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ヨハネの黙示録(8)—ラオデキヤにある教会—
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ラオデキヤにある教会について学ぶ。参考資料「7つの教会への手紙」のチャート があります。
「ラオデキヤにある教会」
黙3:14~22
1.はじめに
(1)黙示録の3区分
①黙1:19は、黙示録を3区分している。
Rev 1:19 そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。
①「今ある事」(2~3章)の内容は、アジアにある7つの教会への手紙である。
②今回は、ラオデキヤにある教会を取り上げる。
2.アウトライン
(1)ラオデキヤにある教会(3:14~22)
①宛先
②賞賛
③叱責
④奨励
⑤約束
3.結論:
(1)ラオデキヤにある教会から学ぶ教訓
(2)7つの教会への手紙のまとめ
ラオデキヤにある教会について学ぶ。
Ⅰ.ラオデキヤにある教会
1.宛先(14節)
Rev 3:14 また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。/『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。
(1)ラオデキヤという町
①フィラデルフィアから約65キロメートル南東に位置する裕福な町
*フィラデルフィアからコロサイに向かう途中にある町
②この手紙が書かれる約35年前に、地震によって破壊されたが、再建された。
*再建できるほどの富があった。
③主要な産業は、金融、羊毛製品、製薬であった。
④パウロがこの町を訪問したという記録はないが、彼はラオデキヤ教会を祈りに
覚えていた。
Col 2:1 あなたがたとラオデキヤの人たちと、そのほか直接私の顔を見たことのない人たちのためにも、私がどんなに苦闘しているか、知ってほしいと思います。
Col 4:16 この手紙があなたがたのところで読まれたなら、ラオデキヤ人の教会でも読まれるようにしてください。あなたがたのほうも、ラオデキヤから回って来る手紙を読んでください。
(2)キリストの自己紹介
①「アーメンである方」
*イザ65:16の「まことの神」は、「the God of amen」である。
*これは、旧約聖書では神のタイトルである。
*人間世界の出来事の背後に、神の主権がある。
*神の約束はすべて成就する。
2Co 1:20 神の約束はことごとく、この方において「しかり」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。
②「忠実で、真実な証人」
*黙1:5と3:7で語ったことの繰り返しである。
*キリストは神である。
*真実な情報を共有することが、問題解決の始まりである。
③「神に造られたものの根源である方」
*キリストは、天地が創造される前から存在していた方である。
*キリストは、被造世界に対して権威を持っておられる。
*これは、ラオデキヤの教会向かって厳しい言葉を語るための準備である。
2.賞賛
(1)ラオデキヤの教会に関しては、賞賛のことばがない。
①キリストにとっては、受け入れがたい教会であった。
②牧師も信徒も、忌むべき霊的状態にあった。
③パウロの時代から、この教会は霊的に危険な状態にあったと思われる。
Col 4:17 アルキポに、「主にあって受けた務めを、注意してよく果たすように」と言ってください。
3.叱責(15~17節)
(1)15~16節
Rev 3:15 「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。
Rev 3:16 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。
①キリストは、この教会の問題を知っておられる。生ぬるいこと。
②古代世界では、宴会や宗教行事の席上、熱い飲み物か冷たい飲み物が出された。
③生ぬるい飲み物は飲まなかった。
④キリストも、生ぬるい飲み物を口から吐き出す。
*生ぬるい飲み物とは、ラオデキヤの教会の信徒たちである。
⑤この叱責は、この町の水供給の状況を背景としたものである。
*数キロ北にあるヒエラポリスから地下水路を通って水が運ばれた。
*ラオデキヤに着くころには、その水は生ぬるくなっていた。
*ラオデキヤの水を飲んだ人は、思わず吐き出しそうになった。
*一方、ヒエラポリスでは、温泉が湧いていた。
*また、コロサイでは、冷水が泉から湧いていた。
⑥キリストは、冷たいか熱いかであって欲しいと言われた。
*冷たいとは、信仰に無関心な状態である。
*熱いとは、信仰熱心な状態である。
*生ぬるいとは、この世と妥協し、キリストを心から締め出している状態で
ある。
*これは、信仰を告白しながら救われていない人と、救われてはいるが霊的
に成長していない人の両方を指すと考えられる。
