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メシアの生涯(75)—悪霊につかれたゲラサ人の癒し—
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悪霊につかれたゲラサ人の癒しから教訓を学ぶ
「悪霊につかれたゲラサ人の癒し」
§066 マコ5:1~20
1.はじめに
(1)文脈の確認
①イエスの奇跡は、弟子訓練を目的としたものとなった。
②この箇所の奇跡も、弟子訓練という文脈の中で読まねばならない。
③イエスの行い(奇跡)が、イエスのことば(教え)の真実性を証明する。
(2)連続して起こる奇跡
①自然界の支配
②悪霊の追い出し
③不治の病の癒し
④死者の蘇生
(3)聖地旅行の体験
①タプハからエン・ゲブへ。
②その途中のクルシという場所の地形は、福音書に記された通りのものである。
(4)A.T.ロバートソンの調和表
「湖の向こう岸でイエスは悪霊につかれたゲラサ人を癒す」(§66)
マコ5:1~20、マタ8:28~34、ルカ8:26~39
2.アウトライン
(1)奇跡が起こった場所(1節)
(2)悪霊につかれた人の悲惨な状態(2~5節)
(3)悪霊の追い出し(6~13節)
(4)住民たちの反応(14~17節)
(5)解放された人の反応(18~20節)
3.結論:弟子訓練の内容
悪霊につかれたゲラサ人の癒しから教訓を学ぶ
Ⅰ.奇跡が起こった場所(1節)
1.1節
「こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた」
(1)地名について
①マルコとルカには、「ゲラサ人の地」とある。
②マタイには、「ガダラ人の地」とある。
③矛盾ではなく、①は町の名前、②は地域の名前である。
(2)ガリラヤの東岸は、異邦人の地である。
①イエスは、弟子訓練のためにユダヤ人の地を離れて異邦人の地に行かれた。
②デカポリス(10の町)は、1つの例外を除いてすべて東岸にあった。
③例外は、スキトポリス(ベテ・シャン)であった。
Ⅱ.悪霊につかれた人の悲惨な状態(2~5節)
1.2節
「イエスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来て、イ
エスを迎えた」
(1)「すぐに」という言葉は、マルコの福音書の特徴でもある。
(2)悪霊につかれた人の人数
①マタイでは、「ふたり」である。
②マルコとルカでは、「ひとり」である。
③マルコとルカは、より深刻な状態の人に焦点を合わせている。
(例話)フロイスの『日本史』 悪霊の例多出。
2.3~5節
「この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおく
ことができなかった。彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせ
も砕いてしまったからで、だれにも彼を押さえるだけの力がなかったのである。それで彼
は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた」
(1)墓場が住居
①人びとは、岩に出来た横穴を墓場としていた(人工的に掘ることもあった)。
②穴の奥には遺体を葬る個別の部屋があり、そこは閉じられていた。
③しかし、穴そのものには扉がないので、自由に出入りすることができた。
④墓場は、町から離れた場所に位置していた。
⑤つまりこの人は、共同体から隔離された場所で生きていたということである。
(2)悲惨な状態
①超自然の力が彼を暴れさせていた。
*鎖や足かせを使っても、彼を静めることはできなかった。
②内面の平安が奪われていた。
*夜昼となく、墓場や山で叫び続けていた。
③石で自分の体を傷つけていた。
*悪魔礼拝の一形態であろう。
Ⅲ.悪霊の追い出し(6~13節)
1.6~7節
「彼はイエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し、大声で叫んで言った。『い
と高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によって
お願いします。どうか私を苦しめないでください』」
(1)これ以降、この人と悪霊の「ゆらぎ現象」が見られる。
①「駆け寄って来てイエスを拝し、」
*礼拝ではなく、単に敬意を表する態度を取っているだけ。
②「大声で叫んで言った。」
*態度の急変が見られる。
(2)「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか」
①弟子たちよりも、悪霊の方がイエスを認識している。
②イエスの名を呼ぶのは、自らの支配を確立するためである。
③マコ1:24
「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私た
ちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者で
す」
(3)「いと高き神」
①旧約聖書では、異邦人がよく使う御名。偶像に勝るイスラエルの神。
②ダニ3:26
「それから、ネブカデネザルは火の燃える炉の口に近づいて言った。『シャデラク、
メシャク、アベデ・ネゴ。いと高き神のしもべたち。すぐ出て来なさい。』そこで、
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは火の中から出て来た」
(4)「神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください」
①悪霊は、自分の運命が終わりに近づいていることを感じた。
②「神の御名によって」というのは、悪霊を追い出す際の祈りの言葉である。
③悪霊は、その言葉を悪用している。
2.8節
「それは、イエスが、『汚れた霊よ。この人から出て行け』と言われたからである」
(1)この聖句は、イエスと悪霊の対話の中に挟まれた挿入句である。
①悪霊がうろたえている理由を説明している。
3.9節
「それで、『おまえの名は何か』とお尋ねになると、『私の名はレギオンです。私たちは大
ぜいですから』と言った」
(1)イエスは、伝統的なユダヤ的悪霊追い出し法を採用している。
(2)「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」
①レギオンとは、ローマ軍において、3,000~6,000人の兵士を持つ軍団の名称。
