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ルカの福音書(91)イエスの教え3題 -ダビデの子、偽善、献金-20:41~21:4
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イエスの教え3点について考える。
ルカの福音書 91回
イエスの教え3題 -ダビデの子、偽善、献金-
20 :41~21:4
1.文脈の確認
(1)エルサレムでの奉仕が始まった(19:28~21:38)。
①勝利の入城(19:28~44)
②諸々の教え(19:45~21:4)
③神殿崩壊の予告(21:5~36)
④まとめ(21:37~38)
(2)諸々の教え(19:45~21:4)
①宮きよめ(19:45~46)
②イエスの教えの要約(19:47~48)
③権威に関する論争(20:1~8)
④ぶどう園の農夫のたとえ話(20:9~18)
⑤カエサルへの納税に関する質問(20:19~26)
⑥復活に関する質問(20:27~40)
⑦ダビデの子に関する質問(20:41~44)
⑧律法学者の偽善(20:45~47)
⑨やもめの献金(21:1~4)
(3)注目点
①この箇所から、イエスが攻めの姿勢に転じる。
2.アウトライン
(1)質問-ダビデの子(20:41~44)
(2)警告-律法学者の偽善(20:45~47)
(3)称賛-やもめの献金(21:1~4)
3.結論
(1)メシアの二性
(2)長い衣
(3)やもめの献金
イエスの教え3点について考える。
Ⅰ.質問-ダビデの子(20:41~44)
1.41節
Luk 20:41
すると、イエスが彼らに言われた。「どうして人々は、キリストをダビデの子だと言うのですか。
(1)パリサイ人やサドカイ人が質問しなくなったので、今度はイエスが質問する。
①これは、メシアの本質を理解させるための神学的質問である。
②イエスは「私を誰だと言うか」ではなく、一般論的な質問をした。
(2)パリサイ人たちは、メシアはダビデの家系から誕生すると教えていた。
①それゆえ、メシアのことを「ダビデの子」と呼んだ。
②彼らが描くメシア像は、ダビデのような解放者としてのメシアである。
*メシアはローマの圧政から自分たちを救ってくれるという期待があった。
③イエスの質問は、「メシアはどういう意味でダビデの子なのか」ということ。
2.42~43節
Luk 20:42
ダビデ自身が詩篇の中で、こう言っています。/『主は、私の主に言われた。/「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。
Luk 20:43 わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするまで。」』
(1)詩110:1からの引用
Psa 110:1 【主】は 私の主に言われた。/「あなたは わたしの右の座に着いていなさい。/わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするまで。」
①前書きには、「(ダビデによる。賛歌)とある。
②イエスは、詩篇110篇がダビデの作であることを認めた。
③詩篇110篇は、新約聖書に最も引用されている詩篇である。
(2)ダビデは、神から啓示を受けた預言者としてメシア預言を語っている。
①最初の「【主】」は、「ヤハウェ」である。
*父なる神である。
②次の「私の主」は、「アドナイ」である。
*子なる神である。
③これは、父なる神から子なる神への宣言である。
*昇天したメシアは、今、父なる神の「右の座」に着いておられる。
*「右の座」とは、権威ある地位のことである。
*この状態は、「わたしがあなたの敵を あなたの足台とするまで」続く。
*つまり、敵が完全に征服されるまで続くということである。
3.44節
Luk 20:44
ですから、ダビデがキリストを主と呼んでいるのです。それなら、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう。」
(1)イエスが投げかけた質問
①なぜダビデは、自分の子孫である人物を、「私の主」と呼ぶのか。
②マタ22:46
Mat 22:46 するとだれ一人、一言もイエスに答えられなかった。その日から、もうだれも、あえてイエスに質問しようとはしなかった。
③回答は、メシアの二性にある。
Ⅱ.警告-律法学者の偽善(20:45~47)
1.45節
Luk 20:45
また、人々がみな耳を傾けているときに、イエスは弟子たちに言われた。
(1)これは弟子たちと群衆に対する警告である。
①彼らは、イエスと律法学者たちの論争に耳を傾けてきた。
②その彼らに、イエスはパリサイ主義の誤りを教える。
③すでに11:37~54で詳細な律法学者への批判が出ていた。
④ここでは、短い要約が出てくる。
2.46~47節
Luk 20:46
「律法学者たちには用心しなさい。彼らは長い衣を着て歩き回ることが好きで、広場であいさつされることや会堂の上席、宴会の上座を好みます。
Luk 20:47
