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メシアの生涯(78)—ナザレ再訪問—
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イエスの弟子訓練について学ぶ。
「ナザレ再訪問」
§068 マタイ9:27~34
§069 マコ6:1~6
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスの公生涯は、弟子訓練の段階に入っている。
②きょうの箇所も、弟子訓練という文脈の中で読む必要がある。
③きょうは、2つのセクションを取り上げる。
(2)§68 ふたりの盲人の癒しと口のきけない悪霊の追い出し
①マタイの福音書だけに出てくる。
②ベルゼブル論争の結論が、日常的に繰り返される。
(3)§69 ナザレ再訪問
①マルコとマタイに出てくる。
②最初の訪問との相違点、類似点に注目しよう。
(4)A.T.ロバートソンの調和表
「ふたりの盲人の癒しと口のきけない悪霊の追い出し」(§68)
マタ9:27~34
「ナザレ再訪問」(§69)
マコ6:1~6、マタ13:54~58
2.アウトライン
(1)ふたりの盲人の癒しと口のきけない悪霊の追い出し(マタ9:27~34)
①ふたりの盲人の癒し(27~31節)
②口のきけない悪霊の追い出し(32~34節)
(2)ナザレ再訪問(マコ6:1~6)
①会堂で教えるイエス(1~2節a)
②人々の反応(2b~3節)
③イエスの嘆き(4~6節)
3.結論:
(1)証しの在り方
(2)弟子訓練の内容
イエスの弟子訓練について学ぶ。
<ふたりの盲人の癒しと口のきけない悪霊の追い出し(マタ9:27~34)>
Ⅰ.ふたりの盲人の癒し(27~31節)
1.27節
「イエスがそこを出て、道を通って行かれると、ふたりの盲人が大声で、『ダビデの子よ。
私たちをあわれんでください』と叫びながらついて来た」
(1)盲人にとっては、イエスは希望の源であった。
①メシアが来られると、盲人の目が開かれるという信仰があった。
②根拠になっている聖句は、イザ61:1である。
③彼らの肉体の目は閉ざされていたが、霊の目は開かれていた。
(2)「ダビデの子」という呼びかけ
①メシアのタイトルである。
②マタ1:1
「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」
③イエスがこのタイトルを用いることはなかった。
④イエスは、「人の子」というタイトルを用いた。
⑤彼らには、イエスをメシアと信じる信仰と、その信仰に基づく熱心さがあった。
(3)イエスが彼らを無視していることに注目すべきである。
①公の場での対話はない。
2.28節
「家に入られると、その盲人たちはみもとにやって来た。イエスが『わたしにそんなこと
ができると信じるのか』と言われると、彼らは『そうです。主よ』と言った」
(1)その盲人たちが家に入ると、そこは私的空間となった。
①そこで初めてイエスは彼らと対話された。
(2)イエスは彼らの信仰を確認された。
①パリサイ人たちがイエスを公に拒否する前は、信仰に関する質問はなかった。
②拒否以降、イエスは癒しを求めて来る人の信仰を確認するようになった。
③癒しを受け取る条件は、イエスをメシアとして信じる信仰である。
(3)彼らは信仰を告白した。
①「そうです。主よ」
②「ナイ、キュリエ」
③ギリシア語の「キュリオス」は、イエスの神性を示す。
3.29~30節
「そこで、イエスは彼らの目にさわって、『あなたがたの信仰のとおりになれ』と言われ
た。すると、彼らの目があいた。イエスは彼らをきびしく戒めて、『決してだれにも知ら
れないように気をつけなさい』と言われた」
(1)イエスによる癒し
①目にさわった。
②「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。
③癒しはただちに起こった。
(2)イエスの命令
①沈黙の命令
②これは、イエスの新しいポリシーである。
4.31節
「ところが、彼らは出て行って、イエスのことをその地方全体に言いふらした」
(1)癒されたふたりの人は、イエスの命令に従わなかった。
Ⅱ.口のきけない悪霊の追い出し(32~34節)
1.32~33節a
「この人たちが出て行くと、見よ、悪霊につかれて口のきけない人が、みもとに連れて来られた。悪霊が追い出されると、その人はものを言った」
(1)これは、メシア的奇跡である。
2.33b~34節
「群衆は驚いて、『こんなことは、イスラエルでいまだかつて見たことがない』と言った。
しかし、パリサイ人たちは、『彼は悪霊どものかしらを使って、悪霊どもを追い出してい
るのだ』と言った」
(1)群衆は驚き、イエスは誰なのかと当惑した。
①メシア的奇跡を見たから。
(2)パリサイ人たちは、冒涜的な言葉を吐いた。
①ベルゼブル論争の再現
②ベルゼブル論争以降、この説明が頻繁に行われるようになっていた。
<ナザレ再訪問(マコ6:1~6)>
Ⅰ.会堂で教えるイエス(1~2節a)
1.1~2節a
「イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。安息日になったと
き、会堂で教え始められた
(1)カペナウムからナザレへ
①南西約30キロ
②この訪問は、弟子たち全員を訓練するためのものでもある。
(2)ナザレでの最初の拒否
①ルカ4:16~30
②公生涯の始まりに、故郷を訪問した。
③人びとは、イエスのメシア宣言を拒否し、イエスを殺そうとした。
(3)ナザレ再訪問
①イエスの名声が広まった段階での訪問である。
②イエスは、弟子たちを引き連れた高名なラビとして故郷を訪問した。
③ナザレの人びとに再度チャンスが与えられた。
④ナザレの人びとによる最終的な拒否が確定する。
(4)イエスによる安息日の重視
①教えの内容は、律法と預言者である。
Ⅱ.人々の反応(2b~3節)
1.2節b
「それを聞いた多くの人々は驚いて言った。『この人は、こういうことをどこから得たの
でしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行われるこのような力あるわざは、
