私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.180 先祖の罪の報いは聖書的な教えですか。
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出エジプト記の中に「わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、」と書かれているということで、今回のご質問をいただきました。ここだけ切り出して見て、これまで学んだ原則から考えると、確かにちょっと戸惑いそうですね。
「先祖の罪の断ち切り」の祈りを勧める人たちもいますが、本当のところはどうなのでしょう。さっそく詳しい解説を見てみましょう。
180 先祖の罪の報いは聖書的な教えですか。
Q:出エジプト記20章5節に、「あなたの神、【主】であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、」とあります。私は先祖の罪の報いを受けているのでしょうか。
A:この方は、自分が苦しんでいるのは先祖の罪の報いなのだろうかと不安を覚えておられるのですね。このテーマに関して、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、出エジプト記20章5節の文脈を確認しましょう。
神は、エジプトを脱出したばかりのイスラエルの民に、モーセの律法をお与えになりました。その中心が十戒です。十戒の最初に、唯一の神だけを礼拝せよという命令と、偶像礼拝を禁じた命令が出て来ます。その理由は、エジプトの偶像礼拝を見てきた民が同じ過ちに走る可能性が大いにあったからです。従って、「父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、」という警告のことばは、特定の個人にではなく、イスラエルの民全体に与えられたものなのです。偶像礼拝の悪影響は、民全体に及びます。
2番目に、先祖の罪の報いという教えは、聖書的ではありません。
「父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、」という警告のことばは、先祖の罪の報いが子孫に及ぶという意味ではありません。「罪の報い」ではなく、「罪の悪影響」と考えれば、この聖句の正しい解釈に近づくことができると思います。例を上げますと、詐欺師の父親に育てられた子どもは、詐欺師のように考え、行動する可能性が高くなります。それは、家庭内における罪の悪影響が子どもに及ぶからです。そしてその悪影響は、世代間で継承されて行くものです。
3番目に、各人が自分の罪の責任を負うというのが、聖書の教えです。
それを教えているのが、エゼキエル書18章20節です。「罪を犯した者は、その者が死に、子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負いめがない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する」。預言者エゼキエルの時代のイスラエル人たちは、先祖の罪のゆえに自分たちが裁きを受けるのは納得できないと文句を言っていました。それに対して神は、それぞれが自らの行動の責任を取るのだと語られました。
「先祖の罪の断ち切り」の祈りを推奨する人たちもいますが、その必要は全くありません。重要なのは、イエス・キリストが私たちの罪のために死んでくださり、墓に葬られ、3日目に復活されたと信じることです。信じた瞬間、私たちは罪や咎の負い目から解放されます。また、クリスチャンとして神に忠実に歩むことによって、先祖からの悪影響を断ち切ることができます。私たち自身が、次世代に神の祝福を届ける最初の人となろうではありませんか。
参考になる聖句
「罪を犯した者は、その者が死に、子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負いめがない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する」(エゼ18:20)
先祖の罪の報いという教えは、聖書的ではありません。
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