メシアの生涯(113)—生まれつきの盲人の癒し(2)—

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このメッセージでは...

イエスは、世の光である。

「生まれつきの盲人の癒し(2)」

ヨハ9:13~41

1.はじめに

  (1)文脈の確認

①十字架にかかる前の年の仮庵の祭り(半年前)

②イエスは神殿を去ったが、まだエルサレムにとどまっている。

③生まれつきの盲人の癒しは、ヨハネの福音書の7つの奇跡の第6番目である。

④イエスは何人もの盲人の目を開かれたが、この箇所の癒しは、特別である。

  *イエスのメシア性を示すメシア的奇跡である。

  (2)A.T.ロバートソンの調和表

「イエスは生まれつきの盲人を癒す」(§100)

ヨハ9:1~41

    (3)前回の復習

  ①イエスは、絶望的なケースを選び、癒しを行われた。

      ②その日は安息日であった。

  ③癒しの方法(つばきで泥を作り目に塗る)も口伝律法が禁じるものであった。

  2.アウトライン

  (1)肉体的癒し(1~12節)

  (2)最初の尋問(13~17節)

  (3)両親の尋問(18~22節)

  (4)第2の尋問(23~34節)

  (5)霊的癒し(35~41節)

   *今回は(2)~(5)を取り上げる。

  3.結論:

    (1)4つのメシア的奇跡

    (2)「知っている」という言葉

    (3)会堂からの追放

イエスは、世の光である。

Ⅱ.最初の尋問(13~17節)

   1.13~14節

「彼らは、前に盲目であったその人を、パリサイ人たちのところに連れて行った。ところで、イエスが泥を作って彼の目をあけられたのは、安息日であった」(13~14節)

    (1)群衆は、目が開いた人をパリサイ人たちのところに連れて行った。

      ①群衆は、これをよい知らせと受け取り、指導者たちの裁定を仰ぐために動いた。

    (2)この癒しは、安息日に行われた。

  ①パリサイ人たちは、命の危険がないかぎり、安息日に癒しを行うのは律法違反

  だと考えていた。

      ②しかし神は、安息日に恵みの業を行うことを禁止してはおられなかった。

2.15~16節

「こういうわけでもう一度、パリサイ人も彼に、どのようにして見えるようになったかを尋ねた。彼は言った。『あの方が私の目に泥を塗ってくださって、私が洗いました。私はいま見えるのです。』すると、パリサイ人の中のある人々が、『その人は神から出たのではない。安息日を守らないからだ』と言った。しかし、ほかの者は言った。『罪人である者に、どうしてこのようなしるしを行うことができよう。』そして、彼らの間に、分裂が起こった」(15~16節)

   (1)この男の単純な証し

    ①あの方が目に泥を塗ってくれた。

  ②私が洗った。

  ③そしたら、見えるようになった。

    ④神の責務と人間の責務が表現されている。

  (2)イエスとは言わず、あの方と言っている。

    ①イエスはエルサレムでは有名になっていた。

  (3)パリサイ人たちの間に、意見の対立が起こった。

  ①安息日を守らない者は、神から出た者ではない。

    ②罪人である者に、このようなしるしを行うことはできない。

    ③パリサイ人の中のある者たちは、光を見い出し始めている。

3.17節

「そこで彼らはもう一度、盲人に言った。『あの人が目をあけてくれたことで、あの人を何だと思っているのか。』彼は言った。『あの方は預言者です』」(17節)

     (1)再度、この男に質問する。

      ①自分たちの間で分裂が起こっているから。

    (2)この男の信仰が成長している。

  ①まだイエスを神とは信じていない。

      ②しかし、預言者と認めている。

        ・旧約聖書の預言者たちは、神から送られて奇跡を行った。

Ⅲ.両親の尋問(18~22節)

   1.18~19節

「しかしユダヤ人たちは、目が見えるようになったこの人について、彼が盲目であったが見えるようになったということを信ぜず、ついにその両親を呼び出して、尋ねて言った。『この人はあなたがたの息子で、生まれつき盲目だったとあなたがたが言っている人ですか。それでは、どうしていま見えるのですか』」(18~19節)

