私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q.9 キリスト教でいう救いとは、なんですか?
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前回、前々回は「聖書が言う罪とは何か」についてがテーマでした。
人には自分の悪いところを認識する良心が備わっていて、罪責感を感じることにより、いらない心配をしたり、ビクビクしてしまうものです。
今回は「何から救われるのか?」について見ていきます。
Q.9 キリスト教でいう救いとは、なんですか?
Q. 質問
先日、「信じる者は救われる」という言葉を友人から聞きました。この言葉はよく耳にしますが、何を信じるのかがはっきりせず、いまいちピンと来ません。キリスト教でいう「救い」とは一体どのようなものなのでしょうか。
A. 回答
どのような宗教にも「これが救いだ」というものがあります。キリスト教では何を「救い」と言っているのか。いつものように3つ申し上げます。
1番目に、「救い」の2つの意味について考えて下さい。
1つは「現実生活に関係した救い」ですね。例えば「健康になる」、「人間関係の苦しさが解消される」、「経済問題から解放される」などですが、そういった意味での「現実的救い」というものがあるでしょう。
しかし、もう1つの救いがあるのです。それは「根源的な意味での救い」です。聖書は、2つの救いについて確かに語っていますが、より頻繁に出てくるのは、後者の「根源的な意味での救い」です。それは、「永遠の命」、「魂の救い」、「死後の命」などと関係した救いですね。
聖書は「現実的救い」よりもはるかに多く、根源的救いについて語っています。ですから、キリスト教でいう「救いとは何か」ということを論じる際には、2番目の「根源的な意味での救い」を取り上げているということになります。
2番目に、「根源的な意味での救い」を定義すると、それは「神の怒りからの解放」だということになります。
聖書を読まなくても、私たち人間の心には良心があり、そこから来る「罪責感」というものがあります。ですから、聖書を読んだことがない人でも、本能的に「裁き」に対する「恐れ」を持っています。「死んだ後に裁きに会うんじゃないか」と考えたり、あるいは生きている今も、なんとなく上から誰かに見られているような感覚があったりするわけです。
箴言28章1節にこのようなことばがあります。
「悪者は追う者もないのに逃げる。しかし、正しい人は若獅子のように頼もしい」(箴言28:1)
悪者は追う者もないのに逃げるとは、「罪責感に責め立てられている状態」のことです。「根源的な意味での救い」とは、そのような「神の怒りからの解放」を意味しています。
3番目に、根源的な意味での救いとは「神からの贈り物」です。プレゼントです。
このプレゼントは、自分で頑張って獲得するものではありません。ローマ人への手紙6章23節にこのようなことばがあります。
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ人への手紙6:23)
キリストが、私たちの罪のために死んでくださったので、私たちの罪が赦される。つまり、「神の怒り」から解放される。これがプレゼントとして差し出されている救いです。
救いとは、神の怒りからの解放です。
参考になる聖句
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネの福音書3:16)
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