また、やもめの家を食い尽くし、見栄を張って長く祈ります。こういう人たちは、より厳しい罰を受けるのです。」
(1)律法学者たちの行動の動機は、人に見せるためである。
①内面の実質ではなく、外面の評価にこだわる。
(2)長い衣を着て歩き回ることが好き。
①長い衣のすその四隅に、人目を引くようなふさを付ける。
②民15:38の規定
(3)広場であいさつされることや会堂の上席、宴会の上座を好む。
①自分が重要人物であることを誇示したい。
②混雑している広場であいさつされると、エゴが満たされる。
(4)やもめの家を食い尽くし、見栄を張って長く祈る。
①やもめの保護は、モーセの律法の要請である。
②しかし、パリサイ人たちはやもめの財産を取り上げた。
*高額の献金の要請
③長い祈りは、自らの貪欲を隠すためのものである。
*この決定をする前に長く祈ったと言いながら、やもめの家を抵当に取る。
④長い祈りが問題なのではなく、祈りの動機が問題である。
⑤こういう人たちは、人一倍きびしい罰を受ける。
*白い御座の裁き
Ⅲ.称賛-やもめの献金(21:1~4)
1.1~2節
Luk 21:1
イエスは目を上げて、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れているのを見ておられた。
Luk 21:2
そして、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨を二枚投げ入れるのを見て、
(1)諸々の教えの最後のエピソードである。
①イエスは異邦人の庭で教えていたが、そこから婦人の庭に移動する。
②20:47に続いて、やもめのエピソードが続く。
(2)婦人の庭の一方の壁に、献金箱が置かれていた。
①13個あったが、それぞれ目的が異なる献金箱であった。
*9つが律法の命令によるもので、4つが自発的なささげ物。
②箱の入り口が、ラッパの形をしていた。
③男女の区別なく献金ができるように、婦人の庭に置かれた。
(3)イエスは、巡礼者たちがどのように献金を献げるかを観察しておられた。
①金持ちたちは、大金を投げ入れていた(マコ12:41)。
②ある貧しいやもめが、レプタ銅貨を2枚投げ入れた。
*レプタは、当時流通していた最小単位のユダヤの銅貨である。
*レプタ2枚は、ローマのデナリの64分の1である。
*1デナリ(日当)を仮に1万円とすると、レプタ2枚は156円である。
2.3~4節
Luk 21:3
こう言われた。「まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、だれよりも多くを投げ入れました。
Luk 21:4
あの人たちはみな、あり余る中から献金として投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っていた生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」
(1)これは、弟子たちへの教えである。
①人間による評価では、どれくらいの額を投げ入れたかで価値が決まる。
②イエスによる評価では、どれくらいの犠牲を払ったかで価値が決まる。
③このやもめは、生活費の全部を投げ入れた。
結論
1.メシアの二性
(1)「どうして人々は、キリストをダビデの子だと言うのですか」
①この質問は、キリストの二性を教えるためのものである。
②詩110:1は、キリストが神であり、人であることを教えている。
③「ダビデの子」ということばは、キリストの人性を表している。
④「私の主」ということばは、キリストの神性を表している。
(2)今もユダヤ人たちは、メシアの二性に目が開かれていない。
①現代のメシアニックジューの中にも、目が開かれていない人がいる。
②モルモン教、エホバの証人も同じ問題を持っている。
(3)もし「教えられやすい心」を持っているなら、イエスを信じるはずである。
2.長い衣
(1)特殊なデザインの衣服(すその四隅にふさを付ける)は、自分たちが選びの民
であることを思いだすためのものである。
①ユダヤ人には、異邦人と同化しないで生きていくことが期待された。
②青いひもは、王子の身分を示すものである。
(2)パリサイ人たちは、敬虔そうに見せるために、長い衣をまとった。
①律法主義とは、律法の本来の目的を忘れ、外面だけを整えることである。
②律法主義とは、神が命じていないことを人間の律法にすることである。
3.やもめの献金
(1)ここには、パリサイ人たちとやもめの信仰の対比がある。
①イエスは神殿の中で初めて小さな光を見た。
②このやもめは、イエスを信じる者が見習うべき手本である。
(2)ここには、全的献身の姿がある。
①口伝律法では、慈善のための献金は2レプタ以上とされていた。
②ここでの献金は、慈善のためではないので、1レプタでもよかった。
③しかし彼女は、神が必要を満たしてくださることを信じ、すべて献げた。
(3)主イエスの愛に応答する方法は、全的献身しかない。
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