  (1)パリサイ人たちは、癒しが起こったことを信じたくなかった。

    ①何かの手違いがあったのではないか。

    ②両親なら、一番よく知っているはずだ。

  ③本人なのかどうか、また、どのようにして癒されたのか。

2.20~21節

「そこで両親は答えた。『私たちは、これが私たちの息子で、生まれつき盲目だったことを知っています。しかし、どのようにしていま見えるのかは知りません。また、だれがあれの目をあけたのか知りません。あれに聞いてください。あれはもうおとなです。自分のことは自分で話すでしょう』」(20~21節)

   (1)両親は、責任を回避した。

      ①この男は、彼らの息子である。

②彼が、生まれつき盲目だったことは知っている。

  ③それ以上のことは、分からない。

  ④証言能力のある年齢なので、本人に聞いてほしい。

3.22節

「彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。すでにユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者があれば、その者を会堂から追放すると決めていたからである」(22節)

   (1)ユダヤ人たち(霊的指導者たち)は、イエスのメシア性を拒否していた。

    ①もしイエスをメシアだと告白するなら、会堂から追放すると決めていた。

    ②会堂から追放されると、経済的、社会的、宗教的基盤を失う。

     (2)会堂が行う懲戒の3つのレベル

      ①Neziphah:7日間の追放

      ②Niddui:30日間の追放

  ③Cherem:完全な追放と社会的な交流の断絶。これが追放の段階である。

Ⅳ.第2の尋問(23~34節)

   1.23~25節

「そのために彼の両親は、『あれはもうおとなです。あれに聞いてください』と言ったのである。そこで彼らは、盲目であった人をもう一度呼び出して言った。『神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。』彼は答えた。『あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです』」(23~25節)

  (1)「神に栄光を帰しなさい」の意味。2つの可能性がある。

     ①誓いを求めている。自分が嘘をついていたと認めよ。

    ②癒しのゆえに、神をたたえよ。イエスに栄光を帰すな。

  (2)彼は、知らないことと、知っていることを、区別して証しをした。

    ①イエスが罪人かどうか、知らない。

    ②しかし、盲目であったのに、今は見えるということは知っている。

2.26~27節

「そこで彼らは言った。『あの人はおまえに何をしたのか。どのようにしてその目をあけたのか。』彼は答えた。『もうお話ししたのですが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜもう一度聞こうとするのです。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか』」(26~27節)

   (1)同じ質問を受けて、この男は苛つき始めた。

  (2)彼の回答は、皮肉である。

    ①話したが、聞いてもらえなかった。

    ②なぜもう一度聞こうとするのか。

    ③イエスの弟子になりたいのか。

  (3)パリサイ人にとっては、これ以上の侮辱はない。

    ①無学な物乞いが、学のある自分たちに、意見している。

    ②しかも、自分たちが最も忌み嫌っている内容を示唆している。

3.28~29節

「彼らは彼をののしって言った。『おまえもあの者の弟子だ。しかし私たちはモーセの弟子だ。私たちは、神がモーセにお話しになったことは知っている。しかし、あの者については、どこから来たのか知らないのだ』」(28~29節)

   (1)この男の証言を崩せないので、証言している本人を攻撃する。

    ①お前はイエスの弟子だ。

    ②これは、最悪の罪である。

    ③自分たちは、モーセの弟子だ。

    ④これは、最高のことである。

  (2)神がモーセに語ったことは知っている。

    ①しかし、イエスがどこから来たかは知らない。

    ②もしモーセの教えを知っているなら、イエスをメシアと信じたはずである。

  ③モーセよりも偉大な方が彼らの前に現れたのに、その方を信じない。

4.30~33節

「彼は答えて言った。『これは、驚きました。あなたがたは、あの方がどこから来られたのか、ご存じないと言う。しかし、あの方は私の目をおあけになったのです。神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行うなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたこともありません。もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです』」(30~33節)

   (1)皮肉から攻撃への転換

    ①パリサイ人たちは、予想もしなかったであろう。

    ②この男は、自立して考え始めている。

  (2)この男が述べた理屈

    ①パリサイ人たちは、霊的指導者たちである。

    ②なのに、盲人の目を開けた方がどこから来たかを知らないという。

    ③恥を知れ。

    ④神は、罪人の言うことをお聴きにならない(ユダヤ教の教えの中心)。

    ⑤あの方が生まれつきの盲人の目をあけたのは、神から出ているからだ。

5.34節

「彼らは答えて言った。『おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。』そして、彼を外に追い出した」

