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使徒の働き(26)―ステパノの死―
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ステパノの死とその結果について学ぶ。
「ステパノの死」
使徒7:54~8:4
1.はじめに
(1)ステパノは、使徒の働きの物語の岐路に立つ人物である。
①偽証人たちは、ステパノがユダヤ教の4つの土台を冒涜していると攻撃した。
②ステパノの弁明は、使徒の働きの中で最も長いメッセージである。
③この弁明は、サンヘドリンの議員たちを怒らせた。
④その結果、ステパノは石打の刑で殺される。
⑤ステパノの死を境に、物語の中心は、ペテロからパウロに以降していく。
2.アウトライン
(1)ステパノの死(7:54~60)
(2)サウロによる教会の迫害(8:1~4)
結論
(1)石打の刑はローマ法違反ではないか。
(2)迫害と種蒔きのたとえの関係は何か。
ステパノの死とその結果について学ぶ。
Ⅰ.ステパノの死(7:54~60)
1.54節
Act7:54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。
(1)原文には、「人々」という言葉はない。
①動詞から判断される主語は、「彼ら」(they)である。
②「彼ら」とは、サンヘドリンの議員たちとそこにいた群衆である。
*サンヘドリンでの裁判は、公開である。
(2)訳文の比較
①「はらわたが煮え返る思いで、」(新改訳)
②「激しく怒り、」(新共同訳)
③「心の底から激しく怒り、」(口語訳)
④「心いかりに滿ち」(文語訳)
⑤ギリシア語で「ディアプリオウ」という動詞
*使5:33では、「怒り狂い」という訳(ペテロのメッセージへの反応)。
*「theywerecuttotheheart」(KJV、ASV)
*「心が切り裂かれた」「グサッときた」
(3)「ステパノに向かって歯ぎしりした」
①空腹の狼が獲物に向う様子を想像すればよい。
②前回と違い、この時はガマリエルのような冷静な仲介者はいなかった。
③ステパノは、自らの死を覚悟したはずである。
2.55~56節
Act7:55 しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、
Act7:56 こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
(1)ステパノは、聖霊の支配下にあった。
①彼は、怒り狂った群衆を見るのではなく、天を見つめた。
②彼には、シャカイナグローリーとイエスを見ることが許された。
(2)「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」
①彼の言葉は、単に見えているものを伝えているだけではない。
②彼は、サンヘドリンの裁判でのイエスの最後の言葉を伝えている。
③ルカ22:69(マタ26:64、マコ14:62)
Luk22:69 しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます。」
④この言葉によって、イエスは冒涜罪とされた。
⑤ステパノも、この言葉によって冒涜罪が確定する。
(3)「人の子が神の右に立っておられる」
①詩110:1への言及である(ペテロがペンテコステの日のメッセージで引用)。
Psa110:1 【主】は、私の主に仰せられる。/「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、/わたしの右の座に着いていよ。」
②「人の子」には、2つの意味がある。
*人間を意味する場合
*メシアの称号(ダニ7:13~14)の場合
③イエスは、「ダビデの子」よりも「人の子」を好まれた。
④人の子が神の右の座に座っているというのが、通常の表現である。
⑤ここでは、神の右に立っておられる。
*最初の殉教者ステパノを迎えようとして立っておられるのであろう。
3.57節
Act7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。
(1)群衆は、自分を制することができなくなった。
①大声で叫ぶ、耳をおおう、いっせいにステパノに殺到する。
*「いっせいに」は、「心を一つにして」(withoneaccord)である。
②「殺到する」は、ギリシア語で「ホルマオウ」である。
*ルカ8:33で同じ動詞が使われている。
Luk8:33 悪霊どもは、その人から出て、豚に入った。すると、豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖に入り、おぼれ死んだ。
4.58節
Act7:58 そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。
(1)神殿域での死刑は許されないので、エルサレムの境界線の外に追い出した。
①怒っていても、その程度の判断力は残っていたのである。
(2)ミシュナが示す手順から推定される死刑の様子
①ステパノは、町の外の崖に連れ出され、着ている物をはぎ取られる。
②偽証人のひとりが、ステパノを崖の下(最低3.6メートル)に突き落とす。
*この段階で首の骨を折り、死ぬ可能性も大いにある。
③別の偽証人が最初に石を投げ、次に、すべての証人たちが石を投げる。
④それに続いて、群衆が石を投げる。
*正確さを確保するために、石を投げる者たちは着物を脱いだ。
(3)「証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた」
①ここでサウロが登場するのは、使徒の働きの後半の展開を考えてのことである。
②青年(ネアニアス)とは、40歳までの人を言う。
*恐らくサウロは30歳前後であろう。
*かつて、リベルテンの会堂でステパノと論争した可能性も大である
③サウロは着物の番をした。
*サンヘドリンの議員ではないが、議会でなんらかの地位が与えられていた。
*彼は、ガマリエルの筆頭弟子として、裁判を傍聴していたのであろう。
5.59節
Act7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」
(1)飛んで来る石の衝撃を感じながら、彼はイエスに言った。
①「主イエスよ。私の霊をお受けください」
②ルカ23:46
Luk23:46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。
