私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
ルカの福音書(104)エマオ途上にて―旧約聖書からの解説―24:13~35
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エマオ途上の出来事について学ぶ。
ルカの福音書 104回
エマオ途上にて
―旧約聖書からの解説―
24 :13~35
1.文脈の確認
(1)イエスの埋葬(23:50~56)
(2)イエスの復活(24:1~49)
①復活の出来事(1~12節)
②エマオ途上にて(13~35節)
③エルサレムの部屋にて(36~49節)
(3)イエスの昇天(24:50~53)
2.注目すべき点
(1)「エマオ途上にて」と「エルサレムの部屋にて」には同じ強調点がある。
(2)霊的な盲目状態は、聖書の解き明かしによって解決する。
3.アウトライン
(1)霊的な盲目状態(13~24節)
(2)旧約聖書の解説(25~29節)
(3)霊的な開眼(30~35節)
4.結論:神の摂理
(1)ペテロへの現れ
(2)クレオパへの現れ
エマオ途上の出来事について学ぶ。
Ⅰ.霊的な盲目状態(13~24節)
1.13~14節
Luk 24:13 ところで、ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が、エルサレムから六十スタディオン余り離れた、エマオという村に向かっていた。
Luk 24:14 彼らは、これらの出来事すべてについて話し合っていた。
(1)「ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が」
①時間は、日曜日の午後である。
②弟子たちのうちの二人が、エルサレムからエマオに向かっていた。
③一人はクレオパ(18節)で、もうひとりは無名の弟子である。
*ビザンチン時代の初期の伝承では、無名の弟子はルカだとされる。
④エマオは、エルサレムの北西約60スタディオン(11km)にある村。
*エマオは、温泉という意味。
⑤エルサレムを離れる理由は書かれていないが、想像はできる。
*彼らは、イエスの死を悲しみ、失望していた。
(2)「これらの出来事すべてについて話し合っていた」
①話の内容は、イエスの死、埋葬、空になった墓である。
*彼らは、困惑していた。
②動詞は、未完了形である。継続した動作。
2.15~16節
Luk 24:15 話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。
Luk 24:16 しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。
(1)「イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた」
①イエスから近づき、彼らとともに歩き始めた。動詞は、未完了形である。
②旅の途中で知らない人が会話に加わることは、ユダヤ人には普通のこと。
③過越の祭りを祝った巡礼者が帰路につく場合は、特にそう言える。
(2)「二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった」
①なぜイエスだと分からなかったのか。
②思い込み、悲しみ、聖書理解の不足などが考えられる。
③マグダラのマリアも、最初はイエスを認識できなかった(マコ16:9~11)。
1.17~18節
Luk 24:17 イエスは彼らに言われた。「歩きながら語り合っているその話は何のことですか。」すると、二人は暗い顔をして立ち止まった。
Luk 24:18 そして、その一人、クレオパという人がイエスに答えた。「エルサレムに滞在していながら、近ごろそこで起こったことを、あなただけがご存じないのですか。」
(1)「歩きながら語り合っているその話は何のことですか」
①イエスは、知らないから質問しているわけではない。
②彼らの信仰を喚起するための会話を始めているのである。
(2)「すると、二人は暗い顔をして立ち止まった」
①悲しみの反応。暗い顔をした。
②驚きの反応。立ち止まった。
(3)クレオパのことば
①ルカは、クレオパを知っている人がいることを予想して書いている。
②エルサレムにいたなら、誰でも知っている話を、あなただけが知らないのか。
③イエスの活動と死は、エルサレム中に知れ渡っていたのである。
*過越の祭りの最中に十字架刑が執行された。
2.19~21節a
Luk 24:19 イエスが「どんなことですか」と言われると、二人は答えた。「ナザレ人イエス様のことです。この方は、神と民全体の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。
Luk 24:20 それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、この方を死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまいました。
Luk 24:21a 私たちは、この方こそイスラエルを解放する方だ、と望みをかけていました。
(1)「どんなことですか」という質問に対して、二人は答えた。
①自分たちが信じていたことと、実際の出来事が合致しないので、当惑している。
②彼らのことばは、弟子集団の思いを代弁している。
(2)彼らが信じていた4つのこと
①イエスは神の預言者であった。
②イエスが預言者であることは、その教えと行いによって証明された。
③指導者たちは、イエスを死刑にするために引き渡し、十字架につけた。
④自分たちは、イエスこそメシア(政治的解放者)だ、と望みをかけていた。
3.21b~24節
Luk 24:21b 実際、そればかりではありません。そのことがあってから三日目になりますが、
Luk 24:22 仲間の女たちの何人かが、私たちを驚かせました。彼女たちは朝早く墓に行きましたが、
Luk 24:23 イエス様のからだが見当たらず、戻って来ました。そして、自分たちは御使いたちの幻を見た、彼らはイエス様が生きておられると告げた、と言うのです。
