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ルカの福音書(100)ヴィア・ドロローサ ―苦しみの道-23:26~32
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ヴィア・ドロローサでの出来事について学ぶ。
ルカの福音書 100回
ヴィア・ドロローサ
―苦しみの道-
23 :26~32
1.文脈の確認
(1)イエスの受難(22~23章)
①宗教的指導者たちの陰謀(22:1~6)
②過越の食事の準備(22:7~13)
③二階の大広間での出来事(22:14~38)
④イエスの逮捕(22:39~53)
⑤イエスの裁判(22:54~23:25)
⑥イエスの死(23:26~49)
(2)イエスの死(23:26~49)
①ヴィア・ドロローサ(23:26~32)
②十字架上のイエス(22:33~49)
(3)ヴィア・ドロローサの意味
①ラテン語で「苦しみの道」という意味である。
②イエスがゴルゴタの丘に向かった際の経路である。
③この伝承は、十字軍時代に定着した。
④伝統的に14留(ステーション)ある。
2.アウトライン
(1)クレネ人シモン(26節)
(2)嘆き悲しむ女たち(27~31節)
(3)2人の犯罪人(32節)
3.結論:クレネ人シモン
ヴィア・ドロローサでの出来事について学ぶ。
Ⅰ.クレネ人シモン(26節)
1.26節
Luk 23:26
彼らはイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというクレネ人を捕まえ、この人に十字架を負わせてイエスの後から運ばせた。
(1)このときのイエスの肉体的状態
①ピラトがイエスを鞭で打った。
②鞭で打たれたイエスの肉体は、悲惨な状態に陥った。
③特に、出血多量で危険な状態になった。
④罪人は、十字架(横木)を負って刑場まで行進する。
⑤イエスにとっては、その行程はまさに「苦しみの道」となった。
(2)十字架刑は、長時間苦しめながら死に至らせる見せしめの刑である。
①もしイエスが刑場に向かう途中で死ねば、その目的は半分しか達成されない。
②第5ステーションから上り坂に入る。
③ローマ兵たちは、イエスの代わりに十字架を負う人物を探した。
④それによって、イエスは一時的に楽になるが、最後に十字架刑が待っている。
(3)イエスの代わりに十字架を負わされたのは、クレネ人シモンである。
①ローマは、支配下にある民をいつでも徴用することができた。
②クレネは、北アフリカにあった町である。
③シモンは、過越の祭りを祝うために都に来ていた巡礼者のユダヤ人である。
④彼は、十字架を負ってイエスの後を歩いた。
Ⅱ.嘆き悲しむ女たち(27~31節)
1.27~28節
Luk 23:27
民衆や、イエスのことを嘆き悲しむ女たちが大きな一群をなして、イエスの後について行った。
Luk 23:28
イエスは彼女たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣いてはいけません。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい。
(1)ルカだけが、この逸話を記録している。
①エルサレムの崩壊は、ルカの大きな関心事である。
(2)「民衆」とは、イエスの教えを聞き、イエスを支持していた人たちであろう。
①ルカは、特に嘆き悲しむ女たち取り上げている。
*女性に焦点を合わせるのは、ルカの福音書の特徴である。
②嘆き悲しむ女たちとは誰か。
*当時は、葬送の列に「泣き女」が同行する習慣があった。
*刑場まで同行し、十字架にかかる前に鎮痛剤を与えた。
*ユダヤ人たちは、愛国主義の受刑者に敬意を表した。
*ローマもこのような行為を許していた。
*しかし、死後の弔いは禁じられていた。
*これまでの例では、イエスは泣き女たちの活動を喜んではいなかった。
③この女たちは、イエスの受難によって心を痛めている信仰のある女たちである。
*彼女たちは、純粋に心を痛め、悲しみの中にあった。
(3)イエスは、嘆き悲しむ女たちに声をかけた。
①イエスは、肉体的な苦痛の中でも奉仕を続けた。
②「エルサレムの娘たち」と呼びかけた。
*彼女たちは、ガリラヤの女たちではなく、エルサレムの住民であった。
③イエスのことよりは、自分と自分の子どもたちのために嘆き悲しむべきである。
2.29~30節
Luk 23:29
なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来るのですから。