③ステパノは、主イエスに自分の霊を委ねた。
④これは、イエスの神性を証明する聖句である。
6.60節
Act7:60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。
(1)ユダヤ人の習慣
①石打の前に、自分の罪を告白する。
②あるいは、単に「私の死が、私のすべての罪の贖いとなるように」と祈る。
(2)ステパノの場合
①ひざまずいて、大声で叫んだ。
②リーダーたち、偽証人たち、群衆に聞こえるように。
③「主よ。この罪を彼らに負わせないでください」
④ルカ23:34
Luk23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
(3)「眠りについた」
①死を示す婉曲語である。
②彼の肉体は、動かなくなった。
③彼の魂は、神のもとに帰った。
④復活のとき、肉体と魂が合体する。
Ⅱ.サウロによる教会の迫害(8:1~4)
1.1節
Act8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。/その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。
(1)「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた」
①「スンユードケオウ」には、同意する、喜びを覚える、などの意味がある。
②上着の番をすることは、その賛意を公に示すことである。
③サウロは、師のガマリエルの助言を無視した。
④イエスの弟子たちのメッセージは、ユダヤ教の土台を揺るがすものだと感じた。
⑤彼は、教会を迫害する者たちの急先鋒となった。
(2)サドカイ派とパリサイ派がひとつになって、教会を迫害した。
①エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こった。
②パリサイ派は、最早教会に対して寛容なグループではなくなった。
③使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。
*ヤコブの手紙とペテロの手紙は、離散したユダヤ人信者に宛てたもの。
Jas1:1 神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。
1Pe1:1 イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、
(3)使徒たちがエルサレムに留まることができた理由は何か。
①サンヘドリンは、使徒たちへの迫害が好ましくない結果をもたらした経験をし
ている。
②サンヘドリンは、草の根レベルで教会を迫害しようとしたのであろう。
2.2節
Act8:2 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。
(1)ユダヤ法によれば、石打の刑で死んだ者を葬るのは、違法である。
①しかし、「敬虔な人たち」は、ステパノを葬った。
②これは、イエスの弟子ではない、信仰的なユダヤ人たちである。
③恐らく彼らは、ステパノの裁判を傍聴していたのであろう。
④「彼のために非常に悲しんだ」は、彼の語ることに感銘を受けたということ。
3.3節
Act8:3 サウロは教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。
(1)サウロは、人々が家の教会で礼拝しているときに、そこを襲った。
①男も女も逮捕された。
②これまでは、逮捕されたのは男だけだった。
③サウロの怒りから免れる者は、ひとりもいなかった。
(2)さらにサウロは、シナゴーグにまで入り、信者は逮捕した。
Act22:19 そこで私は答えました。『主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。
①初期の信者たちは、ユダヤ人共同体からの分離を願ったわけではない。
②ユダヤ教の指導者たちが、分離を強制的に促したのである。
4.4節
Act8:4 他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。
(1)教会は、敗北したのではなく、拡散したのである。
①彼らは、福音を伝える対象を、ユダヤ人から異邦人に拡大していく。
②いよいよ、種蒔きの時代が到来したのである。
結論
1.石打の刑はローマ法違反ではないか。
(1)ユダヤ人たちには、死刑を執行する権利がなかった。
(2)イエスを死刑にするためには、ローマの法廷で有罪を勝ち取る必要があった。
(3)ステパノの死刑は、ローマの法廷とは無関係に行われた。
(4)イエスの裁判とステパノの裁判の違い
①イエスは有名であり、ステパノは無名である。
②イエスの場合は、民衆の怒りを買う可能性があった。
*民衆が騒動を起した場合、指導者たちも反逆罪に問われる恐れがあった。
③ステパノの場合は、自分たちで裁いても暴動が起こる可能性はないと判断した。
*ピラトは、本国での政治問題に巻き込まれていた。
*それゆえ、無名の男の死刑を問題視する可能性はないと判断した。
2.迫害と種蒔く人のたとえの関係は何か。
(1)教会時代は、奥義としての王国の時代である。
①その特徴は、福音の伝達が行われることである。
*マコ4:3~23、マタ13:3~23、ルカ8:5~18
②ユダヤ教には、宣教師はいない。
③キリスト教は、その最初から伝道的である。
④種蒔く人のたとえは、福音に対して4種類の応答が起こることを教えている。
(2)象徴的言葉
①種とは、みことばのことである。
②種蒔く人が誰かは解説されていないが、それは容易に推察される。
*イエスご自身
*イエスの代理人としての弟子たち
*奥義としての御国に住むすべての信者たち
(3)4つの土地の意味
①道ばた
*福音を聞いても、信じないことを選ぶ人たち
*福音の真理は、自分の生活には無関係であると考える人たち
②岩地
*信じるが、みことばに根差した信仰を持たない人たち
*みことばの乳から堅い肉に進もうとしない人たち
*困難や迫害が来ると、容易につまずく人たち
③いばらの地
*信じるが、霊的勝利を自分のものにできない人たち
*信仰生活と、この世の生活とが、別区分になっている人たち
④良い地
*みことばに根差した信仰を持つ人たち
*彼らの存在は周りの人たちに良い影響を与て、多くの魂が救いに導かれる。
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