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ルカの福音書(65)教えの正しさを証明するしるし13:10~17
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教えの正しさを証明するしるしについて学ぶ。
ルカの福音書 65回
教えの正しさを証明するしるし
13:10~17
1.はじめに
(1)文脈の確認
①ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。
②パリサイ人や律法学者によるイエスの拒否が、決定的になった。
③拒否という現実の中で、弟子としていかに生きるべきかが教えられる。
④クリスチャンは、霊的戦いに巻き込まれているのである。
(2)ルカ12:1~13:17の内容
①恐れなき信仰告白(12:1~12)
②永遠の視点(12:13~21)
③神の備え(12:22~34)
④人の子の来臨(12:35~48)
⑤苦難の日の予告(12:49~59)
⑥悔い改めの勧め(13:1~9)
⑦教えの正しさを証明するしるし(13:10~17)
(3)注目すべき点
①7つのポイントは、拒否の現実の中でいかに生きるべきかを教えたものである。
②前回の箇所(悔い改めの勧め)
*迫りくる裁きを前提に、悔い改めの勧めが語られる。
*イスラエルという木は、実をつける必要がある。
③今回の箇所(教えの正しさを証明するしるし)
*イエスはメシアであり、その教えは真実である。
*イエスは、イスラエルを回復することができる。
2.アウトライン
(1)病の霊につかれた女の癒やし(10~13節)
(2)会堂司の憤り(14節)
(3)イエスの教え(15~16節)
(4)2種類の応答(17節)
3.結論 :ルカ12:1~13:17の復習
教えの正しさを証明するしるしについて学ぶ。
Ⅰ.病の霊につかれた女の癒やし(10~13節)
1.10節
Luk 13:10 イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた。
(1)公生涯の前半では、安息日ごとに会堂で教えたと思われる。
①ルカ4:15
Luk 4:15 イエスは彼らの会堂で教え、すべての人に称賛された。
②ルカ4:16
Luk 4:16 それからイエスはご自分が育ったナザレに行き、いつもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。
③ルカ4:31
Luk 4:31 それからイエスは、ガリラヤの町カペナウムに下られた。そして安息日には人々を教えておられた。
④ルカ6:6
Luk 6:6 別の安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに右手の萎えた人がいた。
(2)ルカの福音書では、イエスが会堂で教えるのはこれが最後である。
①当時は、巡回ラビは、会堂での説教を依頼された。
②イエスは、次第に会堂から排除されるようになった。
③エルサレムに近づくにつれて、イエスに対する敵対心が強くなった。
2.11節
Luk 13:11 すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全く伸ばすことができない女の人がいた。
(1)イエスは、教えている途中で、この女の人の存在に気づいたと思われる。
①訳文の比較(kai idou)(and behold)
*「すると」(新改訳2017)
*訳していない。(新共同訳)(口語訳)
*「視よ」(文語訳)
(2)病状と病の期間を示すのは、医者ルカの特長である。
①18年も病の霊につかれていた。
②腰が曲がって、全く伸ばすことができなかった。
*なんらかの脊椎の病気であろう。
*痛みや不快感がある。歩こうとすると病状が悪化する。
③これらの情報は、イエスによる癒やしの素晴らしさを浮き彫りにする。
(3)ルカは、この病の原因は悪霊にあると見抜いている。
①ここでの癒やしには2面性がある。
②悪霊の追い出しと肉体的癒やし
(4)悪霊に対する対処法
①悪霊の存在を否定するのは、誤りである。
②悪霊を過大評価することや悪霊について過剰な興味を持つことは、誤りである。
3.12~13節
Luk 13:12 イエスは彼女を見ると、呼び寄せて、「女の方、あなたは病から解放されました」と言われた。
Luk 13:13 そして手を置かれると、彼女はただちに腰が伸びて、神をあがめた。
(1)癒やしの方法
①イエスは、彼女を自分のほうに呼び寄せた。
*そこにいた人たちが目撃できるように。
②イエスは、ことばで彼女を癒やした。
*イエスのことばには、力がある。
*「解放された」は、脊椎の病が癒やされた場合に使われていたことば。
*と同時に、悪霊の支配からの解放を意味することばでもあった。
③イエスは、手を置かれた。
*あわれみの心を示すためである。
*また、癒やしの力がイエスから出たことを可視化するためである。
(2)癒やしの結果
①彼女は、ただちに腰が伸びた。
*痛みを感じないで立ち上がることができた。
*昔のように、普通に歩くことができた。
②彼女は、神をあがめた。
*イエスが祝福を届ける神の器であることを認識した。
*「神をあがめ続けた」。当然の反応である。
Ⅱ.会堂司の憤り(14節)
1.14節
Luk 13:14