Luk 24:24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、まさしく彼女たちの言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
(1)次に彼らは、イエスが復活したという知らせについても話した。
①彼らは、イエスが復活したということを、まだ信じていない。
②「三日目になる」は、十字架刑が金曜日に行われたことを証明している。
③イエスの墓は、女たちの言ったとおりに空になっていた。
(2)イエスは、彼らが心の中にあることをすべて吐き出すまで黙って聞いている。
①試練の中にいる人の話を聞く際に、大いに参考になる。
Ⅱ.旧約聖書からの解説(25~29節)
1.25~27節
Luk 24:25 そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。
Luk 24:26 キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」
Luk 24:27 それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。
(1)「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じら
れない者たち」
①イエスは、彼らを優しく戒めた。
②「愚か者」とは、聖書の影響を受けることを拒否する人である。
③預言者たちは、メシアの受難と復活を預言していた。
(2)「モーセやすべての預言者たち」
①「モーセ」とは「モーセの五書」のこと。本来は1冊の書である。
②「預言者たち」とは、預言書のことである。
③これ全体で、旧約聖書を指す。
④旧約聖書はメシアを指し示している。
*申18:15~18
*詩22篇
*イザ9:1~21、11:1~16、53:1~12
⑤これは、イエスによるバイブルスタディである。
*イエスは、両手の釘の跡を見せるのではなく、聖書を解説した。
⑥その解説を聞きたいと思うが、私たちには新約聖書と聖霊の助けがある。
(3)旧約聖書の重要性
①初代教会の時代、伝道は旧約聖書を用いて行われた。
②初代教会は、新約聖書が書かれる前に活動を開始していた。
③今でも、ユダヤ人伝道は、旧約聖書を用いて行われる。
2.28~29節
Luk 24:28 彼らは目的の村の近くに来たが、イエスはもっと先まで行きそうな様子であった。
Luk 24:29 彼らが、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています」と言って強く勧めたので、イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。
(1)エマオに近づいたが、イエスはまだ先に行きそうな様子であった。
①イエスは、招かれない限り無理に家に入ることはない。
②家を心と置き換えても同じことが言える。
(2)彼らはイエスを強いて引き止めた(強く勧めた)。
①そろそろ夕刻になる。旅は危険である。
②空腹になって来た。
③食事と宿が用意されている。
④イエスは、彼らの招きに応じて家に入った。
Ⅲ.霊的な開眼(30~35節)
1.30~31節
Luk 24:30 そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。
Luk 24:31 すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
(1)イエスは、主人の役割を果たしておられる。
①パンを取って神の御名を祝福した。
②裂いて彼らに渡した。
(2)彼らの目が開かれて、イエスだとわかった。
①パンを裂くしぐさ
*5000人のパンの奇跡
②イエスの両手に釘の跡を見たのであろう。
③その瞬間、イエスは見えなくなった。
④イエスの体が、新しい次元の体であることを示している。
2.32節
Luk 24:32 二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」
(1)「私たちの心は内で燃えていたではないか」
①聖書の学びこそ、魂に感動をもたらすものである。
②福音を理解した人は、心のうちに燃えるものを感じる。
③心が燃えるとは、神のことばに同意し、いのちを受けている状態である。
3.33~35節
Luk 24:33 二人はただちに立ち上がり、エルサレムに戻った。すると、十一人とその仲間が集まって、
Luk 24:34 「本当に主はよみがえって、シモンに姿を現された」と話していた。
Luk 24:35 そこで二人も、道中で起こったことや、パンを裂かれたときにイエスだと分かった次第を話した。
(1)彼らはすぐにエルサレムに戻った。
①「十一人」とは、ユダを除いた使徒たちのことである。トマスはいなかった。
②彼らは、復活のイエスがシモン(ペテロ)に現れたと話していた。
③そこで二人も、自分たちの体験に基づいてイエスの復活を証言した。
(2)「パンを裂かれたときにイエスだと分かった次第を話した」
①聖餐式のときには、この聖句を思い出そう。
結論:神の摂理
1.ペテロへの現れ
(1)使徒集団で、最初に復活のイエスを見たのはペテロであった。
(2)ペテロは、赦しと励ましを必要としていた。
(3)ペテロが初代教会のリーダーとなることを弟子集団が認識する必要があった。
2.クレオパへの現れ
(1)クレオパは、初代教会で有名な指導者となった。
①伝承では、彼はイエスの叔父である(ヨセフの兄弟)。
(2)クレオパは、後にエルサレム教会の指導者の1人となった。
①紀元66年、ティトゥスは、エルサレムからローマに帰還し、皇帝となった。
②その間、弟子たちはイエスの預言に従ってエルサレムから逃れた。
③紀元70年、エルサレムは陥落したが、弟子たちは死を免れた。
④このとき、弟子たちを導いたのはクレオパであった。
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