私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
メシアの生涯(113)—生まれつきの盲人の癒し(2)—
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イエスは、世の光である。
「生まれつきの盲人の癒し(2)」
ヨハ9:13~41
1.はじめに
(1)文脈の確認
①十字架にかかる前の年の仮庵の祭り(半年前)
②イエスは神殿を去ったが、まだエルサレムにとどまっている。
③生まれつきの盲人の癒しは、ヨハネの福音書の7つの奇跡の第6番目である。
④イエスは何人もの盲人の目を開かれたが、この箇所の癒しは、特別である。
*イエスのメシア性を示すメシア的奇跡である。
(2)A.T.ロバートソンの調和表
「イエスは生まれつきの盲人を癒す」(§100)
ヨハ9:1~41
(3)前回の復習
①イエスは、絶望的なケースを選び、癒しを行われた。
②その日は安息日であった。
③癒しの方法(つばきで泥を作り目に塗る)も口伝律法が禁じるものであった。
2.アウトライン
(1)肉体的癒し(1~12節)
(2)最初の尋問(13~17節)
(3)両親の尋問(18~22節)
(4)第2の尋問(23~34節)
(5)霊的癒し(35~41節)
*今回は(2)~(5)を取り上げる。
3.結論:
(1)4つのメシア的奇跡
(2)「知っている」という言葉
(3)会堂からの追放
イエスは、世の光である。
Ⅱ.最初の尋問(13~17節)
1.13~14節
「彼らは、前に盲目であったその人を、パリサイ人たちのところに連れて行った。ところで、イエスが泥を作って彼の目をあけられたのは、安息日であった」(13~14節)
(1)群衆は、目が開いた人をパリサイ人たちのところに連れて行った。
①群衆は、これをよい知らせと受け取り、指導者たちの裁定を仰ぐために動いた。
(2)この癒しは、安息日に行われた。
①パリサイ人たちは、命の危険がないかぎり、安息日に癒しを行うのは律法違反
だと考えていた。
②しかし神は、安息日に恵みの業を行うことを禁止してはおられなかった。
2.15~16節
「こういうわけでもう一度、パリサイ人も彼に、どのようにして見えるようになったかを尋ねた。彼は言った。『あの方が私の目に泥を塗ってくださって、私が洗いました。私はいま見えるのです。』すると、パリサイ人の中のある人々が、『その人は神から出たのではない。安息日を守らないからだ』と言った。しかし、ほかの者は言った。『罪人である者に、どうしてこのようなしるしを行うことができよう。』そして、彼らの間に、分裂が起こった」(15~16節)
(1)この男の単純な証し
①あの方が目に泥を塗ってくれた。
②私が洗った。
③そしたら、見えるようになった。
④神の責務と人間の責務が表現されている。
(2)イエスとは言わず、あの方と言っている。
①イエスはエルサレムでは有名になっていた。
(3)パリサイ人たちの間に、意見の対立が起こった。
①安息日を守らない者は、神から出た者ではない。
②罪人である者に、このようなしるしを行うことはできない。
③パリサイ人の中のある者たちは、光を見い出し始めている。
3.17節
「そこで彼らはもう一度、盲人に言った。『あの人が目をあけてくれたことで、あの人を何だと思っているのか。』彼は言った。『あの方は預言者です』」(17節)
(1)再度、この男に質問する。
①自分たちの間で分裂が起こっているから。
(2)この男の信仰が成長している。
①まだイエスを神とは信じていない。
②しかし、預言者と認めている。
・旧約聖書の預言者たちは、神から送られて奇跡を行った。
Ⅲ.両親の尋問(18~22節)
1.18~19節
「しかしユダヤ人たちは、目が見えるようになったこの人について、彼が盲目であったが見えるようになったということを信ぜず、ついにその両親を呼び出して、尋ねて言った。『この人はあなたがたの息子で、生まれつき盲目だったとあなたがたが言っている人ですか。それでは、どうしていま見えるのですか』」(18~19節)
(1)パリサイ人たちは、癒しが起こったことを信じたくなかった。
①何かの手違いがあったのではないか。
②両親なら、一番よく知っているはずだ。
③本人なのかどうか、また、どのようにして癒されたのか。
2.20~21節
「そこで両親は答えた。『私たちは、これが私たちの息子で、生まれつき盲目だったことを知っています。しかし、どのようにしていま見えるのかは知りません。また、だれがあれの目をあけたのか知りません。あれに聞いてください。あれはもうおとなです。自分のことは自分で話すでしょう』」(20~21節)
