である。
②洗礼も、霊的な食物や水も、民を罪の裁きから守ることはできなかった。
③同様に、洗礼も、聖餐式も、信者を罪の裁きから守ることはできない。
④それゆえ、コリントの信者たちは、貪りの罪に注意すべきである。
⑤次にパウロは、イスラエルの民の4つの失敗を列挙する(7~10節)。
2.7~8節
1Co 10:7
あなたがたは、彼らのうちのある人たちのように、偶像礼拝者になってはいけません。聖書には「民は、座っては食べたり飲んだりし、立っては戯れた」と書いてあります。
1Co 10:8
また私たちは、彼らのうちのある人たちがしたように、淫らなことを行うことのないようにしましょう。彼らはそれをして一日に二万三千人が倒れて死にました。
(1)1番目の失敗は、金の子牛事件である(出32:6)。
①「立っては戯れた」とは、性的行為を指している可能性がある。
②偶像の宮での食事に参加する信者は、これと同じ罪を犯す危険性がある。
(2)2番目の失敗は、バアル・ペオルの礼拝である(民25:1~5)。
①イスラエルの民は、偶像礼拝に参加し、モアブの娘たちと淫行を行った。
②その罪のゆえに、1日に2万3千人が死んだ。
③コリント教会の中には、異教徒に誘われて、淫行を行う者たちがいた。
3.9~10節
1Co 10:9
また私たちは、彼らのうちのある人たちがしたように、キリストを試みることのないようにしましょう。彼らは蛇によって滅んでいきました。
1Co 10:10
また、彼らのうちのある人たちがしたように、不平を言ってはいけません。彼らは滅ぼす者によって滅ぼされました。
(1)3番目の失敗は、キリストの忍耐を試したことである(民21:4~9)。
①彼らは、キリストから与えられたマナと水について不平を口にした。
②その結果、燃える蛇にかまれた。
③コリントの信者たちも、パウロの教えに反発し、キリストを試みている。
(2)4番目の失敗は、コラ、ダタン、アビラムの反抗である(民16:14~47)。
①彼らは、モーセに挑戦した。
②彼らは、「滅ぼす者」(天使)によって滅ぼされた。
③コリントの信者たちも、パウロの権威に挑戦している。
6.11~12節
1Co 10:11
これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。
1Co 10:12 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。
(1)今は、旧約時代の預言者たちが預言していたことが成就する時代である。
①今の時代の信者は、旧約時代の教訓を軽く扱うべきではない。
(2)このセクションのまとめ
①自分の信仰に自信のある者(偶像の宮で食事をする者)は、注意すべきである。
②イスラエルの歴史では、自信のある者が倒れることが頻繁に起こった。
7.13節
1Co 10:13
あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
(1)信者には希望がある。
①「試練」はギリシア語で「ペイラスモス」である。
*この用語は、誘惑、試み、試練などの訳が可能である。
②この文脈では、コリントの信者が経験している誘惑である。
*偶像礼拝、不道徳、キリストを試みること、不平不満など。
③このような誘惑は、誰もが経験するものである。
(2)ここでのパウロの教えは、あらゆる誘惑と試練に適用されるものである。
①神は真実な方である。
②神は、信者を耐えられない誘惑にあわせることはしない。
③誘惑とともに脱出の道も備えてくださる。
④「脱出の道」(theが付いている)は、誘惑の内容に応じて種々ある。
⑤自らを誘惑に晒すなら、脱出の道は閉ざされる。
Ⅲ.真の礼拝と偶像礼拝の対比(14~22節)
1.14~15節
1Co 10:14 ですから、私の愛する者たちよ、偶像礼拝を避けなさい。
1Co 10:15
私は賢い人たちに話すように話します。私の言うことを判断してください。
(1)信者が偶像の宮での食事に参加するのは、危険なことである。
①「私の愛する者たちよ」という呼びかけは、命令の厳しさを和らげている。
②クリスチャンには、聖餐式と聖徒の交わりが用意されている。
(2)パウロは、次に語ることの準備をしている。
①パウロは、コリントの信者たちが判断力を持っていると確信している。
2.16~17節
1Co 10:16