     (1)再び、この男を虐待した。

      ①盲目に生まれついたことと、特定の罪を結びつけた。

      ②そのように教えてはならないことを、ヨブ記は語っている。

      ③この男に教える資格はあるのか。ある。彼は体験したのである。

    (2)「彼を外に追い出した」

       ①神殿の外ではない。

      ②会堂から追い出したという意味である。

③これは、Cheremの段階である。

      ④この男は、あらゆる意味で、生活の基盤を失った。

Ⅴ.霊的癒し(35~41節)

   1.35~36節

「イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。『あなたは人の子を信じますか。』その人は答えた。『主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように』」(35~36節)

   (1)イエスが彼を見つけ出した。

    ①「あなたは人の子を信じますか」と尋ねた。

  (2)彼はまだイエスが誰かを知らない。

    ①彼の霊の目はまだ開いていない。

2.37~38節

「イエスは彼に言われた。『あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。』彼は言った。『主よ。私は信じます。』そして彼はイエスを拝した」(37~38節)

   (1)イエスは彼に、必要な情報を与えた。

    ①あなたと話している私が、メシアである。

  (2)彼は、信仰によって応答した。

    ①ユダヤ人は、人を礼拝しない。

    ②イエスが癒し主だという理由では、礼拝しない。

    ③イエスが神の子であると信じたので、礼拝している。

    ④彼は、肉の目も霊の目も開かれた。

3.39節

「そこで、イエスは言われた。『わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです』」(39節)

   (1)福音の効果

    ①目が見えないと認める人は、目が見えるようになる。

    ②目が見えると思っている人は、盲目のままにとどまる。

4.40~41節

「パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。『私たちも盲目なのですか。』イエスは彼らに言われた。『もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです』」(40~41節)

   (1)パリサイ人たちの傲慢な質問

    ①これは、否定的な回答を要求する質問である。

  (2)イエスの回答

    ①自分が盲目だと認めていたなら、罪の程度は軽かっただろう。

    ②しかし、目が見えると言っているので、重い罪がそのまま残る。

結論:

  1.4つのメシア的奇跡

    (1)ツァラアト患者の癒し

      ①サンヘドリンによる厳しい尋問が始まった。

    (2)口のきけない悪霊の追い出し

      ①イエスはベルゼブルにつかれていると批判した。

    (3)生まれつきの盲人の癒し

      ①イエスを信じる者は、会堂から追放されるという決定がなされた。

    (4)ヨナのしるし(ラザロの復活)

      ①サンヘドリンは、イエスを殺す決定を下した。

  2.「知っている」という言葉

    (1)登場人物たちが、「知っている」、「知らない」を繰り返している。

    (2)パリサイ人たちは、自分たちはモーセとモーセの律法を知っていると主張した。

      ①結果的には、彼らは何も知らないことが明らかになった。

    (3)盲人の場合はどうか。

  ①彼は、律法に関しては無知であった。

      ②また、イエスが誰かについても無知であった。

      ③ただし、彼には、自分の目がイエスによって開かれたという知識があった。

      ④彼は、神を体験したのである。

      ⑤パリサイ人たちは、彼のその体験を論駁できなかった。

  3.会堂からの追放

   (1)歴史的経緯

①紀元70年までは、長老たちが共同体の中で裁き司の役割を担っていた。

②紀元70年以降、パリサイ人たちがその役割を担った。

③ヨハネの福音書は、紀元90年代に書かれた。

④ヨハネの福音書の読者の多くは、シナゴーグからの追放を経験していた。

    (2)不信仰な世が私たちを追い出しても、イエスが私たちを受け入れてくださる。

      ①シナゴーグの礼拝を失ったが、イエスを礼拝する特権を得た。

      ②ヨハネの福音書の読者たちには、大きな慰めになった。

    (3)この話は、神を信じることに躊躇を覚える人にも、励ましとなる。

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