私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q466 神でも後悔することはありますか 。
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466 神でも後悔することはありますか?
Q:聖書に「神が悔いた」とありますが、神でも後悔することがあるのですか。
はじめに
この質問は、神の性質を理解するためにとても重要なものです。神が悔いたとはどういう意味なのか、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、「神が悔いた」という表現は聖書に何度も出てきます。
(1)創世記6:6、出エジプト32:14、ヨナ3:10
(2)人間の悔い改めと同じ意味で理解すると誤解を招きます。
(3)「神は人のように悔いることはない。」(民数記23:19)
2番目に、聖書は擬人法を用います。
(1)神ご自身が変わったのではありません。
(2)人間の行動が変わると、それに応じて「取り扱い」が変わります。
(3)そのことを、人間にわかりやすく「悔いた」と表現しているのです。
(4)ニネベの人々が悔い改めたとき、神は災いを下す計画を「思い直されました」(ヨナ3:10)。
(5)神は、悔い改めた人を赦すというご性質に従って応答されたのです。
3番目に、適用を考えてみましょう。
(1)神の御性質は変わりません。
(2)罪を犯せば裁き、悔い改めれば赦すという姿勢は永遠に同じです。
(3)「神が悔いた」との表現は、人間の応答が神の取り扱いを左右するほど重要だということを教えています。
神には人間のように後悔することがありません。
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