私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。
1Co 10:17
パンは一つですから、私たちは大勢いても、一つのからだです。皆がともに一つのパンを食べるのですから。
(1)ここでパウロは、聖餐式の恵みに言及する。
①聖餐式に関しては、通常はパンとぶどう酒という順番で出てくる。
②パウロは、その順番を逆にしている。
③パンにあずかることを強調するためだと思われる。
(2) 「賛美の杯」
①この杯を飲むとき、キリストの血の犠牲のゆえに、神をほめたたえる。
②その杯から飲む人は、キリストの血がもたらす祝福にあずかっている。
(3) 「私たちが裂くパン」
①キリストのからだと一体化するパンである。
②同じパンから食べると、信者は一つのからだとなる。
3.18節
1Co 10:18
肉によるイスラエルのことを考えてみなさい。ささげ物を食する者は、祭壇の交わりにあずかることになるのではありませんか。
(1)ユダヤ教におけるささげ物からの教訓
①ささげ物を食する者は、神との交わり、人との交わりにあずかることになる。
②聖餐式に参加する者も、神との交わり、人との交わりにあずかる。
③偶像の宮での食事に参加する者も、悪霊との交わり、人との交わりにあずかる。
④パウロは、偶像には実体がないと語っていたが、その点について説明する。
6.19~20節
1Co 10:19
私は何を言おうとしているのでしょうか。偶像に献げた肉に何か意味があるとか、偶像に何か意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。
1Co 10:20
むしろ、彼らが献げる物は、神にではなくて悪霊に献げられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。
(1)パウロは、自らの論点を明確にする。
①偶像は実体のないものである。
②しかし、偶像礼拝の背後には悪霊がいる。
③偶像に献げる物は、悪霊に献げられている。
④その肉を食べるなら、悪霊と交わる者となってしまう。
⑤そうなってほしくはない。
7.21~22節
1Co 10:21
あなたがたは、主の杯を飲みながら、悪霊の杯を飲むことはできません。主の食卓にあずかりながら、悪霊の食卓にあずかることはできません。
1Co 10:22
それとも、私たちは主のねたみを引き起こすつもりなのですか。私たちは主よりも強い者なのですか。
(1)「賢い人たち」(15節)なら理解できるはずだ。
①聖餐式にあずかることは、キリストと交わることである。
②偶像の宮での食事にあずかることは、悪霊と交わることである。
③両者は矛盾しあっているので、両立しない。
④矛盾した行為を続ける者は、主のねたみを引き起こす者である。
⑤弱い人間が、強い主に挑戦するのは、愚かなことである。
結論:1コリ10:13
1Co 10:13
あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
1.誘惑を経験しない人はいない。
(1)金の子牛事件(出32:6)。
①偶像礼拝への誘惑
(2)バアル・ペオルの礼拝(民25:1~5)。
①偶像礼拝と淫乱への誘惑
(3)キリストの忍耐を試したこと(民21:4~9)。
①マナと水に対する不満
(4)コラ、ダタン、アビラムの反抗(民16:14~47)。
①モーセの権威に対する敵対
2.耐えられないような誘惑はない。
(1)ヨブ2:6
Job 2:6
【主】はサタンに言われた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ、彼のいのちには触れるな。」
(2)詩103:14
Psa 103:14
主は 私たちの成り立ちを知り/私たちが土のちりにすぎないことを/心に留めてくださる。
(3)2コリ4:8
2Co 4:8
私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。
3.誘惑とともに脱出の道も備えられている。
(1)大祭司であるイエスに近づけ。
(2)祈り合える信仰の友を求めよ。
(3)誘惑に勝った人たちのことを思い出せ。
(4)誘惑の原因になっている人や状況から離れよ。
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