私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(157)—祭司長と民の長老たちによる小羊の吟味(2)—
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小羊の吟味から、霊的教訓を学ぶ。
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「祭司長と民の長老たちによる小羊の吟味(2)」
マタ21:33~46
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスの最後の1週間について学んでいる。
②きょうの出来事は、火曜日に起こったものである。
③過越しの小羊はイエスの型であり、イエスはその本体である。
④ニサンの月の10日~14日まで、小羊はしみや傷がないかどうか吟味を受ける。
⑤4つのグループの指導者たちがイエスに挑戦する。
⑥挑戦の目的は2つある。
*群衆を誘導し、イエスに敵対させること
*イエスがローマ法に違反しているという口実を見つけること
(2)前回の内容の確認
①イエスに挑戦した最初のグループは、祭司長とパリサイ人たちである。
②彼らは、イエスの権威に挑戦した。
③イエスは、ヨハネの権威はどこから来たかという問いで彼らを沈黙させた。
④続いて、3つのたとえ話を語られた。
*すべて、祭司長とパリサイ人たちを叱責する内容である。
*紀元1世紀のユダヤ教の考え方を前提に、解釈する必要がある。
*正確な解釈をしてから、適用を考える。
(3)A.T.ロバートソンの調和表
§132 サンヘドリンは、公にイエスの権威に挑戦する。
マコ11:27~12:12、マタ21:23~22:14、ルカ20:1~19
2.アウトライン
(1)イエスの権威に対する挑戦(23~27節)
(2)ふたりの息子のたとえ話(28~32節)
(3)ぶどう園の主人と農夫のたとえ話(33~46節)
(4)婚宴のたとえ話(22:1~14節)
(今回は、(3)を取り上げる)
3.結論:
(1)「ぶどう園の外で殺す」という意味について
(2)「別の農夫たちに貸す」という意味について
(3)「石」という意味について
小羊の吟味から、霊的教訓を学ぶ。
Ⅲ.ぶどう園の主人と農夫のたとえ話(33~46節)
1.33節
Mat 21:33 もう一つのたとえを聞きなさい。/ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
(1)当時の主人と農夫の関係
①ローマ帝国の郊外の地(田舎)は、そのほとんどが地主の所有地であった。
②地主は都市生活をし、畑を農夫に貸して、その収穫で裕福な生活をしていた。
*奴隷に労働させることもあった。
*畑を貸す場合は、相手は小作農(自由人)であった。
③寛大な地主は尊敬を集めたが、そのような地主は稀であった。
④このたとえ話に登場する地主は、非常に寛大である。
*下層階級からは尊敬されたであろうが、貴族階級からは軽蔑された。
(2)イエスは、イザ5:1~2をイメージしながら語っている。
「さあ、わが愛する者のためにわたしは歌おう。そのぶどう畑についてのわが愛の歌
を。わが愛する者は、よく肥えた山腹に、ぶどう畑を持っていた。彼はそこを掘り起
こし、石を取り除き、そこに良いぶどうを植え、その中にやぐらを立て、酒ぶねまで
も掘って、甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。ところが、酸いぶどうができてし
まった」
(3)このたとえ話に出て来る言葉の意味
①主人は、父なる神。
②ぶどう園は、イスラエル。
③農夫は、イスラエルの指導者たち。
2.34~36節
Mat 21:34 さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。
Mat 21:35 すると、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、ひとりは袋だたきにし、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。
Mat 21:36 そこでもう一度、前よりももっと多くの別のしもべたちを遣わしたが、やはり同じような扱いをした。
(1)収穫の時の小作料の徴収
①小作農は、収穫の時に主人に対して、あらかじめ決められているものを支払う。
②収穫量であったり、率であったりした(最低25%以上)。
③常に、力があるのは小作農ではなく、主人の方である。
④問題のある小作農に対応するために、私兵集団を擁していた主人もいた。
(2)小作農の反抗
①小作農たちが、力のある者のように振る舞っている。
②寛大な主人に対する反抗である。
③主人が遣わしたしもべたちを苦しめた。
*ひとりは袋叩きにした。
*もうひとりは殺した。
*もうひとりは石で打った。
*もっと多くのしもべたちも同じように扱った。
④ルカ20:10~12では、3人のしもべが3回にわたって派遣されている。
*バビロン捕囚前の預言者たち
*バビロン捕囚後の預言者たち
*バプテスマのヨハネとイエスの弟子たち
3.37~39節
Mat 21:37 しかし、そのあと、その主人は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう』と言って、息子を遣わした。
Mat 21:38 すると、農夫たちは、その子を見て、こう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺して、あれのものになるはずの財産を手に入れようではないか。』
Mat 21:39 そして、彼をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。
(1)息子は、イエスを指している。
(2)小作農は、それが跡取りであることを認識したうえで、殺した。
①主人の財産を自分のものにしようとした。
②民衆は神から指導者たちに委ねられたのであって、神の所有物である。
③指導者たちは、イエスが神の子であることを知っていた(公に認めなかったが)。
4.40~41節
Mat 21:40 この場合、ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう。」
Mat 21:41 彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」
