私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q359 放蕩息子のたとえ話はイエスの愛を教えていますか。
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359 放蕩息子のたとえ話はイエスの愛を教えているか
Q:ルカ15章の放蕩息子は私自身であり、父の愛と赦しにいのちを得ました。この話の中に、イエス様の贖いを探しています。どうかご教授ください。
A:はじめに
これは、聖書の解釈法に直結した質問ですね。いつものように3つ申し上げます。
1番目に、ルカ15章には、3つのたとえ話が出てきます。
(1)良き羊飼いのたとえ話は、イエス・キリストの愛を描いています。
①いなくなった1匹の羊を探す羊飼いは、イエス・キリストです。
(2)銀貨をなくした婦人のたとえ話は、聖霊の愛を描いています。
①なくなった1枚の銀貨を探す婦人は、聖霊です。
(3)放蕩息子のたとえ話は、父なる神の愛を描いています。
①息子の帰還を喜ぶ父親は、父なる神です。
2番目に、聖書解釈のゴールは、著者の意図を発見することです。
(1)イエスの意図は、3つのたとえ話を通して、三位一体の神の愛を伝えることです。
(2)放蕩息子のたとえ話は、父なる神の愛を伝えています。
①それは、イエス・キリストの愛を描いたものではありません。
(3)放蕩息子のたとえ話の中に父なる神の愛を発見できたなら、そこで満足すべきです。
3番目に、著者が意図していないこと見つけようとするのは、間違いです。
(1)これは、「釈義」ではなく、「読み込み」です。
①この読み方では、神の御心を知ることはできません。
(2)それどころか、この読み方は、大変危険です。
①小さな誤解が、誤った教理を生み出します。
②誤った教理が、カルトを生み出します。
聖書は、著者の意図どおりに読む必要があります。
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