(3)17節
Rev 3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。
①霊的に生ぬるいという証拠が上げられている。
②物質的な豊かさに満足し、自らの霊的貧しさに気づいていない。
③彼らは、霊的に盲目である。
④キリストの厳しい評価に注目すべきである。
*みじめで、哀れで、盲目で、裸の者である。
4.奨励(18~19節)
Rev 3:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。
Rev 3:19 わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
(1)通常の金ではなく、火で精錬られた金をキリストから買う。
①この町は、金融業によって富を蓄積していた。
②火で精錬された金とは、神の義のことか、神に栄光を帰す信仰のことであろう。
③これは、彼らを真に豊かにするものである。
④これは買えるものではなく、信仰によって受け取るものである。
(2)裸の恥を現さないために着る白い衣を買う。
①彼らは、美しい衣をまとっていた。
②ラオデキヤの産物として有名なのは、黒い羊毛で作った黒い上着である。
③しかし、その衣ではなく、白い衣を買うように命じられた。
④この衣は、霊的裸を隠すための義の衣の象徴である。
(3)目に塗る目薬を買う。
①エスクラピアス神殿(ギリシア神話の名医)があった(ペルガモと同じ)。
②その神殿の中に、医学学校があった。
③そこでは、中近東でよく見られる眼病を直すための軟膏が売られていた。
④しかし、ラオデキヤの信徒たちが必要としていたのは、霊的洞察力である。
⑤それは、聖霊によって与えられるものである。
(4)キリストの叱責は、愛に基づくものである。
①もし愛していないなら、キリストはこの教会を無視するはずである。
②それゆえ、信徒たちは熱心になって、悔い改める必要がある。
5.約束(20~22節)
(1)20節
Rev 3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
①絵画的表現で、キリストの約束が語られている。
②これは、未信者への勧告ではなく、信者への勧告である。
*適用として未信者に語るのは構わない。
③信者の責務
*キリストを心の中から締め出していたという認識
*キリストが外に立って戸をたたいておられるという認識
*キリストの声に応答して戸を開くという行動
④キリストの約束
*キリストは、その人の心に入ってくださる。
*キリストは、その人と食事をしてくださる(親密な交流)。
(2)21節
Rev 3:21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。
①勝利を得る者とは、キリストの招きに応答し、心にキリストを迎える者である。
②その人には、キリストとともに御座に着き、キリストの勝利に与ることが約束
される。
*これは、千年王国での約束である。
(3)22節
Rev 3:22 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』」
①ここでも、約束の最後にこの勧告が語られる。
②これが、7つの手紙の最後の勧告である。
結論:
1.ラオデキヤにある教会から学ぶ教訓
(1)ラオデキヤとは、「人々が支配する」という意味である。
(2)この教会は、「背信の教会」の型である。
(3)年代的には、1900年から現代に至るまでの期間である。
①主イエスを締め出している教会
②終わりの時代の教会
③自由主義神学の教会
④エキュメニカル運動の教会
⑤生ぬるく、役に立たない教会
⑥建物や富を誇り、霊的貧しさに気づいていない教会
⑥この世の楽しみや成功に関心が向かい、キリストが締め出されている教会
(4)黙3:20
Rev 3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
①これは、教会全体ではなく、個人への呼びかけである。
②各人は「自分という家」の主人であり、内側からその家を守っている。
③戸を開くかどうかは、主人の決断にかかっている。
④「生ぬるい」とは、キリストが心の外におられる状態である。
*まだ救われていない人状態
*救われてはいるが、霊的に成長していない状態
*どちらに属している人なのかを判断するのは容易ではない。
⑤キリストを心に迎える人が増えれば、教会全体に霊的覚醒(目覚め)が起こる。
⑥場合によっては、背教の教会を去って聖書的な教会に集う必要もあるだろう。
2.7つの教会のまとめ
(1)キリストから教会に宛てられた個人的手紙であり、最終的な勧告である。
(2)紀元1世紀に存在していた7つの教会は、今日の教会の7つの型である。
(3)7つの教会が抱えていた問題は、そのまま、今日の教会の問題でもある。
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