ルカの福音書(62)人の子の来臨12:35~48

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人の子の来臨に備えることの重要性について学ぶ。

ルカの福音書 62回

人の子の来臨

ルカ12:35~48

1.はじめに

(1)文脈の確認

  ①ルカは、エルサレムへの旅という枠組みの中に、種々の教えを配置している。

  ②パリサイ人や律法学者によるイエスの拒否が、決定的になった。

  ③拒否という現実の中で、弟子としていかに生きるべきかが教えられる。

  ④クリスチャンは、霊的戦いに巻き込まれているのである。

(2)ルカ12:1~13:17の内容

  ①恐れなき信仰告白(12:1~12)

  ②永遠の視点(12:13~21)

  ③神の備え(12:22~34)

  ④人の子の来臨(12:35~48)

  ⑤苦難の日の予告(12:49~59)

  ⑥悔い改めの勧め(13:1~9)

  ⑦教えの正しさを証明するしるし(13:10~17)

(3)注目すべき点

  ①7つのポイントは、拒否の現実の中でいかに生きるべきかを教えたものである。

  ②前回の箇所(神の備え)

    *神の備えがあるので、思い煩ってはならない。

  ③思い煩いから自由になると、怠惰な生活に入る危険性がある。

  ③そこで、来臨に備える重要性を教えるために、2つのたとえ話が語られる。

2.アウトライン

(1)忠実なしもべのたとえ話(35~40節)

(2)2種類のしもべのたとえ話(41~48節)

3.結論

(1)再臨の約束

(2)メシア的王国(千年王国)の約束

(3)忠実なしもべの使命

人の子の来臨に備えることの重要性について学ぶ。

Ⅰ.忠実なしもべのたとえ話(35~40節)

  
1.35節

Luk 12:35 腰に帯を締め、明かりをともしていなさい。

(1)思い煩いから解放されたなら、いかに生きるべきか。

  ①常に、人の子の来臨を待ち望みながら生きる。

  ②「腰に帯を締め」とは、奉仕の準備ができていることである。

    *長い上着を帯で締めて短くすると、動きやすくなる。

  ③「明かりとともしている」とは、闇を消す働きの準備ができていることである。

    *常に、みことばを語る準備ができている。

    *常に、証しをする準備ができている。

2.36節

Luk 12:36 主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸を開けようと、その帰りを待っている人たちのようでありなさい。

(1)ここから、忠実なしもべのたとえ話が始まる。

  ①主人とは、主イエスである。

  ②しもべとは、弟子である。

  ③「婚礼から帰って来て」ということばに過剰な意味を与える必要はない。

  ④「戸をたたいたら」ということばは、比ゆ的ことばである。

  ⑤ポイントは、主人を迎える準備ができているということである。

(2)このたとえ話は誰に適用されるか。

  ①イエスが昇天して以降の初代教会の弟子たち

  ②携挙を待ち望む教会時代の弟子たち

  ③再臨を待ち望む患難期の弟子たち

3.37~38節

Luk 12:37
帰って来た主人に、目を覚ましているのを見てもらえるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばに来て給仕してくれます。

Luk 12:38 主人が真夜中に帰って来ても、夜明けに帰って来ても、そのようにしているのを見てもらえるなら、そのしもべたちは幸いです。

(1)主人は、目を覚まして待っているしもべたちを見て感動する。

  ①ルカは、「まことに、あなたがたに言います」という表現を使っている。

  ②ルカ4:24にも出ていた。

Luk 4:24 そしてこう言われた。「まことに、あなたがたに言います。預言者はだれも、自分の郷里では歓迎されません。

  ③この表現は、次に語られる約束が確かであることを強調している。

(2)その約束とは、主人としもべの役割が逆転するということである。

  ①イエス時代には、主人がしもべに給仕することはあり得なかった。

  ②そのあり得ない逆転が起こる。

  ③初臨のときに低くなられた神の子が、来臨のときに再び低くなられる。

(3)ユダヤ的時刻による真夜中と夜明け

  ①真夜中は、「the second watch」(第2見張り時)である。

    *午後9時から午前0時

  ②夜明けは、「the third watch」(第3見張り時)である。

    *午前0時から午前3時

  ③人が眠る時間帯でも、このしもべたちには、主人を迎える準備ができている。

4.39~40節

Luk 12:39
このことを知っておきなさい。もしも家の主人が、泥棒の来る時間を知っていたら、自分の家に押し入るのを許さないでしょう。

Luk 12:40 あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのです。」

(1)ここで、別のたとえ話が挿入される。

  ①ここでは、人の子の来臨が「泥棒の出現」にたとえられている。

  ②強調点は、予期せぬ時に人の子が来臨するということである。

  ③忠実なしもべのたとえ話は、弟子たちへの励ましであった。

  ④泥棒のたとえ話は、弟子たちへの警告である。

(2)「あなたがたも用心していなさい」が、泥棒のたとえ話の適用である。

  ①人の子は、思いがけない時に来る。

  ②それゆえ、常に用心している必要がある。

  ③マタ24:36

Mat 24:36 ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

Ⅱ.2種類のしもべのたとえ話(41~48節)

