私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(146)—富に関する教え(2)—
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富に関する教えについて学ぶ。
「富に関する教え(2)」
マタ19:27~20:16
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスは、エルサレムへの途上で、さまざまなテーマについて教えた。
②前回は、富める青年が登場した。
*永遠の命を得るために何をしたらよいかという質問があった。
*イエスは、この青年が富に束縛されていることを指摘された。
*金持ちが神の国に入るのは非常に困難なことである。
③今回は、ペテロの質問に答える形で、有名なたとえ話が語られる。
*たとえ話の部分は、マタイの福音書だけに出て来る。
*実は、このたとえ話は、実に麗しい話である。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
§124 富に関する教え
マコ10:17~31、マタ19:16~20:16、ルカ18:18~30
2.アウトライン
(1)富める青年との対話(16~22節)
(2)弟子たちとの対話(23~26節)
(3)ペテロとの対話(27~30節)
(4)ぶどう園の労働者のたとえ話(20:1~16)
(今回は、(3)と(4)を取り上げる)
3.結論
(1)たとえ話からの教訓
(2)逆転の発想
富に関する教えについて学ぶ。
Ⅲ.ペテロとの対話(27~30節)
1.27節
Mat 19:27 そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」
(1)ペテロは、イエスの教えの要点を理解したと感じた。
①ペテロの言葉は、イエスが富める青年に語ったものと同じである。
②確かに、弟子たちは「何もかも捨てて」イエスに従ってきた。
*漁師たちは船や網を捨てて来た。
*マタイは、収税所を捨てて来た。
(2)「私たちは何がいただけるでしょうか」
①この言葉は、ペテロの内面を表現している。肉的な性質の現れである。
②ペテロはイエスと取引をしている。
③私たちにもこのような性質があるので、注意する必要がある。
2.28~29節
Mat 19:28 そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。
Mat 19:29 また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。
(1)イエスは、「イエスのために犠牲を払った者は報酬を受ける」と約束された。
①12弟子が受ける褒賞
②信者一般が受ける褒賞
③永遠の褒章
(2)12弟子が受ける褒賞
①「世が改まって」とは、千年王国のことである。
②「新しい世界になり」(新共同訳)
③「人の子が栄光の座に着く時」は、千年王国の描写である。
④信者が受ける褒賞は、千年王国での地位や責務に関係している。
*キリストの御座の裁きで褒賞は決まるが、それが可視化するのは千年王国。
⑤12弟子は、12の座に着いて、イスラエルの12部族をさばく。
*王政時代に入る前の士師は、さばき司である。
(3)信者一般が受ける褒賞
①イエスのために家族や畑を捨てた者は、今の時代において、その幾倍も受ける。
②信者は、世界に広がる神の家族との交流を持つようになる。
③富を犠牲にした者は、その幾倍もの霊的富を得るようになる。
(4)永遠の褒章
①永遠のいのちのことである。
②すべてを捨てることによって永遠のいのちを得るのではない。
③永遠のいのちは、賜物である。
④すべてを捨てた者は、永遠のいのちをフルに味わい、楽しむようになる。
*クリスチャン生活をフルに楽しむ人は幸いである。
3.30節
Mat 19:30 ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。
(1)この言葉の意味
①これは、神と取引するような心に対する警告である。
②神のために何かを犠牲にするなら、それは必ず報われる。
③しかし、利己的な動機でそうすることのないように、注意せよ。
④なぜなら、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのだから。
(2)これは、次のたとえ話への導入である。
①たとえ話は、始まりと終わりが、括弧でくくられている。
②マタ20:16も同じ言葉である。これが最後の括弧である。
Ⅳ.ぶどう園の労働者のたとえ話(20:1~16)
1.1節
Mat 20:1 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。
(1)神がぶどう園の主人にたとえられている。
①収穫の時期には、多くの労働者が必要になる。
②収穫は短時間のうちに行う必要がある。
③作業は、午前6時に始まり、午後6時に終わる。
(2)日雇い労働者
①小作農で、自分の畑での作業がすぐに終わる人
②父の畑をまだ相続していない息子たち
③畑をなくしたため、職を求めて各地を転々としている労働者
2.2節
Mat 20:2 彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。
(1)午前6時の男たち(12時間労働)
①日雇い契約ができた。
②12時間労働で1デナリ。当時の相場である。
③彼らは、ぶどう園で働き始めた。
3.3~5節
Mat 20:3 それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。
Mat 20:4 そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』