Luk 23:30
そのとき、人々は山々に向かって『私たちの上に崩れ落ちよ』と言い、丘に向かって『私たちをおおえ』と言い始めます。
(1)この時代、不妊は不運なこと、子を持つのは幸運なことと考えられていた。
①将来、逆転現象が起こるようになる。
②イエスのことばは、エルサレム崩壊の預言である。
(2)イエスの勧告の背景には、ホセ10:8の預言がある。
Hos 10:8
イスラエルの罪である/アベンの高き所は滅ぼし尽くされる。/茨とあざみが/彼らの祭壇の上に生い茂る。/彼らは山々に向かって/「私たちをおおえ」と言い、/丘に向かって/「私たちの上に崩れ落ちよ」と言う。
①嘆き悲しむべき理由は、彼らに悲惨なことが起こるからである。
3.31節
Luk 23:31
生木にこのようなことが行われるなら、枯れ木には、いったい何が起こるでしょうか。」
(1)これは格言である。
①生木とは、イエスのことである。
*聖なるイエスがこのような仕打ちを受けている。
②枯れ木とは、罪人たちのことである。
*ましてや、罪人がさらに激しい苦難に遭わないはずがない。
(2)この格言の背景は、エゼ20:46~47である。
Eze 20:46 「人の子よ。顔を右の方に向け、南に向かって語りかけ、ネゲブの野の森に向かって預言し、
Eze 20:47
ネゲブの森に言え。『【主】のことばを聞け。【神】である主はこう言われる。見よ、わたしはおまえのうちに火をつける。その火はおまえのうちの、すべての生木とすべての枯れ木を焼き尽くす。その燃える炎は消されず、南から北まで地の面すべてが焼かれる。
(3)これは、エルサレム崩壊までの期間を生かすようにという勧めである。
①個人的にも国家的にも、40年間の悔い改めの期間が残されている。
Ⅲ.2人の犯罪人(32節)
1.32節
Luk 23:32
ほかにも二人の犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために引かれて行った。
(1)この節は、ヴィア・ドロローサとゴルゴタの丘をつなぐ架け橋になっている。
①2人の犯罪人の姿が、次回の場面で詳細に描かれる。
(2)この節は、イエスの辱めを表現している。
①イザ53:12
Isa 53:12
それゆえ、/わたしは多くの人を彼に分け与え、/彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。/彼が自分のいのちを死に明け渡し、/背いた者たちとともに数えられたからである。/彼は多くの人の罪を負い、/背いた者たちのために、とりなしをする。」
結論 :クレネ人シモン
1.クレネは、現在の北アフリカのリビアに位置する。
(1)北アフリカで栄えていた5つの町(ペンタポリス)の1つである。
(2)ギリシア・ローマ時代を通じて、ヘレニストのユダヤ人の共同体があった。
(3)最盛期には、10万人の人口を擁した。
(4)紀元115年にユダヤ人の反乱が起こり、町は衰退した。
(5)そして、5世紀には廃墟となった。
2.シモンは、ユダヤ人の一般的な名前である。
(1)彼は、巡礼祭でエルサレムに来ていたユダヤ人である。
(2)「ニゲルと呼ばれるシメオン」(使13:1)とは別人であろう。
(3)シモンに関する情報は少ない。
3.マコ15:21の情報
Mar 15:21
兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。
(1)マルコだけが、「アレクサンドロとルフォスの父」と書いている。
(2)マルコの福音書は、ローマ世界の異邦人のために書かれた。
(3)マルコの福音書の読者には、アレクサンドロとルフォスはよく知られていた。
4.ロマ16:13の情報
Rom 16:13
主にあって選ばれた人ルフォスによろしく。また彼と私の母によろしく。
(1)ルフォスとその母の名が登場する。
①「選ばれた人」とは、重責を担っている人、よく知られた人の意味。
②その母は、パウロにとっても母のような人。
③シモンの一家は、信者になり、クレネからローマに移住した。
④ローマの教会は、シモン一家のようなユダヤ人信者たちによって設立された。
⑤この事実は、私たちにとっても励ましとなる。
5.ルカ9:23の情報
Luk 9:23
イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
(1)クレネ人シモンは、理想的な弟子の型である。
(2)それゆえルカは、このエピソードを取り上げたのである。
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