いったい何でしょう』」
(1)「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう」
①直訳は、「どこから、こいつに、こういうことが」
②ギリシア語では3語。「πόθεν τούτῳ ταῦτα」
③英語では、「Where did this man get all this?」(RSV)
④軽蔑のニュアンスが込められている。
(2)「この人に与えられた知恵や、この人の手で行われるこのような力あるわざは、
いったい何でしょう』」
①イエスの知恵は否定していない。
②イエスが奇跡を行ったことも否定していない。
③彼らは、イエスの力には何かの仕かけや裏があると怪しんだ。
2.3節
「『この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟
ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。』こう
して彼らはイエスにつまずいた」
(1)イエスの職業は大工である。
①ルカ9:62
「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくあり
ません」
②マタ11:29
「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負
って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます」
(2)「マリヤの子」
①父親のヨセフの名は出ていない。恐らくすでに死んでいたのであろう。
②その場合でも、通常は父の名を出すものである。「ヨセフの子イエス」
③母親に問題のある子の誕生の例
*士11:1~2、ヨハ8:41、9:29参照
④イエスの不自然な誕生が暗示されている。
(3)イエスの兄弟姉妹たち
①ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン
*ヤコブは、初代教会の指導者となった(使15:13~21参照)。
*ヤコブの手紙の著者となった。
②姉妹たちは複数形なので、少なくとも2人以上いた。
③イエスには、少なくとも6人の異父兄弟姉妹たちがいた。
④これは、カトリックの教理(マリアの処女性)を否定する内容である。
(4)「こうして彼らはイエスにつまずいた」
①つい最近まで近所に住んでいた者が、預言者のように振る舞っている。
②プライドが許さない。
Ⅲ.イエスの嘆き(4~6節)
1.4節
「イエスは彼らに言われた。『預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間
だけです』」
(1)イエスは自らを預言者の位置に置いている。
①すでにメシア宣言は終わっているが、ここでは預言者として教えている。
(2)それがナザレの人びとには受け入れられない。
①ナザレは、イスラエルでは軽蔑されていた地である。
②軽蔑されていた者たちが、イエスを軽蔑している。
③偏見と不信仰の恐ろしさを思う。
(3)イエスの格言
①エリヤもバプテスマのヨハネも、親しい人たちからは拒否された。
2.5~6節
「それで、そこでは何一つ力あるわざを行うことができず、少数の病人に手を置いていや
されただけであった。イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々
を教えて回られた」
(1)少数の病人だけが癒された。
①公生涯のこの段階では、信仰が癒しを受けるための条件になっている。
②イエスは、彼らの不信仰に驚かれた。
(2)イエスは、ナザレを去って近くの村々を教えて回られた。
①再びナザレに戻ることはなかった。
結論:
1.証しの在り方
(1)2人の盲人は、嬉しさのあまり、イエスのことをその地方全体に言いふらした。
(2)イエスのポリシーは、沈黙すること。誤ったメシア理解を与えないためである。
(3)言い広めることではなく、イエスに従うことこそ真の感謝の表現である。
(4)証しをする際の吟味項目
①自分の成功を自慢していないか。
②聞く人に不快感を与えるような失敗談を披露していないか。
③沈黙のタイミングに敏感か。
「愚か者でも、黙っていれば、知恵のある者と思われ、そのくちびるを閉じてい
れば、悟りのある者と思われる」(箴17:28)
④イエス・キリストを通して父なる神をたたえているか。
2.弟子訓練の内容
(1)12使徒を2人ずつにして派遣する時期が近い。
(2)ナザレ再訪問には、12使徒全員が随行した。
(3)そこで彼らは、御子イエスがナザレの人たちに拒否されるのを目撃した。
(4)ナザレはイスラエル全体の型である。
①イスラエルが最終的にメシアを拒否するのは、ヨハ11:45~54である。
「そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた」(ヨハ11:53)
(5)イエスの体験は、イエスに従う者たちの体験となる。
①イエスが体験した孤独は、弟子たちの体験となる。
②最も近い者たちから誤解されることは、弟子たちの体験となる。
(6)弟子たちに要求されるのは、成功することではなく、忠実であるということ。
(7)ピリ2:6~9
「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自
分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性
質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われま
した。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりま
した」
(8)ピリ2:13
「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせて
くださるのです」
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