  
1.41節

Luk 12:41 そこで、ペテロが言った。「主よ。このたとえを話されたのは私たちのためですか、皆のためですか。」

(1)ペテロは、このたとえ話が誰に語られたものなのか、質問した。

  ①「このたとえ話」とは、「忠実なしもべのたとえ話」である。

  ②これは、弟子たちのためなのか、群衆のためなのか。

  ③主人に給仕してもらえるしもべは、自分たちたけなのか、群衆も含むのか。

  ④ペテロは、天的祝福に目が開かれつつある。

  ⑤この質問がより重要なたとえ話を引き出す。

2.42節

Luk 12:42
主は言われた。「では、主人によって、その家の召使いたちの上に任命され、食事時には彼らに決められた分を与える、忠実で賢い管理人とは、いったいだれでしょうか。

(1)イエスは、ペテロの質問には直接答えていない。

  ①イエスの教えは続いているのである。

  ②これ以降の教えは、ペテロが質問したこと以上の答えになっている。

(2)イエスは、当時のイスラエルの指導者層を念頭において語る。

  ①忠実なしもべと不忠実なしもべが受ける報酬は、異なる。

    *忠実なしもべとは、イエスの弟子たちである。

    *不忠実なしもべとは、パリサイ人や律法学者たちである。

  ②主人は、忠実なしもべに大きな権限を与える。

    *彼は、召使いたちの上に任命される。

    *彼は、他の召使いに決められた分量の食事を与える。

3.43~44節

Luk 12:43 主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見てもらえるしもべは幸いです。

Luk 12:44 まことに、あなたがたに言います。主人はその人に自分の全財産を任せるようになります。

(1)主人がいない間も忠実に奉仕をしたしもべは、幸いである。

  ①主人は、そのしもべに報賞を与える。

(2)「まことに、あなたがたに言います」

  ①主人は、忠実で賢い管理人(しもべ)に自分の全財産を任せるようになる。

  ②これは、より大きな権限を与えるという意味である。

  ③これは、御国(千年王国)で成就する祝福である。

4.45~46節

Luk 12:45
もし、そのしもべが心の中で、『主人の帰りは遅くなる』と思い、男女の召使いたちを打ちたたき、食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始めるなら、

Luk 12:46
そのしもべの主人は、予期していない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ報いを与えます。

(1)不忠実なしもべは、不信者である。

  ①しもべであるかのように振る舞っているが、彼は救われていない。

  ②彼は、召使いたちに食事を与える代わりに、彼らを打ちたたく。

  ③また、自己中心的に振る舞う(食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始める)。

  ④これは、パリサイ人と律法学者の姿である。

(2)主人は、予期していない日、思いがけない時に帰って来る。

  ①主人は、不忠実なしもべを厳しく罰する。

  ②彼は、他の不忠実な者たちと同じ扱いを受ける。

5.47~48節

Luk 12:47 主人の思いを知りながら用意もせず、その思いどおりに働きもしなかったしもべは、むちでひどく打たれます。

Luk 12:48
しかし、主人の思いを知らずにいて、むち打たれるに値することをしたしもべは、少ししか打たれません。 多く与えられた者はみな、多くを求められ、多く任された者は、さらに多くを要求されます。

(1)ここでは、奉仕に対する報賞には、段階があるという原則が教えられている。

  ①信者の場合は、天において受ける報賞に段階がある。

  ②不信者の場合は、地獄において受ける罰に段階がある。

(2)御心を知りながら、それを無視したしもべは、むちでひどく打たれる。

  ①御心を知らなかった者は、少ししか打たれない。

(3)「多く与えられた者はみな、多くを求められ、多く任された者は、さらに多くを 要求されます」(48節)。

  ①これが、聖書的弟子道の原則である。

  ②ヤコ3:1

Jas 3:1 私の兄弟たち、多くの人が教師になってはいけません。あなたがたが知っているように、私たち教師は、より厳しいさばきを受けます。

  ③しかし、御心をより深く知ることを恐れてはならない。

  ④むしろ、より深く御心を知り、より忠実に歩むことを志すべきである。

結論

1.再臨の約束

(1)ルカでは、弟子たちのもとを去り、再び戻って来るという予告は、ここが最初。

(2)マタ24~25章

(3)ヨハ14:1~3

Joh 14:1 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

Joh 14:2
わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。

Joh 14:3
わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。

2.メシア的王国(千年王国)の約束

(1)ギリシア人にとっては、神の国とは理想化された霊的王国である。

(2)ユダヤ人にとっては、神の国とは地上に成就する終末的王国である。

(3)旧約時代の預言者たちは、メシアの到来と神の国の設立を預言した。

(4)2つのたとえ話は、再臨と神の国の設立を前提に解釈する必要がある。

3.忠実なしもべの使命

(1)2ペテ3:9

2Pe 3:9
主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

(2)「主の日」(終末の出来事)は、遅れているわけではない。

(3)1人でも多くの人が救われるように、神は忍耐しておられる。

(4)クリスチャンのゴールは、思い煩いのない生活ではない。

(5)携挙、再臨、千年王国という終末時代の出来事を理解したなら、生活は変わる。

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