(1)質問が最後に来る。
①聴衆は、なぜ主人は行動を起こさないのかと考えていたはずである。
②主人はその農夫たちをどうするだろうかというのは、当然の質問である。
(2)指導者たちは、正しく答えた。
①悪党どもを殺し、そのぶどう園を忠実な農夫たちに貸すにちがいない。
②彼らは、そう答えることによって自分自身を裁いている。
5.42節
Mat 21:42 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。/『家を建てる者たちの見捨てた石。/それが礎の石になった。/これは主のなさったことだ。/私たちの目には、/不思議なことである。』
(1)イエスは、詩118:22~23を引用している。
①イエスは家を建てる者たち(指導者たち)に、ご自身を啓示された。
*家とは神殿である。
②しかし、彼らの建設計画には、イエスが入り込む余地はなかった。
6.43節
Mat 21:43 だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。
Mat 21:44 また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」
(1)イエスは、このたとえ話を適用している。
①神の国(メシア的王国)は彼らから取り去られ、実を結ぶ国民に与えられる。
②この石に敵対するなら、滅びに会う。
*紀元70年のエルサレム崩壊の預言である。
(2)聖書の一部が引用された場合、その箇所全体を読む必要がある。
①詩118:26には、「【主】の御名によって来る人に、祝福があるように」とある。
②イスラエルの中に、信仰を持つ人たちが出て来ることを預言している。
6.45~46節
Mat 21:45 祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちをさして話しておられることに気づいた。
Mat 21:46 それでイエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者と認めていたからである。
(1)指導者たちは、これらのたとえ話が自分たちへの叱責であることに気づいた。
①イスラエルの民全体ではなく、指導者たちに対する叱責である。
(2)イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れたので手が出せなかった。
①群衆は、イエスを預言者と認めていた。
②群衆をなだめることが最大の関心事なので、真理を直視することがない。
結論:
1.「ぶどう園の外で殺す」という意味について
Mat 21:39 そして、彼をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。
(1)ヘブ13:11~12は、イエスが門の外で苦しみを受けたと教えている。
「動物の血は、罪のための供え物として、大祭司によって聖所の中まで持って行かれ
ますが、からだは宿営の外で焼かれるからです。ですから、イエスも、ご自分の血に
よって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました」
(2)これは、贖罪の日の犠牲である。
①血は罪を清める供え物。
②からだは宿営の外(汚れた地)で焼かれる。
(3)イエスの犠牲もこれと同じである。
①イエスは、門の外(汚れた地)で苦しまれた。
②イエスの血は、私たちの罪を清める。
(4)それゆえ、イエスが苦しまれたように門の外で苦しみを受けようではないか。
2.「別の農夫たちに貸す」という意味について
Mat 21:43 だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。
(1)この聖句は、置換神学の根拠とされることが多い。
「ユダヤ人から取り去られ、教会に与えられる、の意(1ペテ2:9参照)」
(新改訳聖書の注解・索引・チェーン式引照付き版)
(2)この解釈の問題点
①「あなたがた」とは、イエス時代の指導者たちである。
②「神の国」が完全にイスラエルから取り去られたわけではない。
③さらに、「神の国(メシア的王国)」は、いまだに教会に与えられていない。
(3)文脈を考慮した正しい解釈
①神の国は、イエス時代の指導者たちから取り去られる。
②「神の国の実を結ぶ国民」とは、大患難時代の指導者たちである。
*「国民」は、世代(ジェネレーション)の意味で用いられている。
③神の国は、将来の世代(大患難時代)の信仰ある指導者たちに与えられる。
3.「石」という意味について
Mat 21:44 また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」
(1)石の上に落ちる者(初臨)
イザ8:13~15
「万軍の【主】、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、
あなたがたのおののきとせよ。そうすれば、この方が聖所となられる。しかし、イス
ラエルの二つの家には妨げの石とつまずきの岩、エルサレムの住民にはわなとなり、
落とし穴となる」
(2)石が人の上に落ちる(再臨)
ダニ2:35
「そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらの
ようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を
打った石は大きな山となって全土に満ちました」
①バビロンの王ネブカデネザルが見た夢の中の像
②像は世界の王国を象徴している。
③一つの石が人手によらずに切り出され、像を打ち砕いた。
④その石は、大きな山となって全地に満ちた。
ダニ2:44
「この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされ
ることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち
砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます」
①石は世界の王国を滅ぼす神の国である。
②神の国は永遠に立ち続ける。
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