私たちはプロテスタントのキリスト教福音団体です。『1. 聖書のことばを字義どおりに解釈する 2. 文脈を重視する 3. 当時の人たちが理解した方法で聖書を読む 4. イスラエルと教会を区別する』この4点を大切に、ヘブル的聖書解釈を重視しています。詳しくは私たちの理念をご確認ください。
Q314 罪責感とは何ですか。(2)
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314 罪責感について(2)
Q
:自分が罪人だと感じる程度は、人によって違うと思います。罪責感について、私の理解は不十分だと思いますので、教えてください。
A
:はじめに
これは非常に重要なテーマです。罪責感について、3回にわたって解説しています。2回目は、罪責感の効用について、いつものように3つ申し上げます。
1
番目に、罪責感が積極的に用いられる場合があります。
(1)2コリ7:10
「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、
世の悲しみは死をもたらします」
(2)「神のみこころに沿った悲しみ」とは、健全な罪責感です。
(3)健全な罪責感は、救いに至る悔い改めを生じさせます。
2
番目に、罪責感が破壊的に用いられる場合があります。
(1)悪魔は、罪責感を破壊的に用います。
(2)「世の悲しみ」とは、破壊的罪責感です。
(3)破壊的罪責感は、死をもたらします。
(4)悪魔は、神のご性質を曲解して人に伝えます。
(5)その結果、人は努力して良い人間にならなければいけないと思い込んでいます。
3
番目に、神の救いはすべての人に提供されています。
(1)すべての人は、神の前で有罪です。
(2)神は、罪責感を与えることによって、人をご自分のもとに招いておられます。
(3)イエス・キリストは、人の罪を赦すために十字架上で死なれました。
(4)罪責と罪責感から解放される方法は、イエス・キリストを信じることです。
①これを、恵みと信仰による救いと言います。
(5)ロマ5:1
「こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリスト
によって、神との平和を持っています」(ロマ5:1)
(6)「神との平和」こそ、祝された人生を歩む鍵です。
参考になる聖句
「こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」(ロマ5:1)
健全な罪責感は、私たちを神のもとに導きます。
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