②この言葉は、力と圧制の象徴でもある。
③つまり、この人の内に最低3,000の悪霊が住みついていたということ。
④主語が、「私」から「私たちに」に変化している。
⑤「私」とは、悪霊の群れの中心的存在であろう。
4.10節
「そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した」
(1)ルカ8:31
「悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った」
①ギリシア語では、「アブソス」である。
②悪霊どもが行く場所
③最後の運命を迎える前に、しばらくの猶予をくださいという意味。
(2)マコ5:10
「自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した」
①辺鄙な場所に追いやられると、取りつく人がいなくなる。
5.11~12節
「ところで、そこの山腹に、豚の大群が飼ってあった。彼らはイエスに願って言った。『私
たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください』」
(1)ずっと離れた所(山腹)に豚の大群が飼ってあった(マタ8:30)。
①この地は、異邦人の地である。
②デカポリスで食用の肉として販売するために、飼育していたのであろう。
(2)悪霊どもは、豚の中に乗り移ることを願った。
①豚を殺し、豚の所有者がイエスに反感を抱くように仕向けたという人もいる。
②人間がだめなら、豚でもよい、ということだろう。
③その場合でも、キリストの許可がいる。
6.13節
「イエスがそれを許されたので、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移った。すると、
二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしま
った」
(1)豚は、悪霊どもを内に宿すことに耐えられなかった。
①2千匹ほどの豚の群れが死んだ。
②この地の地形をよく表現している。
(2)イエスが所有者の権利を妨害したと批判する人がいる。
①神が悪魔を取り扱う方法は、人間には理解不可能である。
②エデンの園、ヨブの体験
③イエスには何らかの目的があったはずである。
*偶像に捧げるための豚だったか。
*物質のむなしさを教えるためだったか。
Ⅳ.住民たちの反応(14~17節)
1.14~15節
「豚を飼っていた者たちは逃げ出して、町や村々でこの事を告げ知らせた。人々は何事が
起こったのかと見にやって来た。そして、イエスのところに来て、悪霊につかれていた人、
すなわちレギオンを宿していた人が、着物を着て、正気に返ってすわっているのを見て、
恐ろしくなった」
(1)町とはゲラサの町、村々とはガダラ地方の村々。
①豚飼いの牧童たちは、このことを所有者に知らせた。
②自分たちの過ちではなく、不可抗力であったと説明するため。
③所有者(野次馬もいた)たちは、自分の目で確かめるためにやって来た。
(2)彼らが見たもの
①湖に浮かぶ無数の豚の死骸
②正気に返った人
*着物を着ていた。
*正気に返って座っていた。
(3)「恐ろしくなった」
①ギリシア語で「フォベオウ」。畏怖の念。
②マコ4:41
「彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。『風や湖までが言うことをきくとは、いっ
たいこの方はどういう方なのだろう』」
③湖が凪いだとき、弟子たちを恐れた。心が平安で満たされた時、異邦人たちは驚いた。
2.16~17節
「見ていた人たちが、悪霊につかれていた人に起こったことや、豚のことを、つぶさに彼
らに話して聞かせた。すると、彼らはイエスに、この地方から離れてくださるよう願った」
(1)「見ていた人たち」とは、牧童たちと弟子たち。
①彼らは、目撃した内容を詳細に所有者たちに話して聞かせた。
②豚にまで言及しているのは、マルコだけである。
③経済的損失に光を当てるためである。
(2)「すると、彼らはイエスに、この地方から離れてくださるよう願った」
①イエスがそばにいると、もっと大きな損失を被る可能性がある。
②ユダヤ人であるイエスが、異邦人である自分たちを裁くかもしれない。
③イエスが同じ場所に戻ったという記録はない。
Ⅴ.解放された人の反応(18~20節)
1.18~19節
「それでイエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人が、お供をしたいとイエ
スに願った。しかし、お許しにならないで、彼にこう言われた。『あなたの家、あなたの
家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなに
あわれんでくださったかを、知らせなさい』」
(1)「お供をしたい」とは、弟子になりたいという意味である。
①彼は初めて、自分の人生をかけてもいいと思えるものを発見した。
(2)イエスはそれを断った。
①この段階では、イエスは異邦人の弟子を受け入れてはいなかった。
(3)この人は、自分の家に帰って証しをするように命じられた。
①ユダヤ人たちには、沈黙が命じられた。
②異邦人である彼には、宣べ伝えるようにと命じられた。
2.20節
「そこで、彼は立ち去り、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、デ
カポリスの地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた」
(1)彼の奉仕が有効であったことは、4000人のパンの奇跡の箇所で明らかになる。
①マコ8:1~10は、デカポリス地方の異邦人に対する奇跡である。
結論:弟子訓練の内容
1.悪霊を支配するイエスの力
(1)ベルゼブル論争で、パリサイ人たちは、イエスが悪霊の頭の力を利用している
と言った。
(2)悪霊につかれたゲラサ人の癒しは、イエスが悪霊に対して権威を持っているこ
とを示した。
2.人間の命の価値
(1)豚の所有者たちの視点は、癒された人ではなく、失った豚にある。
(2)イエスの視点は、人の命は2000匹の豚よりも尊いという点にある。
3.異邦人伝道の重要性
(1)ユダヤ人たちは、イエスを拒否した。
(2)異邦人の時代が来ようとしている。
(3)異邦人による異邦人伝道
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