(1)両親は、責任を回避した。
①この男は、彼らの息子である。
②彼が、生まれつき盲目だったことは知っている。
③それ以上のことは、分からない。
④証言能力のある年齢なので、本人に聞いてほしい。
3.22節
「彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。すでにユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者があれば、その者を会堂から追放すると決めていたからである」(22節)
(1)ユダヤ人たち(霊的指導者たち)は、イエスのメシア性を拒否していた。
①もしイエスをメシアだと告白するなら、会堂から追放すると決めていた。
②会堂から追放されると、経済的、社会的、宗教的基盤を失う。
(2)会堂が行う懲戒の3つのレベル
①Neziphah:7日間の追放
②Niddui:30日間の追放
③Cherem:完全な追放と社会的な交流の断絶。これが追放の段階である。
Ⅳ.第2の尋問(23~34節)
1.23~25節
「そのために彼の両親は、『あれはもうおとなです。あれに聞いてください』と言ったのである。そこで彼らは、盲目であった人をもう一度呼び出して言った。『神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。』彼は答えた。『あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです』」(23~25節)
(1)「神に栄光を帰しなさい」の意味。2つの可能性がある。
①誓いを求めている。自分が嘘をついていたと認めよ。
②癒しのゆえに、神をたたえよ。イエスに栄光を帰すな。
(2)彼は、知らないことと、知っていることを、区別して証しをした。
①イエスが罪人かどうか、知らない。
②しかし、盲目であったのに、今は見えるということは知っている。
2.26~27節
「そこで彼らは言った。『あの人はおまえに何をしたのか。どのようにしてその目をあけたのか。』彼は答えた。『もうお話ししたのですが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜもう一度聞こうとするのです。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか』」(26~27節)
(1)同じ質問を受けて、この男は苛つき始めた。
(2)彼の回答は、皮肉である。
①話したが、聞いてもらえなかった。
②なぜもう一度聞こうとするのか。
③イエスの弟子になりたいのか。
(3)パリサイ人にとっては、これ以上の侮辱はない。
①無学な物乞いが、学のある自分たちに、意見している。
②しかも、自分たちが最も忌み嫌っている内容を示唆している。
3.28~29節
「彼らは彼をののしって言った。『おまえもあの者の弟子だ。しかし私たちはモーセの弟子だ。私たちは、神がモーセにお話しになったことは知っている。しかし、あの者については、どこから来たのか知らないのだ』」(28~29節)
(1)この男の証言を崩せないので、証言している本人を攻撃する。
①お前はイエスの弟子だ。
②これは、最悪の罪である。
③自分たちは、モーセの弟子だ。
④これは、最高のことである。
(2)神がモーセに語ったことは知っている。
①しかし、イエスがどこから来たかは知らない。
②もしモーセの教えを知っているなら、イエスをメシアと信じたはずである。
③モーセよりも偉大な方が彼らの前に現れたのに、その方を信じない。
4.30~33節
「彼は答えて言った。『これは、驚きました。あなたがたは、あの方がどこから来られたのか、ご存じないと言う。しかし、あの方は私の目をおあけになったのです。神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行うなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたこともありません。もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです』」(30~33節)
(1)皮肉から攻撃への転換
①パリサイ人たちは、予想もしなかったであろう。
②この男は、自立して考え始めている。
(2)この男が述べた理屈
①パリサイ人たちは、霊的指導者たちである。
②なのに、盲人の目を開けた方がどこから来たかを知らないという。
③恥を知れ。
④神は、罪人の言うことをお聴きにならない(ユダヤ教の教えの中心)。
⑤あの方が生まれつきの盲人の目をあけたのは、神から出ているからだ。