すると、会堂司はイエスが安息日に癒やしを行ったことに憤って、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。だから、その間に来て治してもらいなさい。安息日にはいけない。」
(1)この女の人と会堂司の反応は、対照的であった。
①この女の人は、神をあがめた。
②会堂司は、間接的に彼女とイエスを批判した。
③彼は、群衆に向かって言った。
(2)会堂司の議論は論理的に聞こえる。
①安息日に働くのは律法違反である。
②働くべき日は6日ある。
③癒やしてほしいなら、その間に来て治してもらえばよい。
(3)会堂司の議論の問題点
①人間の苦しみよりも、安息日を守ることにより大きな関心がある。
②癒やしは労働に当たると解釈していた(医者の仕事)。
③安息日の労働禁止令は、神には適用されないことを知らなかった。
④群衆への助言の内容は、人々を神の国から遠ざけるものであった(11:52)。
Luk 11:52 わざわいだ、律法の専門家たち。おまえたちは知識の鍵を取り上げて、自分は入らず、入ろうとする人々を妨げたのだ。」
Ⅲ.イエスの教え(15~16節)
1.15節
Luk 13:15
しかし、主は彼に答えられた。「偽善者たち。あなたがたはそれぞれ、安息日に、自分の牛やろばを飼葉桶からほどき、連れて行って水を飲ませるではありませんか。
(1)イエスはこの機会を捉えて、霊的教訓を教える。
①イエスは、「偽善者たち」と言われた。
②会堂司と宗教的指導者たちのことである。
③彼らは未信者であり、神のことばの真の意味を理解していない。
④しかし、真理を理解しているかのように振る舞っている。
⑤また、敬虔そうに振る舞っている。
⑥それゆえ、彼らは偽善者たちである。
(2)小から大の議論
①安息日であっても、家畜の世話はするではないか。
②人は、家畜以上に価値がある。
③それゆえ、安息日に人を癒やすのは当然のことである。
2.16節
Luk 13:16
この人はアブラハムの娘です。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日に、この束縛を解いてやるべきではありませんか。」
(1)「この人はアブラハムの娘です」
①ユダヤ人は、女性を男性よりも価値が低いと考えていた。
②イエスは、彼女を「アブラハムの娘」と呼んだ。
*これは、栄誉あるタイトルである。
*ユダヤ人たちは、彼女に対してこの呼び名を使わなかったと思われる。
*病を患っているのは、彼女に何か問題があるからだと考えていた。
③このタイトルを「アブラハムと同じ信仰を持つ者」と解釈することも可能。
(2)イエスのあわれみの心
①安息日が明けるのを待って癒やしを行なうなら、誰もイエスを批判しない。
②しかしイエスは、この女の人が1日でも多く苦しむことを拒否された。
③彼女は、18年者間サタンに縛られていた。
④安息日は、解放を祝う日なので、この日に解放のわざを行なうのは当然である。
Ⅳ.2種類の応答(17節)
1.17節
Luk 13:17
イエスがこう話されると、反対していた者たちはみな恥じ入り、群衆はみな、イエスがなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。
(1)「反対していた者たちは、みな恥じ入り、」
①「恥じ入る」とは、ひどく恥ずかしいと思うことである。
*通常、相手に対して申し訳ないと思う感情や、反省の思いが含まれている。
②この訳語は、誤解を生みやすい。
③これは、「They were ashamed.」ではなく「They were put to shame.」である。
*彼らは、辱めを受けたということである。「面子をつぶされた」。
*これは、怒りの感情が伴った心の動きである。
(2)群衆はみな、喜んだ。
①指導者たちの反対にもかかわらず、イエスは輝かしい御業を行なわれた。
②イエスの教えは、群衆の痛みに寄り添ったものであった。
結論:ルカ12:1~13:17の復習
1.一連の教えは、拒否の現実を前提にして語られたものである。
(1)主イエスは、宗教的指導者たちから拒否された。
(2)弟子たちも同じ体験をするようになる。
(3)信者は霊的戦いに巻き込まれている。
2.一連の教えは、テーマの流れに即して語られた。
(1)イエスの弟子としての心構え
①恐れなき信仰告白
②永遠の視点
(2)イエスの弟子としての責務
③神の備え
(3)再臨とメシア的王国
④人の子の来臨
⑤苦難の日の予告
⑥悔い改めの勧め
(4)18年間苦しんだ女の人の癒やし
⑦教えの正しさを証明するしるし
3.この病の癒やしには、象徴的な意味がある。
(1)この女の人の状態は、イスラエルの霊的状態を暗示している。
①ルカ4:18~19
Luk 4:18
「主の霊がわたしの上にある。/貧しい人に良い知らせを伝えるため、/主はわたしに油を注ぎ、/わたしを遣わされた。/捕らわれ人には解放を、/目の見えない人には目の開かれることを告げ、/虐げられている人を自由の身とし、
Luk 4:19 主の恵みの年を告げるために。」
(2)この女の人の癒やしは、イエスの権威を証明している。
①イエスには、イスラエルを束縛から解放する力と権威がある。
(3)この癒やしは、イスラエルが解放される方法を暗示している。
①イエスのもとに近づく。
②イエスのことばを、そのまま受け取る。
(4)この癒やしの原則は、すべての人に適用することができる。
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