Mat 20:5 彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。
(1)午前9時の男たち(9時間労働)
①市場で立っており、何もしていない人たち
②日雇い契約ではない。
③彼らは、「相当のものを上げるから」という主人の言葉を信頼した。
(2)午前12時の男たち(6時間労働)
①同じようにした。
(3)午後3時の男たち(3時間労働)
①同じようにした。
4.6~7節
Mat 20:6 また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』
Mat 20:7 彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』
(1)午後5時の男たち(1時間労働)
①彼らは、仕事がないので、一日中そこに立っていた。
②1時間労働のためにでも雇うのは、収穫期の人手不足を示している。
②この人とは、賃金の話は一切していない。
(2)日雇い契約を結んだのは、午前6時の男たちだけである。
①午前9時、午前12時、午後3時、午後5時の男たちは、主人の判断に委ねた。
5.8~10節
Mat 20:8 こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。『労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。』
Mat 20:9 そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。
Mat 20:10 最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。
(1)その日の内に賃金を支払うのは、律法の命令である。
①申24:14~15
②その日暮らしの者には、日当をもらうことが重要であった。
(2)賃金は、最後に来た者たちから順に支払われた。
①この順番なので、午前6時の男たちは、支払額を見ることができた。
②雇用契約のない者たち全員が、1デナリを受け取った。
(3)午前6時の男たちは、もっと多くもらえると思った。
①労働時間を考えると、そう思うのは当然であろう。
②しかし、彼らもまた同額の1デナリを受け取った。
6.11~12節
Mat 20:11 そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、
Mat 20:12 言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』
(1)午前6時の男たちは、主人に文句を言った。
①自分たちは、一日中働いた。
②労苦と焼けるような暑さを辛抱した。
7.13~16節
Mat 20:13 しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。
Mat 20:14 自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。
Mat 20:15 自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』
(1)主人の主張
①これは、契約に基づく支払であって、自分は何も不当なことはしていない。
②それゆえ、自分の分を取って帰りなさい。
③午後5時の男たちにも同額を支払うのは、そうしてあげたいからだ。
*主人は、彼らは生活のためにこの金が必要であることを知っていた。
④自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法はない。
⑤問題は、他人が祝されているのを見て妬ましく思う心にある。
Mat 20:16 このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」
(1)たとえ話の結論である。
①神からの褒賞を利己的な心で求める者は、あとになる。
②神と褒賞に関して取引するような者は、あとになる。
③神の褒賞に関しては、驚きがある。
結論
1.たとえ話からの教訓
(1)神の僕は、神の畑で忠実に働き、結果を神に委ねる。
①神は、すべての犠牲に対して褒賞を与えてくださる。
②神と取引するのは、愚かなことである。
③その場合は、その人の心に問題がある。
(2)神は恵み深いお方である。
①それゆえ、結果を委ねることができる。
(例話)家庭教師の報酬
②主人は、それぞれが抱える必要に答えるために賃金を支払った。
③それゆえ、神と取引する必要はない。
(3)神は主権者である。
①すべてのものは、神のものである。
②神は、褒賞に関するすべての決定権を持っておられる。
2.逆転の発想
(1)ユダヤ教の終末論vs.イエスの終末論
①ユダヤ教では、裁きの日の教えがあった。
*イスラエルはよく働いたので、高額の賃金を受け取る。
*異邦人はほとんど働いていないので、賃金もわずかである。
②イエスは、その教えを逆さにされた。
*富や地位は、次の世で祝福を受けることの保証とはならない。
*イスラエル人であることも、祝福の保証ではない。
*来るべき世では、貧しい者、抑圧された者が、正当な褒賞を受ける。
(2)客観的読み方vs.主観的読み方
①このたとえ話は、不公平感で満ちている。
②このたとえ話は、私が午後5時の労働者であることを教えている。
(3)損をしたvs.特権に与った
①損をしたという発想
(例話)死ぬ直前に信じて、洗礼を受ければいい。
(例話)引っ越しが終わってから入社した人
*自分は、炎天下で12時間も働いた。
②特権に与ったという発想
*主人は、実に麗しいお方である。
*自分は、このように麗しい主人に仕える特権に与っている。
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