私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q223 神はなぜ信仰を要求されるのですか。
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このメッセージでは...
「神が目の前に現れてくださったなら、私も信じるのに」という質問者さんです。
こちらもまた、共感される方が多い質問かもしれません。
さて、信じるに至るためにはどうしたらいいのでしょうか。
223 神はなぜ信仰を要求されるのですか
Q : 神はなぜ信仰を要求されるのでしょうか。神が目の前に現れてくださったなら、疑り深い私でも信じると思います。神はなぜそのようにされないのでしょうか。
A:信仰の必要性について、いつものように3つ申し上げます。
1 番目に、信仰(信頼)は、すべての人間関係の土台です。
相手に対する信頼がなければ、心からの交流は不可能です。私たち人間には、他者のことをすべて理解することなどできません。それどころか、自分自身のことさえ完全に理解できていないのです。それでも私たちは、与えられている情報を基に、その人が信頼できるかどうかを判断し、交友関係を築きます。信頼のないところに、真の人間関係は育ちません。神との関係もそれと同じです。有限な人間が神を完全理解するのは、不可能なことです。しかし、与えられている情報を基に、神に信頼することは可能です。
2 番目に、不信仰(疑い)が、罪と死をこの世界にもたらしました。
アダムとエバは、神の約束のことばを疑い、自分で善悪の基準を選び取ろうとしました。創世記3章に、そのことが書かれています。自分で善悪の基準を決めるとは、自分が神になるということです。アダムとエバが神に反抗したので、罪と死がこの世界に侵入して来ました。罪とは、神に喜ばれないすべての行為や思いです。死とは、神からの断絶です。死には、霊的死、肉体的死、永遠の死の3つがあります。霊的死とは、神との分離です。肉体的死とは、霊と肉体の分離です。永遠の死とは、霊的死が永遠に続くことです。
3番目に、信仰が、罪と死の問題を解決する唯一の方法です。
自らが行なう業によって救いを得ようとしても、それは不可能です。自力救済が不可能なので、神が救いの道を用意してくださいました。それが、イエス・キリストの十字架です。私たちの罪は、イエス・キリストの身代わりの死によって赦されました。神と和解するための唯一の方法は、イエス・キリストを救い主として信じることです。神は、信じるために必要な情報を十分に与えてくださいました。それが記されているのが、聖書です。
ローマ人への手紙5章:1節に、こうあります。 「こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」 。「神との平和を持っています」とは、なんと素晴らしい宣言でしょうか。
参考になる聖句
「こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」 (ロマ5:1)
人は、恵みと信仰のみによって救われます。
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