私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q266 「【主】を恐れる」とは、どういう意味ですか。
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箴言1:7の「【主】を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む」という聖句に関してのご質問です。
愛なる神様を恐れる必要があるの?恐れと知識にどんな関わりがあるの?さっそく見ていきましょう。
Q :箴言1:7にある「【主】を恐れる」の意味を教えてください。
A:とても重要は質問です。箴言1:7にはこうあります。「【主】を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む」。この聖句に関して、いつものように3つ申上げます。
1番目に、箴言1:7は、最初の箴言であると同時に、箴言全体の中心テーマです。
このような内容の箴言は、聖書以外のどこにも見出すことが出来ません。この聖句は、箴言が単なる処世訓の書ではないことを明らかにしています。箴言は、神との関係を前提とした人生訓なのです。
「【主】を恐れる」というテーマが、箴言全体の通奏低音となっています。【主】とは、創造主である神、イスラエルと契約を結ぶ神、ヘブル語でヤハウェと呼ばれる神です。その方を恐れることが、知恵なのです。
2番目に、「【主】を恐れる」とは、畏怖の念を抱くことです。
知恵をもたらす恐れとは、裁きや呪いを恐れたり、地獄の存在に恐怖心を抱いたりといったたぐいの恐れではありません。そのような恐れは、石の板に記された律法の文字を示された時に、良心が感じる恐れです。箴言が教える恐れは、「畏怖の念」とでも言うべき恐れです。その根底にあるのは、神の恵みと愛への信頼です。使徒パウロは、次のように書いています。「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」(2コリ3:6)。神の愛を体験したものは、表面的な従順ではなく、心の底から神に従って歩みたいと願うようになります。それが、健全な「【主】への恐れ」です。
3番目に、霊的知識の探求は、「【主】を恐れる」ところから始まります。
スタート地点が間違っているなら、いくら努力しても真の霊的知識に至ることはできません。この世の人たちは、間違った地点からスタートを切っているので、的外れな探求を繰返しています。それが愚か者の姿です。「愚か者は知恵と訓戒を蔑む」とあるとおりです。「愚か者」とは、心が閉ざされた者、霊的洞察力に欠ける者、傲慢な者などです。
私たちに関しては、【主】を恐れる道を歩もうではありませんか。
参考になる聖句
「【主】を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む」(箴1:7)
箴言1:7は、箴言全体の中心テーマです。
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