5.34節
「彼らは答えて言った。『おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。』そして、彼を外に追い出した」
(1)再び、この男を虐待した。
①盲目に生まれついたことと、特定の罪を結びつけた。
②そのように教えてはならないことを、ヨブ記は語っている。
③この男に教える資格はあるのか。ある。彼は体験したのである。
(2)「彼を外に追い出した」
①神殿の外ではない。
②会堂から追い出したという意味である。
③これは、Cheremの段階である。
④この男は、あらゆる意味で、生活の基盤を失った。
Ⅴ.霊的癒し(35~41節)
1.35~36節
「イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。『あなたは人の子を信じますか。』その人は答えた。『主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように』」(35~36節)
(1)イエスが彼を見つけ出した。
①「あなたは人の子を信じますか」と尋ねた。
(2)彼はまだイエスが誰かを知らない。
①彼の霊の目はまだ開いていない。
2.37~38節
「イエスは彼に言われた。『あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。』彼は言った。『主よ。私は信じます。』そして彼はイエスを拝した」(37~38節)
(1)イエスは彼に、必要な情報を与えた。
①あなたと話している私が、メシアである。
(2)彼は、信仰によって応答した。
①ユダヤ人は、人を礼拝しない。
②イエスが癒し主だという理由では、礼拝しない。
③イエスが神の子であると信じたので、礼拝している。
④彼は、肉の目も霊の目も開かれた。
3.39節
「そこで、イエスは言われた。『わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです』」(39節)
(1)福音の効果
①目が見えないと認める人は、目が見えるようになる。
②目が見えると思っている人は、盲目のままにとどまる。
4.40~41節
「パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。『私たちも盲目なのですか。』イエスは彼らに言われた。『もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える』と言っています。あなたがたの罪は残るのです』」(40~41節)
(1)パリサイ人たちの傲慢な質問
①これは、否定的な回答を要求する質問である。
(2)イエスの回答
①自分が盲目だと認めていたなら、罪の程度は軽かっただろう。
②しかし、目が見えると言っているので、重い罪がそのまま残る。
結論:
1.4つのメシア的奇跡
(1)ツァラアト患者の癒し
①サンヘドリンによる厳しい尋問が始まった。
(2)口のきけない悪霊の追い出し
①イエスはベルゼブルにつかれていると批判した。
(3)生まれつきの盲人の癒し
①イエスを信じる者は、会堂から追放されるという決定がなされた。
(4)ヨナのしるし(ラザロの復活)
①サンヘドリンは、イエスを殺す決定を下した。
2.「知っている」という言葉
(1)登場人物たちが、「知っている」、「知らない」を繰り返している。
(2)パリサイ人たちは、自分たちはモーセとモーセの律法を知っていると主張した。
①結果的には、彼らは何も知らないことが明らかになった。
(3)盲人の場合はどうか。
①彼は、律法に関しては無知であった。
②また、イエスが誰かについても無知であった。
③ただし、彼には、自分の目がイエスによって開かれたという知識があった。
④彼は、神を体験したのである。
⑤パリサイ人たちは、彼のその体験を論駁できなかった。
3.会堂からの追放
(1)歴史的経緯
①紀元70年までは、長老たちが共同体の中で裁き司の役割を担っていた。
②紀元70年以降、パリサイ人たちがその役割を担った。
③ヨハネの福音書は、紀元90年代に書かれた。
④ヨハネの福音書の読者の多くは、シナゴーグからの追放を経験していた。
(2)不信仰な世が私たちを追い出しても、イエスが私たちを受け入れてくださる。
①シナゴーグの礼拝を失ったが、イエスを礼拝する特権を得た。
②ヨハネの福音書の読者たちには、大きな慰めになった。
(3)この話は、神を信じることに躊躇を覚える人にも、励ましとなる。
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